* 明珠の街角
琥珀色の惑星の湖面に
突然 幻の様に 町が現れる
そして、祭りの太鼓や笛の音、それに賑やかな人々の声がしばらく続く
そして、再び静寂が訪れ、
いつの間に 町が消えている
そして又、幻のごとくに赤と黄色い薔薇の花が咲く
花瓶の小さな口から、かすみの様な霧が現れ、
深い霧は薔薇を包む
霧が晴れると、薔薇は南国の街角に変化する
そこには人々の笑い、泣き ざわめく音が
森の梢のささやきの様に聞こえる
ああ、いのちを持つ人々よ
いのちこそ 愛と慈悲の源泉
それならばこそ、いのちを傷つけるのは悪
人は平和な町で
飲食をし、雑談をし、
美しい日差しを楽しむ
これこそ、いのちの喜びではないか
そこに炸裂するミサイルなど許される筈のない悪のわざ
私は神秘な風景を見て
私は故郷に帰ってきた人のように
この町の部屋で呆然と時計の音を聞く
音は波のごとく、カチッといって消え、又 カチッという
そういう風に音が聞こえる時は静寂そのものだ。
テーブルの上のあらゆる物は様々な色をなして、
まるで沈黙している生物のようだ。
窓の外で、カラスが鳴く
全てが変化し、色彩に富み、音に満ちて、森羅万象をなしているのに、
私の感じるのは一つの大きな無だ。一個の明珠だ。
それは形のないいのちに違いない。
そのいのちが星となり、惑星となり、山となり、川となり、私となる。
テーブルには猫がいる。
猫がにゃあっという
「色即是空、空即是色」と私の耳に聞こえる
幻聴だろうか
夢なのか、この世界は。
私は生きている。
だから、星も山も川も町も花も何もかも生きている
いのちは不生不滅の川の流れのよう
柳の緑と野の百合の花が川に映る
人々は美しい水に身体をまかせ
周囲の森や小鳥を楽しむ
これこそ、いのちの楽しみではないか
そこに爆弾が破裂すれば
魚も人も血を流し 死ぬのだ
いのちの水は枯れ果てていく
いのちを守れ、人と自然の宝物なのだから
昨夜、親しい友人が死んだ。 時計の音が消えたように
しかし、又どこかでカチッとならし
新しい生命の誕生があるのかもしれない
この地球のパリかリオデジャネイロ。それとも遠い銀河の
惑星の町に泣き叫ぶ赤子が誕生するかもしれぬ
その時、その惑星に二つの太陽が昇るかもしれぬ、
どんな惑星も地球のどんな砂漠も熱帯雨林の森も
虎のように美しい一匹の生き物の手の平の上にある
それは一個の明珠のようだ
街角で笑う人も、泣く人もわが手に。
一輪の野の百合の花がまばゆい朝日に照らされて
黄金の立て札のように明珠の街角に咲いている
まるで全世界は一個の明珠であるとでもいうように
【久里山不識】
この詩は何年か前に、掲載したものをかなり直して出したものです。
今年の初めに出した「未完成」に内容が似ていて、未完成より分かりやすい感じがしたもので、「未完成」を補完する詩として良いのではないかと思って、掲載してみました。
私の詩には 道元、良寛、親鸞、空海などの仏教、内村鑑三のキリスト教、マルクス主義の基礎、スピノザ、雑誌ニュートンに象徴されるような量子力学の結論などの考えが入っていると自分では思っています。決して特定の考えを披露するのでなく、現代の近代社会の価値観を再構築することによって、争いの根源をなくし、人類の危機を脱する方向性を持つ文学(今回は現代詩)の構築を目指して書いているものです。
私の力を大きく上回る作業ですけど、久里山不識詩集[FC2】の最初に書いてあるように、それを学生時代から五十年延々と今までやってきて、微力ながら文学表現してきたので、少しは皆様のお心に届けられるものが私の心に構築されてきているのではと思っています。
核兵器をなくす、温暖化阻止をテーマにした小説「森に風鈴は鳴る」の電子書籍は百冊近くさばけ、感謝していますけど、それ以上広がりません。おそらく純文学としての力不足があるのではと思い、再度、推敲に挑戦しようと思っているのですが、中々、前へ進みません。体調回復の努力も必要です。
世相はニュースなどの情報を見るかぎり、あまり良いとは思えません。若い人の活躍が望まれるのですが、苦しい立場に追いやられている若い人の情報を知ると、胸が痛みます。過重労働、賃金が上がらない、住宅費が高い、消費税をなくすべきなのに、そうはならない、ハラスメントや中傷の問題、問題は山積していますが、これは多くが政治の問題ですよね。
正しく見るには、価値観がしっかりしていないと、思うのですが、その価値観が戦後、崩れてしまいつつあるようです。どっぷり、金銭至上主義の社会になってしまい、競争が激しいからでしょうかね。
私の若い頃からと比べて大きく見ると、便利で豊かな社会なっているのに、この間、ある報道で、SNSを使った子供のいじめが増加していると知り、驚きました。子供の自殺未遂などの話を聞くと、気の毒と思うと同時に、どうして未然に防げないのかと怒りをおぼえますね。
これは結局、大人の社会の反映とも思われますね。ごく一部の大人がマナー違反を超えて、「法律はどうなっているの」と思いたくなるようなことをやっているし、昔の善良な日本人が素朴に信じていた宗教の原理に反することをやっているのですから、そんな雰囲気が子供の中に浸透していくのではないでしょうか。悲しいことです。
道元は愛語を重要視します。それを知っているかのように、助け合う動きが希望の灯のように立ち上がる多くの人達の情報を聞くと、明るい人類の未来を期待するのですが、どういう風に動いていくか、まさに、人類の危機を感じざるを得ませんね。私の文学もそういう世相に、少しでもお役にたてる優れた価値観の構築に文学で貢献したいと願うものですが、力がそこまで届くか、今の段階では、分かりませんね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます