緑の風

散文詩を書くのが好きなので、そこに物語性を入れて
おおげさに言えば叙事詩みたいなものを書く試み

NEW 森に風鈴が鳴る 前編とお知らせ

2023-08-21 14:24:29 | 

 

   
   
 
【久里山不識】
「霊魂のような星の街角」「迷宮の光」( アマゾンで電子出版)

夢のゴンドラ(poem)

2023-03-04 12:48:00 | 日記

 

 

 

夢のゴンドラ(poem)

 

春の日差しの降りかかる舟の上

大男の船長は悠然とオールを漕いでいる

ナーラはパレットに絵具をなすりつけている

ゴンドラはゆったりと動く

ここはヴェニスか蘇州か、それとも夢の中

 

ふと美しい蝶がゴンドラの上にとまる

金色の素晴らしい羽をゆっくり動かす

いのちは花も小鳥も昆虫もそれぞれの形を変えて現れる

DNAの長い鎖が思い出される

ATGCの塩基が暗号のように階段状に並び、

二重螺旋につながっている。

夢想の中では、それぞれの塩基には色がついていた、どんな色だったか忘れた

ゴンドラはゆっくりと周囲の風景を変えながら、進んでいる

 

川の向こうに明珠の街角が見える

ビルの窓には、可憐なバラの花が咲いている

夢見ごこちで見る、ナーラの微笑そして町の静けさ

 

ああ、その時、青空の街角で

パパ、ママと言う兄弟の泣き声がする

上の子の表情は悲しみと苦しみに満ちている

何がかくも悲惨な表情を作り出すのか

ああ、救え、この悲しみをこの地上からなくせないのか

戦争がある、地震があると耳元で、ささやく声がある

 

川の向こうに古典的な古い美しい廃墟の城が見える

遠くで稲光がした。

しばらくすると、空に黒雲が続き

稲光と雷の来襲と共に、夜のように、暗くなった

 

やがて、一瞬の暗闇に光が射すと、

天から聞こえるように

先ほどの緑に満ちた美しい街角で

再び、パパ ママと泣き叫ぶ声がする

雷が天から地に落ち、空間を引き裂くように

その表情に痛ましいものはなかったか

天と地にひそむ神々の心をゆるがすものはなかったのか

ああ この平凡なゴンドラの上で

いのちの神秘を知り

ああ、パパ、ママと叫ぶ子供たちにほほ笑みと食料を渡し

どうしたのと優しい言葉をかけようではないか

 

大男の船長はゴンドラをとめ、

「坊や、どうした」と声をかける

その満面の笑み

それが子供達を救った

ああ、子供たちの美しい笑い声

誰もが慈しみあっている町になった。

そこは、永遠の今が見える広場になっている。

おそらく、そこで、コーヒーを飲む時、永遠が舞い降りてくる

そのような時、どこからともなく祭りの太鼓 祭りの笛が聞こえてくるものだ

 

そうした夢のような幻想からはっとして、ナーラに呼びかけられているのに気付く

ナーラの絵には、青色の川と河岸のビルや広場や森が描かれている

 

確かに今まで気がつかなかったのが不思議なくらいで、あちこちから心地よい小鳥の声

幾種類の声がまるで室内楽のように、自然の音楽をかなでていた。

ナーラの髪は岸に向かって吹く春の微風にひらひらしていた。

この女性そのものを理解するという論理を科学は持つていない

人間は一個の分割できない宇宙なのだ。

この宇宙そのものが生命なのだ。

ゴンドラから見える、鳥のさえずり、アカシアの並木、川の流れ、春の青空そうした全ての風景を一つにする

この人間という宇宙こそが生命なのだ、自然は奇跡であり、人こそ奇跡の人なのだ

鳥のさえずり、アカシアの並木、川の流れ、春の青空、そうしたすべての風景を一つにするこの人間という宇宙こそが神秘そのもなのであり、生命は分割しては理解できない。

せいぜい、そのあまりにも複雑な細胞組織に驚嘆するくらいのものだろう

 

河岸の風景にうっとりすると、「全世界は一個の明珠である」と囁く声がする

 

 

 

 

 

【久里山不識】

1   読んでいただき、ありがとうございました。

2 年相応の故障のため、三月下旬までお休みします。よろしくお願いします。新しい作品「明珠の町」はgooブログ「空華ー日はまた昇る」に

掲載しました。【2023年 3月  21日】

 


