chloe's diary

日々雑感。小説、映画などに触れているときは、例外なくネタをばらしておりますので、ご注意ください。

『マディソン郡の橋』

2009年09月21日 | 映画
 翻訳が出版されてまもなく、どういう気の迷いか読んでしまい、その卑しい欺瞞に満ちた言葉の洪水に吐き気さえ覚えた、大っ嫌いな小説『マディソン郡の橋』がクリント・イーストウッド監督によって映画化されてしまったことは、私にとってまったく信じがたい事態でした。 その製作会社がアンブリンとマルパソであったことから、これはイーストウッド監督の才能に嫉妬したスティーヴン・スピールバーグ氏が仕組んだ陰謀ではないか . . . 本文を読む

お知らせ

2009年09月08日 | 映画
 だいぶ以前に観た映画の感想をアップしました。『今宵、フィッツジェラルド劇場で』『タロットカード殺人事件』『潜水服は蝶の夢を見る』 . . . 本文を読む

『チェンジリング』

2009年07月17日 | 映画
■トランペットの音色 飯田橋・ギンレイホールでクリント・イーストウッド監督『チェンジリング』を観ました(併映はファティ・アキン監督『そして、私たちは愛に帰る』)。 蓮實重彦氏は「群像」二〇〇九年三月号の「映画時評3 赤い唇と赤い市街電車に不意打ちされて――クリント・イーストウッド『チェンジリング』――」で次のように書いておられます。 【...】赤をヒロインの唇と市街電車の車体に限定し、一九二〇年 . . . 本文を読む

伊丹十三〈と〉映画(その2)

2008年09月20日 | 映画
■〈向こう側〉にある映画 というわけで、伊丹は〈向こう側〉の存在としての「映画」(彼が、映画的記憶とか映画らしさと言うときに思い浮かべている「映画」)に対して『パパ・ユーア クレイジー』を翻訳したときに自らに課した「ルール」と同様の「ルール」を適用して映画を撮った、という私の思いは『伊丹十三の映画』を読んでいっそう深まったのですが、いったいなぜ伊丹にとって「映画」は〈向こう側〉の存在だったのか、と . . . 本文を読む

伊丹十三〈と〉映画(その1)

2008年09月19日 | 映画
■「伊丹十三は〈作家〉であった」 一昨夜、数人で居酒屋で飲んだときのことです。話題は、厖大な読書量と博覧強記で知られ「知の巨人」と呼ばれたりもする思想家・著述家M氏をめぐるものになりました。酔談にありがちなことですが、やがて場の空気は「M氏はたしかにすごい人だとは思うんだけど......」という微妙に否定的な方向に流れ、かつてM氏と直接の関わりを持ったこともあるKさんが言いました。「M氏はかつて編 . . . 本文を読む

『潜水服は蝶の夢を見る』

2008年06月23日 | 映画
■二本立て上映の楽しみ  二週間ごとの番組替わりで二本立て上映をする飯田橋・ギンレイホールでは年間五十数本の映画がかかるわけですが、その編成には何かしら共通点のある二本を組み合わせようとする工夫が窺われます。たとえば、同じ役者が出演しているとか、同じ時代を舞台にしているとか、実在した人物を描いているとか、ピアニストが出てくるとか、邦題に「街角」という言葉が使われているとか、「家族」を主題にしている . . . 本文を読む

ウディ・アレン映画 補足

2008年03月23日 | 映画
 以下は、IMDbのデータによるウディ・アレン監督作品でクレジットされているキャスト・スタッフの人数です。若干の数え違いがあるかもしれません。また、TV用映画やオムニバス映画は省きました。『泥棒野郎』(一九六九)六三人『ウディ・アレンのバナナ』(一九七一)八七人『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』(一九七二)七二人『スリーパー』(一九 . . . 本文を読む

『タロットカード殺人事件』

2008年03月22日 | 映画
 飯田橋・ギンレイホールで、ウディ・アレン監督『タロットカード殺人事件』を観ました(併映はエイドリアン・シェリー監督『ウェイトレス おいしい人生のつくりかた』)。 芸事の師匠が見込みのある若い弟子に「破綻を怖れて小さくまとまってはいけない」と忠告する、というような場面に、小説や映画やTVドラマで何度も接したような気がしますが、現在七十二歳で四〇本を超える映画を作ってきたウディ・アレン監督がここにき . . . 本文を読む

『今宵、フィッツジェラルド劇場で』

2007年08月27日 | 映画
 飯田橋・ギンレイホールで先日予告編を観たロバート・アルトマン監督の『今宵、フィッツジェラルド劇場で』を観てまいりました(併映はアン・フレッチャー監督『ステップ・アップ』)。  映画の原題でもある『プレーリー・ホーム・コンパニオン』は実在するラジオ番組だそうで、オンエアの現場と楽屋を映し出すドキュメンタリーであると同時にフィクションでもあるこの映画は、たとえば同じアルトマン監督の『バレエ・カンパニ . . . 本文を読む

ある予告編

2007年08月23日 | 映画
“あのすばらしい新作映画、ギャリソン・キーラー自身が本人を演じている《今宵、フィッツジェラルド劇場で》。あの映画にはすばらしいカントリー・ジョークがぎっしりだ。完全にノックアウトされたよ。”(カート・ヴォネガットの言葉。『S-Fマガジン』二〇〇七年九月号(早川書房)カート・ヴォネガット追悼特集に訳載されたインタヴュー「功成り名遂げたすえの鬱病」より。翻訳は浅倉久志氏)  映画を、その映画を撮った . . . 本文を読む