おひとりさま と 断食

2009-11-18 08:10:20 | 日々思うこと
上野千鶴子の本を読んでいた
彼女の近著は歯切れが良い
そして 大衆週刊誌(死語か)に彼女の名がありびっくり
この手の週刊誌にも寄稿するんだ!
当然 私は電車のつるししか見ないけれど
いたって面白いキャッチだった
結婚詐欺にあった男性たちへのメッセージか・・

男性のおひとりさま セックスと介護に気をつけて・・みたいな? 笑

だいたい彼女の「おひとりさま観」は女性に向けられる文が多かった
頭の固い中年以降の男性が読んでも意味不明なんじゃないかと思ってた
案の定 おひとりさまの女性においていかれたおひとりさまの男性が
あたふたしてしまう時代がやってきたようだ

だいたいが男性社会は女性によって支えられてきたんだということを
認められない限り おひとりさま男性は生きにくいんじゃないかな
上野千鶴子はジェンダー論を展開させて今の社会での男性と女性のあり方を語る
男女の社会的役割分担に頼ることなく
社会の中では人はひとりなんだということを自覚せよと
自分の老後を守るのは自分なんだよといい続けている人だと思っている
妻や息子の嫁を頼れない昨今 女性の甘い言葉に 何の疑いもなく 
すべてをあずけてしまうような幼児性に警告を発しているのだろう

その流れでの上野千鶴子の電車のつるしのキャッチは 
男性にとってはちょっとひにくっぽく 私は思わずにんまりしてしまったのだ

また今朝の東京新聞の斉藤学のコラムには 思わずうなってしまった
彼はいたって真正面から 心のありようとして おひとりさまをとらえていた
おひとりさまは お気楽のようにも思えるけれど
孤独との付き合い方の下手なおひとりさまは生きづらいということなのだ
もともと 人はひとりでうまれて一人で死んでいくのだ
そこにある孤独とがっつり向き合って 耐えていけるのか いけないのか
斉藤学は 人に見捨てられる恐怖が孤独の中にあるという
幼児期に母子分離をうまくできたかできなかった云々が関わるらしい

上野千鶴子は 人間を社会的存在から捉え
斉藤学は 人間を個人的存在として捉えているのかとも感じられる
その差が表現の違いを産んでいるのだろうけれど
いずれにしても 人は常にひとりであること
そのことを自覚しながら 孤独と馴染みながら
他者とともにあって 社会で生きていく者なのだということを
二人の先生は言っているのだろうと 私は解釈した



また 親との接触と食事をことごとく避けているらしい容疑者
彼の絶食や断絶の理由はどこにあるのだろうか
戦略であるかもしれないけれど 私の感じるところを言えば
生まれ変わりたい自分 別の自分でありたい自分を
彼はかたくなに守っているのではないだろうか
人の命を殺め逃亡していたのだから 人として許されるものではないけれど
そういう状態に陥ってしまった 彼の心のアンバランスさを思わずにはいられない 
おそらく親からの圧力(親にすれば愛情なのだけれど^^;)に負け
そういう自分にも負けてしまって
その負のエネルギーが間違った方にむいてしまったのかもしれない
あらゆる過去の自分から解放されたいのかもしれない
その心情を周りが理解し 当然本人が自覚したうえで
真に彼の中から懺悔の気持ちがわかない限り
亡くなった方の冥福はおとずれないし
そのご家族の痛みは軽減することはないだろう 


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