紫色の木の実を持っていませんので、紫のコモロスミレ(小諸菫)は描けません。しかし、ピンクのすみれがありました。マキノスミレです。
花や昆虫の絵写真は、今回のブログPPANの主題「浅間山」に添える抓みです。しかし、木の実には大きさがあり、また、色に制約がありますので、ディテールが要求される静物の描画は難しい。
モーツァルトのリートにはすみれがよく出てきます。ゲーテの詩に曲を付けた「すみれ」、カンペの詩に曲をつけた「夕べの想い」、そしてオーヴァベックの詩に曲を付けた「春への憧れ」です。ゲーテの詩において、すみれは、少女に摘みとられて、胸におしあてられて、萎むことを望みます。しかし、少女はすみれに眼もくれないで、すみれを踏みつけてしまいます。すみれは、つぶれ、それでも、
「ともあれ、自分はあのひとのせいで
あのひとに踏まれて
死ぬんだから!」、と喜んで死んでゆきます。モーツァルトはこのゲーテの詩の最後に
「かわいそうなすみれよ!
それは本当にかわいいすみれだった。」
という詩句を加えてリート「すみれ」を作曲しています。モーツァルトはすみれが大好きであったに違いありません。
春の山野といえば、すみれとギフチョウでしょう。
すみれは3~5月頃山野の日当たりのよい場所に生える多年草で、小さな可憐な花です。誰も目に留めてくれず、ひっそりと咲いています。ギフチョウは佐保姫の装いで飛ぶ春の王女の蝶です。4月頃蛹から羽化して蝶になります。この春の王女の蝶が山野を素早く飛び回ります。すみれはギフチョウが来て止まってくれることを望みます。来てくれるでしょうか。望みどおり、ギフチョウが片隅に咲く小さなすみれにやってきて止まります。どうですか、すばらしいと思いませんか。モーツァルトの歌曲「すみれ」の中で少女に無視され、踏みにじられたすみれに春の王女のギフチョウが来て止まるのです。
ひっそりと蝶にときめく野のすみれ