奇跡の人(poem)

2023-02-07 20:34:14 | 日記

 

奇跡の人

1

おお、寒いのに、明珠の街角に

春がそこまで来ている

街角にはまばらに雪がちらついているのに

おお 黄色いフリージアがさっそうと空に伸びている

 

羽がブルーで、可愛らしいルリビタキが鳴いている

おお、その音楽にも似たいのちの喜びの響き

 

もう梅も咲いているかもしれない

や、まだかな、それにしても、もうすぐだ。

小鳥の鳴き声には春のかおりがある。

小川のせせらぎは澄んで、安らぎの光が射している

柳の木には、緑の芽、桜の木には花のつぼみ

 

春が来たら、何をしよう

あの香り豊かなおいしい空気を吸ったら、何をしよう

まず、生きる喜びを感じるだろう

自然の優美さを真実の自己の精神の奥深くでとらえ

町いっぱいに花を飾り、森羅万象の不死のいのちを語ろう

 

ああ、あれから、八十年が立った

地球のあちこちに戦火の火種がくすぶり、

今や人類滅亡の終末時計が二分前という不気味さだ

 

ああ、青空に白い雲、缶コーヒーを飲む手に光が差し込む

この春の日、時は愛と慈悲を指さす。

それなのに、ベンチの上にある新聞紙に終末時計の活字が躍る

池には、水芭蕉の花。

メジロやホオジロの飛び交う緑を眺め、

行きかう平和な人々を見る

 

浦島太郎のような気持で春の池を見るのは誰?

若かった頃には、終末時計などあったろうか。

 

人は忘れてしまったのではないか。

全世界は一個の明珠であるということを

明珠をこわそうとミサイルと核をつくり、

宇宙のいのちに何のいたずらをしようというのか

 

ああ、誰かがピアノを弾いている

路地を流れていく音色の響きは多くの窓に聞こえてくる

人々は春の花を見、やわらかな光を見て、愛と慈悲を知る。

 

祈ろうではないか、平和への声をあげようではないか。

我々の絆を深めようではないか。

 

2

ああ 夏の町に詩人の歌声を届けよう

海水の美しい夏空の下で逞しい肌を見せる男女の群れ

砂浜に耳をよせて聞けば

不思議な海の底のひびき、永遠の祈りにも似たそのささやき

時として 雷雲おこり 大砲のような雷の音と稲光

宇宙の新しい生まれかわりの日のように

その時の天使の合唱のように

聞こえてくる 夜のしじま

あたたかい南風にゆられて、歌声がこの夏の町に送り届けられるだろう

酷熱の太陽に照らされた清潔な町よ

詩人は町の輝くような逞しさを そこに働く人々の労働の汗を愛するのだ

そして夏の夜に飲むビールの歓喜

夏の星空が ひろがる中で 岩にしみいく清流のように 陶酔に酔う時

詩人は生きる喜びを歌にして、この町の人々に伝えよう

酷暑に挑戦する向日葵の逞しさを働く人は汗とビールで知っている

 

あれから 八十年が立った。

便利になり、物は豊かになり、スピードのある生活がおくれる

それで、人はしあわせになったのだろうか

 

核兵器と温暖化の恐怖はその豊かさの裏側にある

核兵器をこの地上からなくそうではないか

 

ああ、夏の小川の素晴らしい水は大地の宝石、それを眺めていたい

いのちは生きた無の中に立ち上る不死のもの

人間は奇跡の人なのだ

我々は忘れてはいないだろうか 愛と大慈悲心の釈迦の教えを

 

向日葵が咲き、夏のいのちを歌っているではないか。

蝉がなき、不死のいのちを歌っているではないか

深い生命の声が聞こえるではないか

大地には無数の昆虫が、空には鳥が飛び交っている

ああ、それなのに人は真理の明珠を忘れてしまったのではないか

 

      

3

ああ 秋の町に手紙を届けよう

秋晴れと雨の日の交替という楽器にも似たうつろいやすい空の人生

そして又、若い男女の青春期にうちこむスポーツと読書

それらすべてを、この青空は知っている

澄んだ青空にも 曇る空にも いのちの芸術を感じる

震える魂のペンを手にして白い便箋にむかうのだ

やわらかい日差しに満ちた秋の町に

冬の到来を予感させる寂しさがあるにしても

こんなにも穏やかな日を恵んだ天をたたえる詩を書き、手紙の一部としたのだ

 

