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にわか日ハムファンのブログ記念館

2004年8月から2014年6月にかけて更新してきた当ブログを静態保存しております。

【2013北海道・東日本の旅】(25)小本へ

2014-01-06 07:15:27 | さすらいブロガー旅情編
 私は小本行の列車に乗ったまま、宮古を離れてしまった。こうなったら、遅れがこれ以上広がらないことを期待するしかない。
 しかし、一の渡駅手前になると、信号は赤のまま。当然、列車は停車する。



 ここで、付近にいた係員から運転士がタブレットを受け取る。キャリアには「指導」の赤い腕章が巻かれている。ややこしいことだが、代用閉塞方式の指導通信式の一種となるのだろうか。
 タブレットは自動式の信号(われわれがよく見る鉄道の信号だ)がない単線で、列車が両方向から進入するのを防ぐために用いるものだ。
 なので、既に信号が自動化されている三陸鉄道では、普通なら使わないのだが、今は信号システムに異常があり、そのままでは列車が運転できない。それで、代替手段としてタブレットが用いられているのだろう。
 もっとも、今は1列車のみがピストン運行されているはずだが、車両数が2両以上あるからには、一定区間には1つの列車しか入らないよう、手段は講じなければならない。
 そこで、この「指導」の腕章が巻かれたタブレットキャリアを持つ列車のみが、当該区間に進入できるようにしたのだろう。
 普通は腕章を巻いた人間が「指導者」として乗車するのだが、人手が足りなければあり得ることだ。この場合、タブレットは「指導券」という扱いになる、という解釈でいいのだろうか。
 この方法を講じるには、当該区間に他の列車が入っていないことを確認する人員が必要だ。係員が「指導者」にならない理由の1つは、おそらくそれだろう。
 もちろん、これも通常ダイヤでは可能性が無いはずなのだが、規則上は必要なのだろうし、そのダイヤが乱れている以上、事故の恐れは生まれる前に摘んでおくのが得策ではある。



 列車は田老駅の手前で再び停止信号に遭う。ここからは係員が乗り込んできた。



 係員とともに駅に向かう。先程過ぎた信号自体は赤なので、慎重に前方を見ながらの徐行運転になる。
 駅に着くと、係員がタブレットを回収。すると、目の前の信号は青に変わった。ここからは、通常通りの運転ができるのだろう。



 運転席が一段落したところで、ふと海岸線に目が行く。堤の内側で、工事が行われている。



 大震災まで、ここには何があったのだろう。どんな人が暮らしていたのだろう。
 これから、ここに何ができるのだろう。どんな人が暮らすのだろう。あるいは、暮らす人はいるのだろうか。何も分からない。



 さらに工事が進んでいるところ。ただ、普通ならそれなりの高さと厚みのある堤防に見えるはずのものが、どうも頼り切れないものに見えてしまう。「普通なら」という「普通」とは、もはや過去のものでしかないのだ。
 小本の手前で、運転士が乗客に声を掛ける。小本から北への代行バスに乗る乗客の数を確認すると、どこやらに連絡を取っているようだ。
 こうやって接続待ちをしてくれるからには、帰りでも……いや、期待するのは甘えというものだ。



 そして列車は終点の小本着。12分遅れ、このままなら、宮古に戻った先の列車には間に合わない。が、北に行ったら宿はさらに遠くなる。どれだけ遅れても、引き返すしかない。
 ともあれ、小本から久慈方面に目をやる。出発信号は電気が灯らないまま、再開の時を待ちながら眠っている。



 さらに先に押し込められた列車。これが再び北を目指せる日がいつになるかは、まだ分からない。
 ただ、三陸鉄道という会社が、その日を本気で目指して動いているということは、分かっている。


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