岡村屋本舗地下1F通路(年中不定休) 和太鼓奏者岡村柳侍の活動や、月兎園の事だったり、その他諸々。

和太鼓奏者 岡村柳侍の活動。群馬県榛東村にある多目的スタジオ付きの施設「月兎園」の情報や全く関係ない事など

さて、本題

2006年04月30日 23時25分55秒 | Weblog
・・・そう、そこで本題。俺が最後に隊長として勤めた現場が今月末で契約終了となる。新しい警備会社に変わってしまうのだ。
辞めるときにすでに噂が立っていたのだが、まさかこんなに早くとは思わなかった。

おとといその話を聞いたので気になって現場へ向かい話を聞いた。
表向きの理由は、契約料の折り合いがつかない為の契約終了との事。
でも本当の理由はここ2~3ヵ月での社員の大量離脱に伴い警備隊が維持出来なくなったからだ。

この隊での大量離脱の件は俺も責任を感じている。またこの不安定な状態で今の隊長に引き継いだ事もだ。会社の失態の尻拭いをさせる事にもだ。申し訳ないと思っている。
しかし、大元の原因は今の会社にもある。過剰な勤務、将来性も見出せない会社に誰がついて行くというのだ。

数年前まで、この現場が今の会社の中で一番大きな現場だった。この現場から他の現場の隊長や、本社勤務の人間が数多く育って行った。それだけお世話になった現場を落とす事は、元会社にいた人間としては悲しいことでもあり、憤りも感じる。

会社にいた7年間のうち5年間くらいはこの現場のお世話になった。
俺が隊長になった理由は、この現場のため、お世話になった前隊長のため、そこに残った仲間のためだ。会社のためになんて一度も思った事は無い。
この現場で出会った人、一緒に働いた仲間たちには本当に感謝している。

幸い今度入る警備会社は前の会社より基盤もしっかりしているみたい。今度の隊長も話してみたけど、いい人で安心した。

俺は会社、制服が変わったとしても、この現場が良い形で残って行くことを祈っている。

今までありがとう!!



本題に入る前に・・・

2006年04月30日 23時01分41秒 | Weblog
つい先月まで警備会社でサラリーマンやってました。
仕事としては主に施設内の警備で(他にはお台場の自由の女神、上野の森美術館での某美術展など)最終的には管理職(一現場の隊長)として勤めてました。

今までは掛け持ちで舞台活動してたんだけど、本格的な活動をするに当たり辞める事にしました。

もう一つの理由は掛け持ちでやるのが正直シンドくもなってたし、とにかく異常なまでの働き方してたから。
仕事と舞台活動とで年間の休みか10日有るか無いか!!ヒドイ時で40日間休みが無い時も(泣)

まぁ結果的にはいっぱい稼いで太鼓買えたから良かったのかも?いやそう考えて自分を慰めてるだけかも?(笑)

子供の頃には警備員の憧れみたいなのはあったけど、社会人になり職場先のスーパーのいち警備員に横柄な態度を取られてから一気に印象が悪くなった。
バイトとしてはいいけど、警備員を正職としてはやるまいと思っていたんだけどね・・・

上京して8年のうち7年をこの会社で過ごした。
辛かった事、楽しかった事色々あったなぁ・・・辛い事の方が先行してたけど(笑)おかげで精神的にタフになりました。
ここで出会った人、友人、仲間達には本当に感謝しています!!