この手紙が町に届けられる時

町は学校の運動会や文化祭も終わり

街路樹の紅葉がしだいに落ち葉となっていく

 

      4

ああ、冬の町に、孤独の詩を届けよう

雪降る日 ハートは永遠の重みのために 深い憂いに包まれている

あたたかい部屋の中で 本を読みながら寒さが外の世界を荒らしまわっていることを感じる時

宇宙の寒さと終局を感じてしまう

ああ、今、あの星は冬の寂寥とした荒野にかこまれていかなる寂しさを味わっているのだろう

そして又この星は、燃えつきた愛の炎に再び点火するエネルギーを待っている

宇宙の広大さに目を向ける時

冬の町のショーウインドーがクリスマスと正月にはさまれて

にぎやかな飾り はなやかな歌声に満ちているけれども

月夜の晩に感じる あのぞっとする孤独

その中で予感される死への旅路をあの星も、この星も、さし示しているように思われてならないのだ

だが、そうした にぎやかな冬の町に予感される死をはらいのけて

生命の歌を たえず生きつづけていく愛の詩を送ろうと思う

 

 

        5

ああ あれから 八十年が立った。

雪は綺麗で、物語を生むが、生活している人は大変だ。

 

そして熱いコーヒーを飲む 生きる喜びを感じる時だ

この生きる喜びを守ろうというのが平和憲法だ。

 

今の憲法は基本的人権と九条で、人類の歴史に燦然と輝く宝石のようなもの

確かに、地球には弱肉強食の軍備が増強されて、不安を感ずる人は多い

 

終末時計は二分前なのだ。

どこかの国が平和のイニシアティブ、核兵器廃絶の旗を振らねばならないのだ

それは九条を持つ日本ではないか

 

世界の人は軍縮に目を向けるべき時にきている

格差と差別のない社会を実現し、目を宇宙の神秘に向けようではないか

人はみな仏性なのだ、神秘の生命体なのだ。奇跡の人なのだ

愛と慈悲心を知った者だけがこのいのちの深い神秘を知っている。

 

 

 

【久里山不識】

1 読んでいただき、ありがとうございました。それから、まだ小説「森に風鈴は鳴る」を読まれていない方は、ぜひこの機会にパブ―で電子書籍にされていますから、ぜひお読みになってくれればと思います。無料です。よろしくお願いします。

2 全ての日本人は日本を守り、平和が長く続くように、願っていると思います。ただ、どうやって守るかで意見が分かれます。

国会で議論するしかないと思います。国会議員の責任は重いと思います。議員を選ぶ国民の責任も重いと思います。[ 意見が違うから といって、マナー違反をする人がいるとすれば、それは教養ある人とは言えませんね。民主主義の基本も知らない人だと思います  ]

 


満月の光(poem)

2023-01-25 20:24:50 | 

 

満月の光(poem )


ふと思う、旅の悠久の流れ
人間社会の善だの悪だのと争うことも夢のよう
ミサイルだの戦車だのが消え、わが山荘に、梅のような花が降っている、
そこで、永遠の古典を読み、神仏の空気を吸おう、

街角は花壇にあふれている、果物と音楽
ベンチで人が微笑し、やわらかい雲が塔をつくっている
私は歩いている、無一物で歩いている
向こうから、友が来る、無一物でやってくる

おお、友よ、ここに透明な庭園と森をつくろう
そしてどこからともなく訪れる妖精の国としよう
汚れのない、砲弾のない、花のような、宝石のような街角
人が永遠を知ることの出来る町をつくろう
空気がおいしい街角、呼吸して霊気を感じられる街角があれば
太陽が神である街角、友よ、そのカフェーで珈琲を飲もうではないか
 
夜は天の川の見える星空となる。

庭園には様々な花が開き
かぐわしい香りがあなたから発せられるのだろうか
あなたの目は微笑している、薔薇のように
あなたの目は涙にうるんでいる、紫陽花のように

おお、せせらぎの優しい音が芸術のように奏でられている
優しく、そして激しく、あなたの音色は神秘な色に満ちている
百合の花に似たあなた、どこから姿を現したのですか
海に沈む夕日の輝きがあなたにはある、ああ、熱帯の鳥の声

