コンキョノ根虚

Das reine leere Eins

ArcLich-inIcePrison

2007-01-28 13:04:03 | mabi
今日のメニューは新製品アークリッチの氷漬けですっ
な氷漬けシリーズの第五弾~

メトス地域がアップデートで行けるようになりましたので、早速行ってきました~。
で、勿論狙うはSSですよ。
朝の5時くらいが人が諦めてきて、ねらい目です(笑)

魔法の効く青いお化けもいるので、魔法使いでもすることがありそう~♪
なのですけど、FBLでも2000くらいで大体8発は入れないと成仏してくださりそうにはありませんでしたので、ちょっと倒すにしても大変そう?(笑)

ということで、SSをお楽しみください~

・・・だったのですけど、ネットに繋がらなくなっちゃいまして、今日まで繋がらなくって、当日行ったのですけど更新するのちょっと遅くなってしまいました><

エラノス

2007-01-25 00:44:36 | 文化
エラノス(ερανοζ)はギリシャ語の饗宴と言う意味の言葉で、
それは、食べ物を持ち寄って、気ままに語り合うお食事会のことなのです。

で、それを目的とした・・・例えオカルトのような神秘主義思想でも、はばかることなく語らえるように~、ということでエラノスという場が作られたのでした~。
それを作った張本人は、オルガ・フレーベ=カプテインという人で、1881年ロンドンで創設されて、哲学、心理学、神秘思想などが話されたのです。

リヒャルト・ヴィルヘルム、ルドルフ・オットー、カール・グスタフ・ユングの三人がそこでの思想の主流でして、1933年に第一回エラノス会議が行われてから、1988年の夏に幕を閉じました。

エラノスについてはこんな感じなのですけど、その参加者の中にはショーレムもいまして、エラノス叢書という形の本で読めますので、気が向いた方は探してみては~
(というより、ショーレムについてから私はエラノスを知ったりしてたりw

因みに、オットーは「聖なるもの」の著者で有名な人で、ユングについてはいうまでもなくユング学派~として有名な心理学者、リヒャルト・ヴィルヘルムについては「黄金の華の秘密」で有名なはず?

知性と理性2

2007-01-23 20:18:34 | blog
理性により自分を保つ・・・。
狂気を理性により抑える・・・。

小説では目にしそうな、上記の2文を念頭においていてくださいね。
人工知能という言葉を聞いたことってあります?
SFの世界ではAIと言う感じで人間と同様に思考して・・・と言った感じなのでしょうけど、現実的には思考するなんてはずもなく、演算(推論、理論、etc)によって求めるっていうのが関の山です。
知能、知性とは名ばかりの、”理性”の領域を行っているだけなのです。
知性と理性は違います。
理性とは言わばreasonの、理論的なものです。
それに対し、知性とは”創造”的な、一種の発想・・・インスピレーション即ち霊感などの方面により属しているものです。
(ここでの霊感は、霊が見える~などの意味ではないのですよ

即ち、本質的に知性とは一般的に考えられるもの(推論)からは離れたものを生み出すことです、とします。
これを突き詰めれば、知性は狂気と結びつくことになります。
狂気は狂気でも芸術的な狂気・・・とでもなるのでしょうか?

ここに来て、理性と知性の関係が対義語に様相を変えていきます。
感情的なこともよしとして、狂気へと導く知性

狂気を抑える、無感情な理性
同時に、
無感情と思えるまでの他への考慮が存在しない(推論から離れる故に)
冷たい知性

他を考える(道理などなどを考えて推論する)
人間味のある理性

無感情な人間らしい理性と人間味のない感情的な知性
このパラドックスが堪らなく・・・・魅力的っ
前回のも、考えて読むとまた一味違っておいしいかも~
因みに悟性は~?っていうツッコミはナシでお願いしますね

・・・大分前?に書いたものなのですけど、埋もれさせておくのもなので上げてみました~
(手直しすればよかったのかも

本当のこと、と

2007-01-21 00:16:30 | blog
正しいことは何か
本当のことはどれ

・・・いろいろあります。
こちら側でもそうですが、どこでもそんなにかわらないようです。
ただ、こっちの場合はタチがいいのか悪いのか、ある種の善性を多くの場合プラットホームにしているという違い
(善性といっても、白と黒の白に近い意味合いでしかないのですけど

