年末の福井旅行は蟹もさることながら、寒ブリもとても美味しかった。
寒ブリと言えば氷見が有名だが、要するに日本海で泳いでいたブリがどこの港に揚げられるかどうかの話だ。
福井の寒ブリも十分に旨い。
特に寿司屋ではブリトロとも言われる腹の部分を厚切りの刺身で食べるのが最も美味しいと思う。
ぶり特有の独特の酸味と旨味がたまらない。
寿司ネタとしても最高だが、店によってはブリの脂を和らげるために置かれることの多い大根おろしがいいアクセントになっている。
セイコ蟹も旨かったな。
(地方によってはセコ蟹等々、要するにずわい蟹の雌)
ただし、蟹の本場で出回っているセイコ蟹には雄蟹同様のタグが付いており、一杯2、000~3,000円程度する。
その分、型も大きく、腹の卵ははちきれんばかりだ。
これも2杯堪能した。
セイコ蟹は濃厚な味もさることながら、宝石箱のような美しさがある。
その他あれこれ食べたが、この店に寄らなければ福井に行った気がしない、それが秋吉。
焼き場さん、ドリンクさん、板場さん、社長等々、独特の喧噪に包まれて純鶏やシロを食べれば、
「ああ、今年もまた福井に来たわ...」
と、しみじみ思う。
福井旅行の際にはぜひすすめたい素敵な店だ。
年の暮れ、親友と呑んだ。
あれこれ話したが、一つ意外な言葉が聞かれた。
「定年退職したら老後に必要なのは○千万円、だからあまり無駄遣いもしてられん」
若い頃には刑務所まで入った暴れ馬も、ついにこういうことを言うようになったのかと内心思いつつまた一杯。
ならば、こいつとの飲み代くらいは俺が出せばいいだけのこと。
こいつが定年退職したら、あちこち旅にも誘おう。
俺は老後のことなど全く考えていない。
何とかなると楽天的に考えている。
更に言えば、そもそも俺には老後など存在しないと思っている。
もし何も食べるものがなかったり凍え死にそうであれば警察でも市役所でも地元の議員の事務所にでもどこでも一本電話を入れて「死にそうなんです」と伝えればいい。
それだけのことではないのか?
俺はそう思うが。
電話がない?
それは屁理屈というものだ。
ならば這っていけ。
老後に○千万円必要だからとせっせと節約に励んでいる者には、たくさん金を貯めるよりもたくさん思い出を貯めろと言いたい。
その結果、俺のように貯金の残高がさえなくてもいいではないか。
俺はそう思うが。
これも俺がこのサイトで散々言っている、死ぬ時に後悔しないための一つの指針だ。
今年もたくさん思い出を貯めたいと思う。
思い出を貯めるという意味において俺がこのサイトから受けた恩恵は計り知れない。
同時に、たくさんのM女にも俺は思い出を与えたことになる。
今年もあれこれ刻み刻まれるのだろう。
その全てが楽しみでならない。
今年もよろしく。
角界事情通からのかなり精度の高い情報によれば、初場所も弓取り式を行うのは聡ノ富士のようだ。
おそらくは最後の弓取り式になるのだろう。
ならばNHKにはなおのこと彼の姿をじっくりと映してもらいたい。
明日から例によって北陸福井への年末旅行へ行く。
今年は例年よりもいささか小遣いが多いので越前のタグ付きのカニを食べるつもりだ。
正月はのんびり、特に派手な予定はない。
来年は俺の仕事が激動、激変の一年になると思われる。
それに備えるべくしっかりと英気を養いたい。
それではみなさんも良い年末年始を。
また来年もよろしく。
週末のクリスマスイブ、ついに待ちわびていた日がやってくる。
といったところで女がらみの浮ついたイベントではない。
クリスマスのまさにその日、映画「戦場のメリークリスマス」を観に行くのだ。
何とも贅沢なイベントではないか(と、俺は思う)。
午前10時の映画祭ということで、現在、全国の劇場で「戦場のメリークリスマス」が上映されている。
当作品は俺の好きな映画のベスト10に確実に入るので、アナウンスで知った時からこの日をずっと楽しみにしていたのだ。
加えて俺はアナログのビンテージ・シンセサイザーが大好きなのだが、坂本龍一が製作した当作品のサウンドトラックは名器Prophet-5の性能が極限まで発揮されており、マニアなら目をつぶっているだけでも作品を楽しめる。
誰もが知るあのメインテーマ、まるでオーケストラによる演奏のようなストリングス、これぞProphet-5といったような音色の曲...等々を久しぶりに聞くことができるだけでも俺には十分楽しみだ。
上映が年末年始の休日と重なっているので、期間中最低2回は観るだろうな。
それではみなさんも素敵なクリスマスを。
角界における諸問題を露呈しながら横綱春馬富士の引退が決まった。
これについて俺なりの意見があるが、まあ、それはおいておく。
上記に付随してとても残念なことがある。
もう聡ノ富士の弓取り式が見られなくなってしまったということだ。
弓取り式を執り行う力士は横綱が在籍している部屋から選ばれるのが慣例で、そもそもが横綱の代わりとなって弓取り式を行っているという意味がある。
春馬富士の引退により同部屋である聡ノ富士の弓取り式も自動的にもう見られないということだ。
あの小気味よい弓捌きがもう見られないことを残念に思っている相撲ファンはとても多いだろう。
相撲中継の最後、何度も同じ取り組みのスローを流す時間があるのなら弓取り式の方を映せと思ったこと数知れず。
聡ノ富士の所作及び弓捌きは先々語り継がれるに違いない。