私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

パ-キンソン病      難病 を 知った 夏 から ・・・

2014-09-23 00:31:33 | 日記
もう 一年を知る木枯らしに震える私でしょうか
私は2才の頃から叔父、叔母、そして子供ながらに気付くと他人の家に6才まで預けられて育ち虐待と殺される憎む想いで生き 時には
空腹を賄う為に農作物を盗み4才の幼児が泣き叫ぶ所か放心状態で涎(よだれ)しか口から出てこない様な罰と仕打ちを享け気が付くと
自閉症と言語障害それに貧しく生活保護児童として虐められの子でした あの子は頭が可笑しいから口を聞かないで暴れだすからねと
子供らの親は私に心の後ろを診せて暮れる事を教えました 当時、私の様な病気は単なる窺知外(きちがい)として病名などは知られていませんでした
そして私は小学校5年生の時に虐められ子が一番喧嘩の強い悪餓鬼(がき)へと不思議な立場に変わり32年間の職人業と会社経営を経て明星と地位、金を手に入れましたが時代の流れに添えず職人、社員、下請け会社を200人から手放し離婚の上に この湯けむり漂う温泉場三百六十五段の町へ47歳に成った私は一人で足を下ろし自閉症、言語障害を克復して半世紀を過ぎた今 藍河さん
パ-キンソン病の治療も今後は考えて生きましょうと医師の悪魔的な優しい診断と私の一人語・・・
こんな去年の夏は8月でした
まさか この俺が難病にパ-キンソン病に何て馬鹿野朗 ふざけるなと

s10683726@ybb.ne.jp






  

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