初めに判断するのは、事実かどうかです。
こちら側では、明らかな情報の誤りとかそういうことでの確認が多いのかもしれません。
自分で確認を取らなければいけない段階でもあります。

大体のことは、ここでおしまいです。
こちら側でなければ、次のは殆ど要らないかもしれません。

次の判断は、真実かどうかです。
判断と言うよりは、問う?
ここでは、間違いは存在しません。唯々違う
そういうものの段階なのかもしれません。

最後のは、関係ないと思います。
たぶん、それを考えるよりも、最初の判断が大きく左右すると思います。
ただ、どうしても、どちらのことに対しても、正しいと正しくないの
間違えと間違ってないの、どちらに対しても、
はっきりと確認を取れないことがあります。

正しいことを考えなければいけません。
手元にある状況では、どちらか一方の方が信用にたると思えるかもしれません。
でも、そう決めるにはまだ足りないのです。

アイルランドには、guilty,not guiltyの他に
not proven
即ち証明できず・・・があります。

保留・・・それも、一つの結論なのかもしれないと思う、今日この頃でした。
・・・ただ、現実問題どう保留するのかでも、問題が・・;

とりあえず、Sub Speに追悼の念を捧げつつ・・・
(アイルランドですし

いじめ

2007-01-19 00:38:20 | blog
SMAP×SMAP特別編 「今いじめてる君へ」を
先週、見ました~。ので、その感想を~

初めの時に、ドラマを通して~といった感じで「僕の生きる道」などが紹介されていましてけど、私的に「TEAM」は~?
明らかに、いじめがテーマとしても出てきていたような~
(TV局が違う気もするので、そのあたりの事情なのでしょうけど

やっぱり、薄い~というのが正直な所でした。
と、これだけで終わっても仕方ないですので、少しだけ~。

ニュース番組とかで、いじめの原因を考えている時のコメントでよく見かけるのですけど、いじめられる側にも問題があるよね~とか言ってるのです。
もうちょっと、”はっきりすれば”や”内気だから”などなど・・・。
酷くなれば、”強くなればいいんでしょ?”みたいに

正直言って、そのようなところで、コメントを言う人自体が、いじめられている人を更に、いじめてどうするのかなぁ?と。
いじめを根本的になくすというテーマには、簡単に答えなんてでませんし、今こうすればなくなるというのは、誰も出せていないでしょう。
だからといって、その先を被害者側に向けるというのは、言ってしまえば、いじめてる側のように、答えを作り上げるために捌け口にしてるのと同じです。

そして、その理由として、”~をしたらいじめがなくなったから”なんてことをいうのです。
これは明らかに、方法論と一緒にしてますよね。
確かに、今被害にあっている人が何とかするために取れる方法の一つではありますけど、原因とは関係ありません。

誰でもわかると思いますけど、簡単に例を~
初めにバケツの中に1Lの水があります。(初期状態)
バケツに水1Lを加えられました。(原因)
今バケツの中に水2Lがあります。(状態)
さて、バケツの水を初めの量に戻すには?(方法)
・バケツの中の水の量を半分にする
・バケツから水を1Lとる
これを見てもわかるように、方法=原因とは限りませんよね。

最低限、原因論と方法論は一緒にしないようにしましょう。
そして、答えがだせないといって、安易に逃げないように~弱い側を捌け口にしてしまうのは簡単ですけど、それはいじめてる側とそう大差ありません。
逆に言えば、それほどまでに深い問題でもあるわけですが・・;

因みに、たかがいじめでしょ~なんていう人も中にはいたりしてますけど、
悪名高い”魔女狩り”ですら、私からすればいじめです。
実際調べればわかりますが、宗教的な問題なんて殆どありません。
(魔女狩りに反対と論じることが起これば、宗教的な問題があがることはありますけどね
言うまでもないですけど、魔女狩りの先には基本的に殺されるわけで、”たかが”なんていえる問題でなく、十分に人を殺すまでに至るものなのです。

