下町散策

2009-11-15 21:32:01 | 日々思うこと
先日京橋でやっていた友人の個展に行くために京橋に出かけた
運動不足もあって 少距離を歩きたいと思い
上野を出発点にして 下町を歩くことにしたのだ
上野公園口からの坂を下ってアメ横を通り抜けながら
昭和通にそって秋葉原に出て 佐久間町 馬喰町を通って
ちょっと人形町に寄り道をして 京橋まで歩いた


はじめは松坂屋の前をまっすぐに広小路の脇を通る予定だった
小学校二年の時に 野球の珠が目に当たって怪我をして 
この近辺の眼科に都電で通ったりしていたし
扁桃腺をとる手術をしたのも広小路にある耳鼻科だったのだ
眼科はまだやっているのは知っているが耳鼻科はどうだろう
口の中に大きなはさみが入ってきた怖さや一人で入院した時の怖さは
今では白黒写真みたいに 私の記憶の中に収まっているけれど・・・ 
でもアメ横を目にしたら やはり入りたくなってすぐに寄り道となった
アメ横のメインの通りはずいぶんと感じが変わった部分もあったが
ガード下のごちゃごちゃしたお店は昔のままだった
外国のお菓子ばかりを置いたお店や レザー専門の店 
化粧品のお店 宝石や時計をびっしり置いたお店などが並んでいる
中には ナイフ専門の店 鎖専門の店などもあり
小さい時に感じた雑多なムードがかもし出す危なさも変わっていなかった

アメ横を抜けて昭和通りにでて秋葉原に向かう
亡母の実家は今のJR総武線のガード下のあたりにあった
だからこの近辺は私の小さい時の遊び場所だった
町名で言えば 神田佐久間町といった
まだ省線という言葉が耳に残っていた時代だ
ガードの周りには せいぜい三階建てくらいのビルがあるくらいで
電車の線路が一番高いのでは?と思うほど 空が広く感じられた
真っ黒になるまで煮詰めたようなお稲荷さんを売っていたお店が
昭和通沿いにあったが それもなくなっていた
ガードの真下にあった駄菓子屋さんもなくなっていた

そう アキバになる前の秋葉原は まだやっちゃ場があった
秋葉原にも背の高いビルが建つようになり 
やっちゃばは消えて電気街になり
秋葉原の周りは私には窮屈なったように感じられる

昔 やっちゃ場の脇にあった駅の集配所に
チッキとして荷物をを持って行った記憶がある
母があれこれつめた行李に 近所のおじさんが上手に縄をかけてくれる
その荷物は 夏に避暑がてらに逗留した四万温泉に行くための荷物だった
当然 私は父か親戚の伯父のお供でついていったのだと思うのだけれど
宅急便などなかった時代には 貨物列車を個人で利用したのだと思い出す
チッキなどという言葉はすでに死語になってしまった

佐久間町を抜けて三倉橋通りを馬喰町に向けて歩いていく
このあたりは衣料品の問屋街で 私の歩いた日曜日は人通りは少ない
昔 母と日本橋の三越や高島屋に行くのに運転した地図を思い浮かべながら
人形町の方へ進んで歩いていく 明治座が見えてきたら人形町だ
水天宮の前には 七五三のかわいい参拝者が沢山いた
水天宮脇の手焼きのおせんべいを買って ヤマサコレクションをめざした

大好きな版画を鑑賞した後 また道に出て京橋に向かった
友人のこの個展に来たのは一昨年前だ
友人の絵はいつもモチーフが決まっている
今年は どんな絵が並ぶんだろうか
そんなわくわくした気持ちでギャラリーに入る
家事をしながら 毎年大きな絵を何枚も描くパワーに脱帽してしまう
今年もまた きれいな色合いのあたたかみのある絵が並んだ
このギャラリーは 明治屋のすぐそばなので 
帰りに 明治屋でお買い物~も楽しみの一つ・・
ここで売っている横浜紅茶という紅茶のパックがおいしい
あとは定番の ホワイトアスパラと ソーセージの缶詰
今みたいに物が氾濫していない時代には
明治屋の青と赤の帯の入った缶詰の柄が すごくおしゃれで高級に見えた
今でもお安くはないが 目新しいものではなくなってしまった

お店を出て振り返れば 明治屋だけが昔の外観をとどめるのみで
周りの建物は取り壊されたり 新しく建て替えられたりしていた
刺繍をしていたころによく入った越前屋は 日曜日でお休み・・

上野から ぶらぶら寄り道しながらおよそ半日の楽しい下町散策
定番のエクセルシオールのコーヒーを一杯いただいて
東京駅に向かった

もう少し時間があれば銀座まで歩きたかったな・・・


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