葦群

川柳 梅崎流青

川柳葦群45号

2018年04月11日 | 本と雑誌
葦の原推奨作品  (第45号より)
       梅崎 流青選
若返り橋があるやにゆりかもめ    淡路 放生
山脈を滴らせては葬が出る      春口倭文子
ひと言に出合いポキッと折れた牙   荻原 鹿声
ぽぽぽぽと咲くふるさとは桃の里   三村 悦子
一つ穴開けば一気に通う情      吉開 綾子
流されるだけの無情な時の川     真島久美子
ていねいに解凍される二十五時    清水美智子
生きるとはこれか世辞など言い狎れて 田中ほつ枝
のほほんと今日も命を無駄に生き   宮原 せつ
燃え尽きることもわくわくする歳に  辻内 次根
褒め言葉猫にもかけて布団干す    河内やすこ
縺れ糸辿ればとんでもない手と手   村上 久美
靴下の穴から妻が顔を出し      速川 美竹
旅ひとり岸辺の葦に誘われる     中村 鈴女
けだものの言葉で研いでいる刃物   小林 宥子

川柳葦群ノート (45)
蟹の穴
 老いと若さを隔てるものは何だろう。報道は決まって「65歳以上の高齢者」と65を一つの物差しとして「老い」を仕分ける。しかし、この65がいかに実態とかけ離れ曖昧な物差しであるかは誰しも異論がなかろう。
「夢を失ったら始まる老い」、は余りに哲学的だ。そんな時ラジオは「若い力」を電波に乗せた。
若い力と 感激に/燃えよ若人 胸を張れ/歓喜溢れる ユニホーム/肩にひとひら 花が散る/花も輝け 希望に満ちて/競え青春 強きもの
運動会で練習した懐かしい歌である。この中には日常忘れかけた言葉がいくつもある。感激、胸を張る、歓喜、輝け、希望、競え。何とまばゆい言葉たち。若さは抵抗なくそのような言葉を体に受け入れた。

このところ川柳界では「抜けてこその川柳大会」を口にする人が多くなったと聞く。そういえばいつか私の川柳教室に入会した人も「大会投句を添削してもらいたい」と申し込みの動機に上げた。
川柳雑誌に「入選のコツ」などの特集もそのような風潮に拍車をかける。
教室では、課題の一つを全員が選句する互選方式を取り入れている。そこには一つの傾向が出てくる。新人は新人に近い句をベテランにはベテランの句が集まる傾向がある。このことは大会の選句も例外ではなく新人やベテランを「川柳結社」に置き換えてもよい。
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」現象が句会や大会で起きているのだ。例えば同一課題の選者共選の場合入選句が重なる確率はどこまでも数学的な確率と近似していることもそのことを立証する。
「抜けた抜けない」は、選者という甲羅の穴に「合った合わない」に置き換えてもそれほど見当違いでもない。
選者は絶対的な存在である一方全てではない。
一方「抜けてこその川柳人」は、発表された他の川柳人の秀句に対しても感動、感激することも淡泊なようだ。
当然の振る舞いとして大会表彰者に背を向けぞろぞろと会場を後にする川柳人たち。
そういえば「若い力」の二番には、「僕の喜び 君のもの」の一節がある。これら一連の行動は「若い力」を自ら手放しているような気がしてならない。
私たちは一体何のため川柳を作るのかを今、人間性を含め各々に問いかけられている。
近詠
みかん酸っぱし純情を競い合う
勝ち独楽の傷の深さをこそ誇れ
怠惰なる時間林檎の木の下で
干し魚の無念の重さだと知ろう


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