私の春

2008-04-12 23:15:27 | 日々思うこと
哲学の道を歩いたのは 何年ぶりだろう
道は あの頃と何も変わってはいなかった
桜が 行く道を淡い彩りに染めている
南禅寺まで どれくらい歩いたろうか

途中 谷崎潤一郎の墓碑のあるお寺に立ち寄る
侘び寂びの文字のある墓碑は
紅枝垂れの咲く下に ひっそりと佇んでいた
訪れる人もない 静かな場所 静かな時間・・

行き交う人が それぞれの思いに浸りながら
何気ない会話を交わしながら 桜の木の下を 歩いている
私もその中の一人となって くれかけた小道を 歩いていく

人は誰かと一緒に歩いていても 
二人の思いの重なる時間はほんの瞬く間
それでも そこには柔らかい空気が流れていく
まだ私にこんな時間があったなんて 人生は すてき     
・・・・やわらかな 春の夜

翌朝 思い立って 近鉄急行に飛び乗った
思えば 京都の桜は何回か見ているけれど
奈良の桜は見たことがないのだった

朝が早いため 東大寺の周りも人影は少ない
手向山神社の脇の桜の花の下で駅で買ったパンをかじる 
ほんの少し 盛りが過ぎたのか 地面は桜色のじゅうたんになり
時おり吹く風に はらはらと花びらが舞い降りてくる
少し冷めたコーヒーでもおいしく感じられる

こういう一人の時間が好き

私は 私の前世はきっと 奈良時代あたりの
東大寺の二月堂のあたりに暮らしていた猫だと思っている

手向山神社の鳥居の横の坂道を登り
四月堂や法華堂や二月堂のあたりを散策して
お水取りの大松明を持った僧侶が駆け上る回廊を降りて
大湯屋を横に見ながら 大仏殿の裏側に下りていく坂道・・

その坂道を通ると 
小さい時によく行った温泉場の坂道に感じるのと同じような
なつかしい 温かい気持ちがこみ上げてくる
そう ふるさとのない私だけれど
きっと ふるさとに帰るという感覚はこういうものかな
そんなふうに 奈良のこの坂を歩いていると感じられてくる

若い時から 奈良に来ればこの坂をいつも歩いた
そして いつも懐かしい気持ちが沸き起こった

だから 私はきっと ここにいたことがあったんだと思う
猫のように ずっとこの坂道の春の陽だまりの中にいたい
私を包み込んでくれる空気が ここにはあるから・・



ゆっくりと 私の春が流れていた


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