先程から降る雨の音を聞きながら、あなたの顔を見ているこの私
私は、今消え入りそうです、今ここの永遠の懐のなかに
雷が聞こえます、私は朝、目を覚ましたかのようにあなたを見る
あなたは笑っている、黄金のように
あなたは泣いている、真珠のように
夜、どこからともなく響く、ヴイオロンのすすり泣きと微笑

 庭に咲く向日葵のような大きな赤い花の横に、明珠の国の目をした女が立っていた。満月の光に照らされて、細く白い首に明珠のネックレスをつけた彼女はすらりとしていて、幻想的な美に満ちていた。全世界は一個の明珠であると、彼女は言って、私に微笑んだ。
「ミサイルが飛び出るのを見てみなさい」と彼女は言う。
それが行きつく先で、多くの人が死ぬ
空海の言葉を思い出すのがいい「三界の狂人は、狂せることを知らず」
アイゼンハウアー氏が言ったことも思い出すのです
「 産軍共同体の力に気をつけなさい」
戦争は悪、武器は悪、
明珠の国に目覚めた者はそう思うのです
軍縮こそ人類の道、そのためには話し合わねば
明珠の街角にたたずむ彼女はそう微笑む
満月が赤い花を照らしだしていた。
全世界は一個の明珠である

その明珠の街角で、
満月の光が届くカフェテラス
花壇に咲くは明珠に包まれた花
そこで、永遠について語ろう
コーヒーの味も浄土の味がする
どこからか歌声が聞こえてくる
全世界は一個の明珠であると


歌声はさらに続く
「政府に影響力を与える産軍の力を見て
世界情勢を見ると、
平和な国土を守る日本がどう動くべきかよく分かる
軍縮のための話し合い外交こそ、日本を守る」

全ての国の人々は友人である
全世界は一個の明珠であるという釈迦の悟りの境地を学習すれば
全ての国の人々は友人であることが分かる
喧嘩する必要性などないのだと説得する、それが話し会いではないか
その時、世界に美しい花火が上がる
美しい大きな花が空から舞うに違いない
永遠のいのちが喜びで美しい踊りを見せ、
聞いたこともない胸にしみる浄土の音楽が聞こえてくるに違いない







【久里山不識】
現代詩を創作するのはそう易しくないです。私が過去五十年に吸収した宗教哲学のエキス
と現代社会を見る目をミックスして、そこから咲く幻のような美しい花を結晶化させねばならないのですから。そして、何よりも大切なことは読者の心に何かしらの美しい花を届けねばならないということが大切なのですから。

現代詩であるからには今、世界終末時計に示されるように大変な危機にあるのですから、出来れば
そこから脱出するイメージも入れたい所です。
今回は産軍共同体を入れてみました。このことはアメリカのアイゼンハワー大統領が退任挨拶で、アメリカ国民に警告したことで、大変有名な演説で、私も若い頃から、記憶していたものです。

 

 


明珠の街角(poem)

2022-12-24 20:27:22 | 

 

* 明珠の街角
琥珀色の惑星の湖面に
 突然 幻の様に 町が現れる
そして、祭りの太鼓や笛の音、それに賑やかな人々の声がしばらく続く
そして、再び静寂が訪れ、
いつの間に 町が消えている
そして又、幻のごとくに赤と黄色い薔薇の花が咲く
 花瓶の小さな口から、かすみの様な霧が現れ、
深い霧は薔薇を包む

霧が晴れると、薔薇は南国の街角に変化する
そこには人々の笑い、泣き ざわめく音が
森の梢のささやきの様に聞こえる

ああ、いのちを持つ人々よ
いのちこそ 愛と慈悲の源泉
それならばこそ、いのちを傷つけるのは悪
人は平和な町で
飲食をし、雑談をし、
美しい日差しを楽しむ
これこそ、いのちの喜びではないか
そこに炸裂するミサイルなど許される筈のない悪のわざ

私は神秘な風景を見て
 私は故郷に帰ってきた人のように
この町の部屋で呆然と時計の音を聞く
音は波のごとく、カチッといって消え、又 カチッという 
そういう風に音が聞こえる時は静寂そのものだ。
 
テーブルの上のあらゆる物は様々な色をなして、
まるで沈黙している生物のようだ。
 窓の外で、カラスが鳴く
全てが変化し、色彩に富み、音に満ちて、森羅万象をなしているのに、
私の感じるのは一つの大きな無だ。一個の明珠だ。
それは形のないいのちに違いない。
 そのいのちが星となり、惑星となり、山となり、川となり、私となる。
テーブルには猫がいる。
 猫がにゃあっという
「色即是空、空即是色」と私の耳に聞こえる
 幻聴だろうか
夢なのか、この世界は。
私は生きている。
だから、星も山も川も町も花も何もかも生きている

