一応、説明があった方がいいとのことですので、前回の説明~な内容です。
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やっぱり私を見て欲しいわけで、
~だからとか、~なではなくて、
そこに現出している私を、
それだけを求めて、
純粋な他でもない私を現出させるために
とか、思っていっているから、結局は、
”わたし”を望んでいたはずなのに
私以外を見て欲しくないばかりに、
付属を、属しているものを、全てを拒んで、
私は誰ですらもなくなって、
:転倒
そんなことはありえないから
誰ですらもありえなくて、
どんな人でもなくなって、
自己なんて消えちゃって、
でも、そこで見てくれるなら、
わたしを承認してくれたなら、
何でもないもの、
それを受け入れてくれるなら、
何でもないから、それ以外の何でもなくて
誰でもない私になるの。
:転倒
そして、自己は承認され、
端たるわたしは現れ
存在としての本質に近づき、
私は存在するものとなる。
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上のがもともとの~。
時間が経ってたので、ちょっとだけ変えてみてます。
そこにいる人も、いろいろなものが含まれています。
The person = {I,name,appear,wear,character,relation,etc}
name = {spell,pronunciation,meaning,etc}
etc
などなどという包括的な概念の集合とも言えるかもしれません。
例を挙げて、説明していきますね。
マナ(私) = {I,マナ,髪は赤,ココラビ,魔法使い,知り合い(お知り合いの方からすれば),など}
マナ = {マナ,まな,・・・}
などなど
※I …一人称主格、哲学などでいう処の自己、それ以外は性格なども含まない
といろいろなものが含まれています。
もしも、私=ココラビ着てる人って想われてるだけとしますと、ちょっと・・・と想うかもしれません。
私を見て~となりますと、ココラビは見てほしくありませんから、
マナ(私) = {I,マナ,髪は赤,魔法使い,知り合い(お知り合いの方からすれば),など}
と、私からココラビを捨てちゃいます。
私だけを見て~ともっとしていきますと、同じように捨てていきますけど、見て欲しいのは突き詰めれば、私(I)です。
それ以外はイヤなのです。というので、どんどん捨てちゃいましょう。
マナ(私) = { I }
最後にはこうなりますよね?
でも、私には性格というものもあったはずなのですけど、もう性格すら残ってはいません。
I だけでは、所謂アイデンティティがありません。
結局は、
” ” = { I }
なって、誰でもなくって、私ですらないですよね。
私を求めて、私をなくしてしまいました。
でも、
” ” = { I }
これでも私として、受け入れて、見てくれているなら
その” ”が私と見られることで
” ” = ”私”となって、
”私” = { I }
となるはずで、誰でもない私を得られます。
私を失っているのが転じて、私が確立されました。
自己の確立くらい自分でしなさいって、いう人もいるかもしれませんけど、とあるドイツの哲学者も"Es gibt"存在は与えられるものって言ってますし、そこら辺はおおめに見てくれるとありがたいですよ。
価値観の転倒を繰り返すことで得るというのをドイツのある観念論者が使っていましたので、それをちょっと使ってみたいな~なんて
(一回しかなっていませんけど
説明の必要がありそうなのは、これくらいです~