少しだけ書きましたけど、こちら側ではこういうことも基本的におさえておくこと~と扱われますから、そういうこともかねて~

本、本なんです・・・扱いに困ります。

2007-01-17 00:20:52 | blog
「魔法」
です。

(と言ってますけど、海外の本を手当たり次第に・・・ということまでは、基本的にないのかな。先人達のお蔭ですね~)
昭和の時代は終わっていますし、オカルト雑誌のような類でも読んでいませんと、基本的に本屋さんに行って、いろいろと探してよくわからないまま買って、それを繰り返しながら知っていくっていう、そんなのが一般的(ネットからのは除きます)と思うのですね。
それが楽しみでもあると思うのですが、そういう意味ではいいのかなぁ・・・と思いつつも、それから入られると・・・・という扱いに悩む本なのですね。

私としてはオススメできない本な今回です。

新紀元社の羽仁 礼著の
F FILES No.001 「図解 近代魔術」
です。

この本が初心者にはいいとされることもありまして、読めば簡単に多少のことが把握しやすいというのは確かにあります。
私も、間違いがなければいい本と思います。
ただ、この本は広く浅く扱っているにしても、正しくない箇所があるのが難点なのですね。
わかる人ならいいのですけど、わかる人からすればとりわけ役に立ちませんし、わからない人からすると、それから入られると困ります~という訳なんです。
一番いいのは、わかる人からその箇所を訂正してもらって、読むのが一番役に立ちそうなのですけど・・・。
ですので、1300円は割に合わないのかな~と思うので、オススメできない本なのです。
(800円くらいでしたら、ネタ本としてオススメしますw

と、まぁネタになる本ではあるのですね。
そこで、blogのネタとしてわかる範囲で訂正でも書いてみようかな~とも思いましたのですけど、どうなるかはわかりません(笑)
(それに・・・読んだことのない本の訂正が書いてあったとしても、楽しめる人なんて・・。

最後に私のこの本の感想を~
もうちょっと、近代魔術という言葉で扱う範囲を絞った方がよかったのかも~
(もう少し、近代の魔術部分を詳しく~現在のにも触れれてると尚善ろし
あと、参考文献を見てもわかるのですけど、もうちょっと標準的な(こういう側の)本を参考にした方がいいのかな~とも。
あと、シオン修道会とか普通は不要ですし・・・。
(この箇所は大人の都合っていうことなのでしょうけど;
実際、ネットでもこの本以上のことはわかりますから、最低限の所で正しいというのと、”わかるように”まとめる~というのがこういう本の大切な所なのかも。

本、本なんです・・・扱いに困る、

2007-01-15 00:00:17 | blog
むかしむかし、まだ何も知らない子供がいました。
その子は興味はありはしましたが、まだその単語とは向き合っていませんでした。
或る時、ふと知りたいと思ったその子は、本を買いました。
よくわからない中で、その2冊の本を買いました。
そして、読みました。
でも、わかりません。
わかりませんから、手当たり次第にそれらしい本を
その届く手の範囲で読み漁りました。
知りえたことがあっても、正しいのかどうかはわかりません。
そして、見えた所があると、見えない所のほうが増えてきました。
それでも、読みました。
そうしていって、その子は
自分の中に樹を創り上げていきました。
そして、今もまだその途中にいるようです。

・・・のように、その単語を把握する自体が結構難しかったりするのです。
今ではネットがどこにでもあるような環境になっていますから、大して苦もなくその単語にぶつかれたりするっていうのもありますけど、多くの場合、その単語を正面から見れる位置まで来るのが大変だったのですよ。

その単語は勿論

わたし・・・そこにあるの説明っ

2007-01-13 00:25:44 | mabi
一応、説明があった方がいいとのことですので、前回の説明~な内容です。

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やっぱり私を見て欲しいわけで、
~だからとか、~なではなくて、
そこに現出している私を、
それだけを求めて、
純粋な他でもない私を現出させるために
とか、思っていっているから、結局は、
”わたし”を望んでいたはずなのに
私以外を見て欲しくないばかりに、
付属を、属しているものを、全てを拒んで、
私は誰ですらもなくなって、
:転倒
そんなことはありえないから
誰ですらもありえなくて、
どんな人でもなくなって、
自己なんて消えちゃって、
でも、そこで見てくれるなら、
わたしを承認してくれたなら、
何でもないもの、
それを受け入れてくれるなら、
何でもないから、それ以外の何でもなくて
誰でもない私になるの。
:転倒
そして、自己は承認され、
端たるわたしは現れ
存在としての本質に近づき、
私は存在するものとなる。

