住民の歴史:津高半田山緑道・町内会

町内会結成の頃(1971年~1976年)
緑道を求めた住民運動の記録(1986年~1987年)

1.住民運動のきっかけ

2022-04-19 01:00:00 | 住民運動

1986年、今から35年前の9月。

「半田山ハイツ」の住民は、うわさに聞いていた「隣接して開発される新団地」の計画を、正式に知らされました。

開発業者が、町内会議の場所に、図面をもって説明に来たのです。

 

開発の図面を目の当たりにした住民は、驚きました。

サクラを植え、草刈り機を振り回してきた法面と、デッキブラシでしごいた川底が、

開発業者に売り渡されて、宅地になる!

 

説明会当日、傍聴した住民のメモ書き。

--------------------------------------------

1986年9月25日

町内会議にて、開発業者・熊谷組からの説明あり。

(役員の他、傍聴人も出席)

熊谷組の説明によると

1. 津高住宅団地造成は6年前から計画し、1986年から地権者(地主)と交渉を始めた。

2. 県と市には開発の許可申請をだした。

3. 32町歩の土地に16町歩の宅地を計画、1区画60坪で840戸を予定している。

4. 半田山ハイツの生活排水は、南端の市道横に水路(ボックスカルバート)を埋めて送り、その上に3m程度の緑地帯を設ける。

5. 市道の法面は開発地域とし、その部分は40戸ほどの宅地とする。

------------------------------------------------------

説明を聞いてイメージしたのは下図。

桜並木だった道路の南側に、一面の住宅が並ぶ⁈

のり面の桜はどうなるんだろう⁇

とても納得は出来ないと、自然発生的に住民が集まりました。