いのちは不生不滅の川の流れのよう
柳の緑と野の百合の花が川に映る
人々は美しい水に身体をまかせ
周囲の森や小鳥を楽しむ
これこそ、いのちの楽しみではないか
そこに爆弾が破裂すれば
魚も人も血を流し 死ぬのだ
いのちの水は枯れ果てていく
いのちを守れ、人と自然の宝物なのだから

昨夜、親しい友人が死んだ。 時計の音が消えたように
しかし、又どこかでカチッとならし
 新しい生命の誕生があるのかもしれない
この地球のパリかリオデジャネイロ。それとも遠い銀河の
惑星の町に泣き叫ぶ赤子が誕生するかもしれぬ
その時、その惑星に二つの太陽が昇るかもしれぬ、
 どんな惑星も地球のどんな砂漠も熱帯雨林の森も
虎のように美しい一匹の生き物の手の平の上にある
それは一個の明珠のようだ
 
街角で笑う人も、泣く人もわが手に。
一輪の野の百合の花がまばゆい朝日に照らされて
黄金の立て札のように明珠の街角に咲いている
まるで全世界は一個の明珠であるとでもいうように





【久里山不識】
この詩は何年か前に、掲載したものをかなり直して出したものです。
今年の初めに出した「未完成」に内容が似ていて、未完成より分かりやすい感じがしたもので、「未完成」を補完する詩として良いのではないかと思って、掲載してみました。
私の詩には 道元、良寛、親鸞、空海などの仏教、内村鑑三のキリスト教、マルクス主義の基礎、スピノザ、雑誌ニュートンに象徴されるような量子力学の結論などの考えが入っていると自分では思っています。決して特定の考えを披露するのでなく、現代の近代社会の価値観を再構築することによって、争いの根源をなくし、人類の危機を脱する方向性を持つ文学(今回は現代詩)の構築を目指して書いているものです。
私の力を大きく上回る作業ですけど、久里山不識詩集[FC2】の最初に書いてあるように、それを学生時代から五十年延々と今までやってきて、微力ながら文学表現してきたので、少しは皆様のお心に届けられるものが私の心に構築されてきているのではと思っています。
核兵器をなくす、温暖化阻止をテーマにした小説「森に風鈴は鳴る」の電子書籍は百冊近くさばけ、感謝していますけど、それ以上広がりません。おそらく純文学としての力不足があるのではと思い、再度、推敲に挑戦しようと思っているのですが、中々、前へ進みません。体調回復の努力も必要です。


世相はニュースなどの情報を見るかぎり、あまり良いとは思えません。若い人の活躍が望まれるのですが、苦しい立場に追いやられている若い人の情報を知ると、胸が痛みます。過重労働、賃金が上がらない、住宅費が高い、消費税をなくすべきなのに、そうはならない、ハラスメントや中傷の問題、問題は山積していますが、これは多くが政治の問題ですよね。

正しく見るには、価値観がしっかりしていないと、思うのですが、その価値観が戦後、崩れてしまいつつあるようです。どっぷり、金銭至上主義の社会になってしまい、競争が激しいからでしょうかね。
私の若い頃からと比べて大きく見ると、便利で豊かな社会なっているのに、この間、ある報道で、SNSを使った子供のいじめが増加していると知り、驚きました。子供の自殺未遂などの話を聞くと、気の毒と思うと同時に、どうして未然に防げないのかと怒りをおぼえますね。
これは結局、大人の社会の反映とも思われますね。ごく一部の大人がマナー違反を超えて、「法律はどうなっているの」と思いたくなるようなことをやっているし、昔の善良な日本人が素朴に信じていた宗教の原理に反することをやっているのですから、そんな雰囲気が子供の中に浸透していくのではないでしょうか。悲しいことです。
道元は愛語を重要視します。それを知っているかのように、助け合う動きが希望の灯のように立ち上がる多くの人達の情報を聞くと、明るい人類の未来を期待するのですが、どういう風に動いていくか、まさに、人類の危機を感じざるを得ませんね。私の文学もそういう世相に、少しでもお役にたてる優れた価値観の構築に文学で貢献したいと願うものですが、力がそこまで届くか、今の段階では、分かりませんね。