
明日1月17日で、阪神・淡路大震災から13年を迎えます。
瓦礫の山、焦土と化した街は生まれ変わり、一目見ただけでは、ここがかつて被災地とは分からないであろうほどの姿を見せています。
街も、そして人も、13年で変わりました。私の身内にも、震災を知らない世代が2人生まれました。
しかし、この街には、あの日止まったままの時間を、まだ動かせずにいる人がいます。
ここで紹介する記事も、そんな1人の話です。
■ シャネルの5番・お守り…震災遺品帰れず 神戸の比女性(朝日新聞・2008年1月6日)
街や人を変えるには、十分すぎるほどの13年という年月。
しかし、それだからこそ、その空白は少しずつ埋めがたいものになります。
13年前に異国で客死した人に縁のある人を探すのは困難なことでしょう。そして、年月が経てば経つほど、ますます困難になりゆくのは、私とて理解できることです。
街や、そこで暮らす人々が受けた多くの傷を癒したであろう歳月の流れが、領事の願いに重くのしかかっていきます。
震災は、日々を経るごとに、確実に過去の出来事になろうとしています。
ですが、まだ13年の時を経てなお、いや、年月を経るからこそ、癒えぬ傷もある。
過ぎ行く月日は、重なり行く年は、埋めることのできない空白として、痛みをさらに増していく。
そして何より大事なことに、災害がもたらすその空白は、時を動かせなくなる痛みは、いつ降りかかってもおかしくないものなのです。このエントリをお読みのあなたにも、私にも。
だからこそ、改めて、当ブログから皆さんに訴えさせていただきたい。
震災は、まだ終わってない。
間違っても、終わったことにしたらあかん。
あの日、この街にいた私たちへの、そして、他ならぬあなたへの訴えです。
瓦礫の山、焦土と化した街は生まれ変わり、一目見ただけでは、ここがかつて被災地とは分からないであろうほどの姿を見せています。
街も、そして人も、13年で変わりました。私の身内にも、震災を知らない世代が2人生まれました。
しかし、この街には、あの日止まったままの時間を、まだ動かせずにいる人がいます。
ここで紹介する記事も、そんな1人の話です。
■ シャネルの5番・お守り…震災遺品帰れず 神戸の比女性(朝日新聞・2008年1月6日)
街や人を変えるには、十分すぎるほどの13年という年月。
しかし、それだからこそ、その空白は少しずつ埋めがたいものになります。
13年前に異国で客死した人に縁のある人を探すのは困難なことでしょう。そして、年月が経てば経つほど、ますます困難になりゆくのは、私とて理解できることです。
街や、そこで暮らす人々が受けた多くの傷を癒したであろう歳月の流れが、領事の願いに重くのしかかっていきます。
震災は、日々を経るごとに、確実に過去の出来事になろうとしています。
ですが、まだ13年の時を経てなお、いや、年月を経るからこそ、癒えぬ傷もある。
過ぎ行く月日は、重なり行く年は、埋めることのできない空白として、痛みをさらに増していく。
そして何より大事なことに、災害がもたらすその空白は、時を動かせなくなる痛みは、いつ降りかかってもおかしくないものなのです。このエントリをお読みのあなたにも、私にも。
だからこそ、改めて、当ブログから皆さんに訴えさせていただきたい。
震災は、まだ終わってない。
間違っても、終わったことにしたらあかん。
あの日、この街にいた私たちへの、そして、他ならぬあなたへの訴えです。
このエントリの上に、写真だけで本文が何もないエントリを作成しました。
お分かりの方もいらっしゃるでしょうが、エントリの投稿日時は、
13年前、阪神・淡路大震災が発生した時刻に合わせております。
このエントリは、震災の記憶を改めて心に留めるためのものであります。
この時間には、私も震災で犠牲となった方々に黙祷を捧げることにしております。
ですので、もし皆さんの中でご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、
エントリに刻まれた時、5時46分30秒に黙祷を捧げていただきますよう、お願い申し上げます。
なお、明日1月17日は勝手ながら最低限の活動(スパムコメント・TBの削除等)を除き、
ブログ上での活動を控えさせていただきたいと思います。
したがいまして、記事にコメント・トラックバックをいただきましても、レスが遅れる場合があります。
誠に勝手ではございますが、明日1日は震災の被害に思いを馳せる日にしたいと思っております。
それ以降は、普段と変わらず皆さんに楽しい話題を提供していきたいと思っておりますので、
ご理解のほどお願い申し上げます<[__]>
珍しく目が覚め、点けたばかりのストーブの前で、
ラジオを聞いていました。
ラジオの速報で、地震をしり、
すぐテレビをつけましたが、
現場が物凄く混乱してたんでしょううね、
明るくなるまでこんなに被害が大きくなるとは、
想像もしませんでした。
阪神・淡路大震災と実際に経験した
1993年7月12日奥尻沖地震は、
忘れることができない日となってます。
合掌
それでも昼前になるまで、被害の実態はほとんど伝わりませんでした。
関東や東海地方ならまだしも、まさか関西で大地震なんて、という浅墓な考えもありましたし……
だからこそ、自分の住んでいるところは大丈夫だと信じきっている人々に、
改めて警鐘を鳴らしたいという思いは強いです。
何が起こったのか理解できず、ラジオをつけた人間の1人です。
そして、天変地異のたびにいつも思うのです
「マスコミはネタだとしか思ってないよな」と。
残念なことに、あれからも天災による被害は後を絶たないのですが、
ローカライズされていないメディアに対して期待するような間抜けでなくなったのが、
私が得たものの一つだとは思います(苦)
その日一日は不安を感じながら、落ち着かず過ごしましたが、
気がつけば、当時の被害状況などの記憶は薄れつつあります。
決して、この日のことを忘れた訳ではないのですが…。
むしろ、記憶が薄れるからこそ救われる人だっているわけですし。
とはいうものの、天災が決してなくならない以上、
掘り起こせる記憶は掘り起こした方がいいのかな、とは思ってます。