半田山ハイツ第3公園のヒューム管。
緑道の下に埋められて、半田山ハイツを通過する雨水を流しているのと同じもので、
津高台団地造成の際、工事で使えなかった(余ったか、何かの不都合で)ものでしょう。
「子どもはトンネルに入るのが好きだから」と考えた当時の町内会長が、
団地内3か所の公園へ置いてもらったと、記憶しています。
(第一公園のヒューム管は撤去しており、現在はありません)
緑道が出来てから30年以上経ちました。
当時を振り返って「津高半田山緑道が出来るまで」の記録を書きとめます。
運動にかかわった地域住民が、保存していた公文書・町内配布チラシなどです。
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緑道は津高台団地の開発に伴ってできたものです。
当初の「開発計画案」は
「法面は、開発地域として業者に売却し、宅地にする」でした。
周辺住民は、「市の土地が宅地に変わるのは認められない」
と住民運動を起こし、市有地は売却されずに残りました。
次の段階、「法面を埋めた土地の姿」については
「底地の形を変えずに、公園か緑地に」を要望して市と交渉し
ようやく「津高半田山緑道」が出来ることになりました。
その、住民運動の記録です。
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