ピーパン(木の実による絵写真)

木の実を使って描いた絵およびその写真です。

(作品182)塩沢湖からの浅間山

2012年06月30日 | 木の実


 紅葉の塩沢湖から眺めた浅間山で、湖水には紅葉が映っています。東京方面から国道18号線バイパスで碓井峠を登りきり、下りにかかると浅間山の全貌が見えてきて、2番目の信号を左折すると500メートル程で塩沢湖です。塩沢湖より少し先に進むと長野オリンピックのカーリング会場となった風越公園に至り、その傍に軽井沢植物園があります。塩沢湖周辺は観光スポットとして人気の高い地域で初夏の新緑、秋の紅葉が美しい。しかし、残念なことに湖に行くには入場料が必要です。

(作品181) 三原上から長野原方面を望んだ風景

2012年06月28日 | 木の実


 作品160で紹介した大笹街道および大笹街道に接続して高崎に通じる街道は総称して信州街道(長野街道)と呼ばれています。三原は大笹に隣接する嬬恋村の一地域、信州街道の宿場町です。三原からは浅間山の全貌を望むことができますが、作品は長野原方面を眺めた風景です。山が幾重にも重なり、山々の間は朝霧でもやっています。

 あさぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木(あじろぎ)  権中納言定頼   

(作品180)  塩名田からの千曲川と浅間山連峰

2012年06月26日 | 木の実


 作品は佐久市の塩名田から眺めた千曲川と浅間山連峰です。
 長野県には海がありませんが、塩のついた地名が結構あります。塩名田の他に塩尻、大鹿村鹿塩、上田市塩田などです。塩尻は海から塩を運ぶ塩の道(街道)の宿場町で、上杉謙信が武田信玄に塩を送った故事「敵に塩を送る」が思い起こされます。大鹿村鹿塩は山塩の生産地、上田市塩田は、信州の鎌倉と呼ばれる別所が所在する地域で、鎌倉時代に執権北条氏の一族である塩田北条氏の所領地です。それぞれ塩のついた由来が理解できます。さて、塩名田の塩は?塩尻と同じように塩の道に由来しているようです。
塩名田の前身は中山道の塩名田宿、江戸から数えて23番目の宿場町、作品116の追分宿から数えて3番目の宿場町で、ここで千曲川を渡ります。千曲川に中津橋が架かるまでには長い歴史があります。作品の右奥に見える橋が中山道沿いの中津橋で、実際は白くありません。
塩名田は、中山道の宿場町の名残のある町として、また千曲川の鮎等をつかった川魚料理で知られています。

 鰯雲簗場(やなば)へ酒場移りをり


(作品179)  紅葉

2012年06月23日 | 木の実


 作品は小瀬林道沿いの紅葉風景で,ブログ開始前にできていたもので、小川の色を少し変えました。
 北軽井沢の峠の茶屋から白糸ハイランドウェイで白糸の滝の次が小瀬温泉です。この小瀬温泉と星野温泉をつなぐ林道が小瀬林道で、紅葉がすばらしい。軽井沢、峠の茶屋、白糸の滝、星野温泉、小瀬林道と言うだけで幸せ一杯のロマンスの舞台、あるいは影ある愛の舞台になりそうです。小瀬林道に沿って流れる小川沿いの紅葉をピラカンサの実を主体に描きました。
 ウルシの木は真っ直ぐな枝振りでチャンバラごっこの剣にぴったりです。小学生の時、一本のウルシの木を見つけて剣を作りました。ウルシの木にかぶれる人もいますが私は大丈夫。しかし、この時は、ウルシの樹液がたっぷり手に触れたため、夜にかぶれが出てものすごい顔になり、以後、銀杏にもかぶれるようになりました。

  お岩だぞ漆紅葉のかぶれ顔


(作品178) 五郎兵衛新田からの浅間山連峰

2012年06月22日 | 木の実



 作品は佐久平浅科村の五郎兵衛新田からの眺めで、雲が浅間連邦の裾を覆い、その雲に向かって稲刈りの跡が真直ぐと伸びています。五郎兵衛新田は江戸時代、幕府の開拓許可を得た市川五郎兵衛が苦労の末20kmに及ぶ用水路(五郎兵衛用水)を完成し、この用水路をもとに開墾して出来上がった新田です。五郎兵衛新田で収穫されたお米は高価ですがおいしくて人気が高く五郎兵衛米として流通しています。
 私の故郷には映画館を兼ねた芝居小屋があり、ここで毎月2回ほど土曜日に映画が放映されました。小学時代、「七人の侍」は父と、「喜びも悲しも幾年月」は母と、「笛吹童子」は兄達とここで見ました。芝居小屋には、スッポンはありませんが、正面の舞台を挟んで両側に渡り廊下があり本格的で、毎年春秋に旅一座が来て興行します。秋の興行は稲刈りや稲こきが終わった頃で、旅一座の興行を知らせるチンドン屋が村中を練り歩きます。

 ちんどんと稲刈り済めば旅一座