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上のがもともとの~。
時間が経ってたので、ちょっとだけ変えてみてます。

そこにいる人も、いろいろなものが含まれています。
The person = {I,name,appear,wear,character,relation,etc}
name = {spell,pronunciation,meaning,etc}
etc
などなどという包括的な概念の集合とも言えるかもしれません。

例を挙げて、説明していきますね。
マナ(私) = {I,マナ,髪は赤,ココラビ,魔法使い,知り合い(お知り合いの方からすれば),など}
マナ = {マナ,まな,・・・}
などなど
※I …一人称主格、哲学などでいう処の自己、それ以外は性格なども含まない
といろいろなものが含まれています。

もしも、私=ココラビ着てる人って想われてるだけとしますと、ちょっと・・・と想うかもしれません。
私を見て~となりますと、ココラビは見てほしくありませんから、
マナ(私) = {I,マナ,髪は赤,魔法使い,知り合い(お知り合いの方からすれば),など}
と、私からココラビを捨てちゃいます。
私だけを見て~ともっとしていきますと、同じように捨てていきますけど、見て欲しいのは突き詰めれば、私(I)です。
それ以外はイヤなのです。というので、どんどん捨てちゃいましょう。
マナ(私) = { I }
最後にはこうなりますよね?
でも、私には性格というものもあったはずなのですけど、もう性格すら残ってはいません。
I だけでは、所謂アイデンティティがありません。
結局は、
” ” = { I }
なって、誰でもなくって、私ですらないですよね。
私を求めて、私をなくしてしまいました。

でも、
” ” = { I }
これでも私として、受け入れて、見てくれているなら
その” ”が私と見られることで
” ” = ”私”となって、
”私” = { I }
となるはずで、誰でもない私を得られます。
私を失っているのが転じて、私が確立されました。

自己の確立くらい自分でしなさいって、いう人もいるかもしれませんけど、とあるドイツの哲学者も"Es gibt"存在は与えられるものって言ってますし、そこら辺はおおめに見てくれるとありがたいですよ。

価値観の転倒を繰り返すことで得るというのをドイツのある観念論者が使っていましたので、それをちょっと使ってみたいな~なんて
(一回しかなっていませんけど
説明の必要がありそうなのは、これくらいです~

そこにある・・・わたし

2007-01-11 00:01:17 | blog
やっぱり私を見て欲しいから。

~だから・・・、~という私、は嫌
そこにある私を、
それだけを求めて、

純粋な他でもない私を現出させるために
なんて、思っているから、結局は、
”わたし”を望んでいたはずなのに
私以外を見て欲しくないばかりに、
付属しているものを、付随することを、全てを拒んで、
私は誰ですらもなくなって、

そんなことはありえないから
ありえなくても、”わたし”以外は受け入れられなかった

誰ですらもありえなくて、
どんな人でもなくなって、
自己なんて消えちゃって、
でも、そこで見てくれたなら、
わたしを承認してくれるなら、
何でもないもの、
それを受け入れてくれるなら、
何でもないから、それ以外の何でもなくて
誰でもない私になるの。

そして、自己は承認され、
端たるわたしは現れ
存在としての本質に近づき、
私は存在するものとなるの。


薦めてみたい本?

2007-01-09 00:09:48 | blog
今日の一冊は、翔泳社からでてます
F・C・エントレス、A・シンメル共著の
「数は何を語るのか」
です。

この本は、エントレスの「文化諸民族の神秘主義と信仰における数」の改訂版「数の神秘主義と魔術」を、エントレスの没後にシンメルが加筆修正したものとなっています。

内容はといいますと、このblogではお馴染みの数には意味がある~
ということについての、一般的な内容がかかれてますものとなってます。
私としては、0についても扱って欲しかった~なんて。

実際どんなのがあるのかを知るにはいい本かな~と思えるので、おすすめっ?
でも、確実に正しい内容ばかりとは~ですけど、概要を掴むにはいいと思います。
実はこのblogって、カテゴリの数のを書くために作ったりしてたり・・・でも、一番書いてないんですけどね