8月23日
翌日から沖縄旅行を控えていたこの日。
よりによってこの日。
我が家の長男に悲劇はおこりました。
お友達にさそわれ、プラネタリウムにおでかけし、プラネタリウム後にお友達と遊具(丸太)で遊んでいて、20センチの高さから転倒。
肘を強打し、、
骨折_| ̄|○
左上腕骨内側じょうか骨折。
お友達ママから、
かんちゃんが転倒して、腕を抱えて痛そうにしていて、ずっと泣いている!
と、連絡をもらいました。
夕方四時のこと。
旅行準備を完了し、
おちび2人とまったり過ごしていたそのとき(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
もう嫌な予感しかしない!
公園まで迎えに行き、
お友達にお礼をいって、
病院にむかいました。
肘がすんごい腫れていました、、、。
レントゲンをとってもらい、
写真では、大きな骨折は確認されませんでした。
しかし、子供はレントゲンではわからない、軟骨の骨折の可能性があると聞き、
シーテができる病院を紹介してもらい、
すぐにそちらにむかいました。
時間はすでに6時。
病院は大混雑してて、
なかなか名前は呼ばれないし、
かんたは心配やし、
さつきちゃんはお腹減って暴れているし(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
地獄のような時間でした。
なんとかレントゲンとシーテをすまし、
結果発表。
骨折でした_| ̄|○_| ̄|○
そして、まさかの手術が必要なことを知らされ、
テキパキと手術の日程を決め始める先生に、旅行が頭をよぎりまくる私。。
もう何がなんだか、、。
頭の片隅で、こんなことってあるんやなぁと客観的に思ってみたり。
かんたは、手術に絶望になって泣き喚いているし、
明里は骨折に自分を重ねて、泣いているし。いちかも、もらい泣き。
この時は、さつきはなぜか異様な事態を察知し、冷静になっていました笑
はやとんとラインでやりとりし、
私はもう冷静に判断できなくて。。
とりあえず、病院の流れにまかせて入院の説明を聞いて、
お腹を空かせた子供たちを一刻も早く家に連れて帰ることだけ考えていました。
結局、8時すぎに病院をでてやっと帰宅。
はやとんは、
明石のお父さんお母さんに連絡し、
話し合いをしていてくれて、
かんたの入院を明石のお父さんお母さんが付き添ってくれることに、、。
ごはんを作り終え、入院準備を終え、
かんたの体を拭いて、着替えさせ、
9時すぎに、はやとんとかんたが明石に向かいました。
すぐ、お母さんに電話をし、
かんたの状況を説明しながら、涙。
明里も泣いている。
お母さんの優しい言葉にさらに泣ける。
なんでこんな事に、、、。
明石のお母さんは、
そんな悲しい気持ちで旅行にいかんと、楽しんでおいでよ!
と、言ってくれる。。
お母さんも、かんたの骨折が心配で不安やろうに。。
本当にすごい人やなぁと思いました。。
骨折がわかって、旅行について色々色々考えましたー
まず、沖縄旅行がキャンセルになる方向(マイルも宿泊費もゴミ箱いきー震えるくらい最悪のパターン)
骨折したまま、沖縄に強行突破しよう!とか(いま考えたらありえない。ケガは何より早く処置するのが大事)、
私が残って、はやとんと女子でいってもらおう。とか。とか。
沖縄旅行が終わって帰宅した今は、
お父さんお母さんにすごく迷惑をかけてしまったけれど、
かんたの手術が無事に終わり、笑顔でみんながおれることにすごくほっとしています。
これもすべて明石のお父さんお母さんのおかげです。。ほんと、助けてもらってばかりで、ごめんなさい(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
家族ってありがたいなぁとしみじみ思いました。
かんたと離れて数日間、かんたの大事さがすごくわかりました。
なのにですね、
かんたはとゆうと、
かんたは、ゲームが命やから沖縄よりゲームできて、よかったわ!
手術は最悪やったけどな!!
だそうです。
聞きたくなかったわー!!
あの落ち込んだ前日と沖縄の日々を返してくれ!!
かんたの手術までの様子を覚書↓
24日
昼から診察し、前日入院。
お母さんが一緒に泊まってくれる。
夜ご飯は食べれないものばかりで、お母さんがかってきてくれたおにぎりなどを食べる。
25日
10時から手術。
お父さんが付き添ってくれる。
全身麻酔。
手術は2時間もかかる。
麻酔が効いて、あばれまくるかんたを4人がかりで抱えていたらしい。
飲み食いできず。
38度近く熱が出て、水も吐いてしまう。
お母さんが付き添ってくれる。
かんたが手術の夢をみて、足がびくってなってキックをされたそう。。
狭いソファーでねむるのも困難だったそう。。お母さん本当にお世話になりました(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
26日。
7度に下がり、牛乳、食パン一枚半たべる。
9時に退院でした。
夜に大好物の餃子2人前をたべたそう。
入院費 17640円
テレビ 900円
三角きん 300円