私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

加藤隼戦闘隊        戦闘に 厳しく ・・・

2015-08-31 00:56:38 | 日記
己オノレ自身に苦しみ悩み艱難辛苦カンナンシンクの心は 他の為でなく人間を成長させて行く

第64戦隊第5飛行師団加藤隼戦闘隊
1938年S13年8月から1945年S20年廃止
日中戦争(支那事変)において国民革命軍と戦いノモンハン事件では ソ連軍、モウコ兵と戦い
駐屯地の広東から2千㌔以上を35機の戦闘機隼でフコク島ズオンドンに進出した兵ツワモノ部隊
加藤建夫は1903年明治36年9月28日に北海道上川郡に生れ
1942年5月22日ビルマ(現在のミャンマ-)アレサンヨウ ベンカル湾上空で戦死38歳

エンジンの音 轟々ゴゥゴゥと隼は征ユく 雲の果て
翼ヨクに輝く 日の丸と胸に描けし 赤鷲の印はわれらが戦闘隊
寒風酷暑カンプウコクショもかまうなと艱難辛苦カンナンシンク打ちたえて
整備に当る 強兵が しっかりやってきて来てくれと
愛機に祈る 親ごころ
過ぎし幾イク多の空中戦 銃弾うなる その中で必ず勝つの
信念と死なばともにと 団結の心で握る 操縦桿ソウジュウカン
干戈カンカ交ゆる 幾星霜イクセイソウ七度重なる 感状のいさおの蔭に
涙あり ああ今は 亡き武士モノノフの 笑って散った その心
世界に誇る 荒鷲の翼のばせし幾星霜 輝く伝統
受けつぎて 新たに興す大亜ジア われらは皇軍コウグン 戦闘隊

軍歌 加藤隼戦闘隊より 


加藤建夫陸軍航空隊中尉






当時 陸、海の航空隊がスロ-ガンに仕手いた 八紘一宇の言葉と旗
s10683726@ybb.ne.jp

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