葦群

川柳 梅崎流青

川柳葦群18号

2011年07月07日 | 本と雑誌

葦の原推奨作品(第18号より)

梅崎 流青選

広野の果てにきっと私の墓がある    末本紀美子

棘であり針で刃で春の雪        野沢 省悟

はらからを呼ぶ声で混む銀河駅     真弓 明子

もういいかい鬼がゆっくり振り向いた  木本 朱夏

雨の日は魚になっていいんだよ     柴田 美都

少しずつ空の匂いになる母と      北村 幸子

ひらひらと踊るこの世をもう少し    林  紀子

真っ白な紙を汚して生きている     緒方  章

乱れ籠きっとこの娘は帰らない     松村 華菜

神に火を借りたと刻む古代文字     板垣 孝志

凍ってる間も時は過ぎてゆく      居谷真理子

きっかけは菠薐草の茹でかげん     中村 鈴女

そつのない手紙火葬の刑にする     長井すみ子

横なぐり雷雨自分を取り戻す      大河原信昭

染まりたい色があるから白を着る    谷口 祥子

いくつもの鍵いくつもの顔がある    浜崎 博幸

川柳葦群ノート  (18

梅 崎 流 青

 毎月送られてくる月刊誌、季刊誌の中に俳句誌がある。俳句誌には必ずといっていいほど「吟行」の案内がある。

 ご存知のように吟行とは作句、作歌のため同好者が野外や名所旧跡に出かけていくことである。そういえば私の住む柳川のこの地でも時折吟行とおぼしき句帳片手の集まりを見かけることがある。

 いつか俳人の宇多喜代子が、他人の台所さえ覗き込むこれら一部の不作法を嘆いていたが、自分の足で耳や目で、そして肌で感じる万象を自分の言葉で表現することは大切なことだ。

 これら吟行で作られた俳句はその場で発表されるが、むしろその時覚えた感動を再度推敲、その後に手ごたえの俳句が生まれると聞いた。

 過日地方の川柳大会に出かけた。選者は「東日本大震災の後とあって震災を詠んだ投句が沢山あった」と前置きし、それら入選句を披露した。

 川柳が社会や人間を詠う五七五、という前提に立てば震災は伝えていかねばならない格好の材料となる。川柳は時代の証言者としての側面もあるのだ。ただ、その内容は肉親を、住む家をなくした被災者の慟哭を遠く安全地帯から被災者の声色を真似る、ということはどこまでも慎重でなければならない。それは、被災者に成り代わって涙を流してみせること自体礼を失すると思うからだ。

俳人松尾あつゆきは「層雲」に所属、長崎商業学校教諭だった。昭和二十年八月九日、長崎で被爆、妻子四人を喪った。一人は濠の中から、

一人は地に転がり妻は二十六歳で一生を閉じた。それこそ世の不条理を嘆きながら自ら木を組み立て、子や妻を焼いた。

すべなし地におけば子にむらがる蟻

炎天 妻に火をつけて水のむ

何もかもなくした手に四枚の爆死証明

 これは長く発表されなかった。初めて発表されたのは昭和三十年八月だった。アメリカ占領軍のプレスコード(報道管制)に触れたのである。

 

この松尾あつゆきの慟哭がまたもや繰り返されたのである。表現者に今求められているのは、福島第一原発に代表される「人災」への怒りや、今こそ「打って一丸となって」復興に取り組まなければならない時に「現政権の延命に繋がる」などとどこまでも政局に終始、亡国ゲームにいそしんでいる政治家に向けて発すべきだろう。

どうしても「慟哭」を書きたければ被災地を吟行してみては如何だろう。蒲団にくるまってどうして「慟哭」が書けよう。

近 詠

朽ちながら蛇はやさしき縄となる

仏壇の暗いところに溜まる日々

道化師の通ったあとの水たまり

月の夜はぞろぞろぞろと蟹動く