コンキョノ根虚

Das reine leere Eins

フィチーノの音楽魔術

2006-08-31 01:16:44 | 魔法
フィチーノの著書「三重の生」第3巻の「天によって導かれる生」には、音楽を用いて、精気(スピリトゥス)を良い状態にすることによって健康を保つという内容が書かれています。
とは言っても、タイトルからするように天体の影響を考えられていたりするのですから、これも自然魔術の一つでもあったりします。
(他にも、天体魔術、知霊魔術、etcとも~?

先ずはフィチーノという人物について簡単に~
マルシリオ・フィチーノは、ルネサンス期の思想においても、そして魔術においても重要な人でした。
メディチ家の庇護の下に、ギリシャ哲学の、主にプラトンの文献をラテン語に翻訳し、そして、ヘルメス文書も同様に翻訳して西洋にもたらした哲学者として知られています。

フィチーノについてはこのくらいにしまして、音楽魔法は最も演出できると言ってたけど、どのようにしてすればいいの~?なんて、思う方もいらっしゃるかもしれません。
そこで、ある程度は具体的な方法が書かれていますフィチーノの音楽魔術を紹介という訳なのです。

基本的には占星術的?な考えの下に天体のメランコリックな影響を、他の天体の影響などによって解消して、精気を良い状態へとすることを考えているものです。
そして、特定の天体の影響を導くために、その惑星に属しているものを、音楽を使っていきましょう、というものなのですね。
その理想系としてプラトンによる太陽賛歌、オルペウス賛歌などの太陽崇拝的なものが考えられていたそうです。音楽自体、フィチーノによれば太陽に属するものとされてもいますし。

そして、その天体に相応しい音楽を作るためには、
・星の力と効果、星位と星相、そして何を除去して何を生み出すかを理解する。
(占星術的な星の理解)
・除去されるのを拒んで、生み出されるのを受け入れるような意味の歌詞にする。
(その星のいい影響のみを助長)
・星が主に支配している場所と人間を考えて、その地域や人々がどのような音調や歌をするのか調べて、歌詞の言葉の中に取り入れたりする。
・日々の星位と星相に注意して、それぞれの下で人々がどのような言葉や歌や活動などに駆り立てられるかを調べて、歌の中にこれを模倣する。
(その星の特性、色合いを音楽と歌詞に取り入れる)
木星…荘重にして真摯、そして甘く楽しい安定した音楽
金星…感情豊かで穏やか、官能的な音楽
太陽…優雅で快い響きで、神々しい純粋でシンプルな、真摯な音楽
水星…太陽のに比べれば陽気な反面、多少は真摯さに欠ける力強く多彩な音楽
とされています。

こんな感じです。実際に作曲する、もしくはそれらしい曲と詩を探してくるのが難かもしれませんけど、是非ともって方はがんばってみてください。
因みに、ピュタゴラスの音楽魔術とは勿論、考え方が違いますし、フィチーノの精気の考えがわからないとわからなかったりするのですが、その辺りは「文化」のカテゴリの「精気と血液」「精気(スピリトゥス)」「世界霊魂と自然精気」「フィチーノと精気」を参考にでも~。

魔法使いと音楽

2006-08-30 02:24:50 | 魔法
今日も「本当の魔法使いになるために」始めてきますね~。
今回は生活スキルについての5回目~となる音楽についてのお話です。

呪術、民間の信仰~そういう類を考えると、「言葉には力があります」のような言霊という考え方はお馴染みで、そういうことに詳しくない方でも大体知らない方はいませんよね?
勿論、信じる信じないは別にして~。
な、訳でして、呪術などに詩、歌を用いることは、何で~?というのは理解しやすいと思います。
でも、今回は音楽なんですね~。
ということで、言霊、力ある言葉という考えなどとは、また違う考えなのです。

音楽魔術というものは、音楽を用いたもので”あえて”分類した時の呼称なので、考え方、内容など様々であったりしてます。
それでも、挙げておきたいのがピュタゴラス学派による音楽魔術でしょう。
ピュタゴラスは、「数」という哲学をした哲学者であり、神秘主義、その実践者でしたよね。
一般に数学者として知られていますけど、このサイトでは「数」の哲学者と覚えておいてくださいね。
哲学を意味する「フィロソフィー」などの言葉は、ピュタゴラスが作ったと言われてたりもしてますよ。ということもありまして、本分は哲学であったと思っておいて下さい。
そして、音楽でもピュタゴラスの音階っていうものがありますよね。
ということからも、音楽というものにも「数」という哲学を用いて、手を伸ばしていたりするのです。

ピュタゴラス学派は、ピュタゴラスによる「数」と「調和」という考えで、この世界を理解して使っていこうとするものです。
そして、ピュタゴラス教団では、「音楽と医術」も尊重していました。
この2つのから、天体は調和や法則に基づいていて、星界の音楽というものを奏でている。そして、人間も調和に基づいていて、天体と同様に音楽を奏でていると考えられていました。
病気にかかる、体調を悪くするということは、人間の音楽の調和が乱れたために起こると考えまして、調和のとれた音楽を奏でれるようにするために、美しい調和のとれた音楽を聞かせまして、解消させようとしたのでした。
これがピュタゴラス学派の音楽魔術です。
今で言う音楽セラピーみたいなものですね。
因みに、強壮剤がtonicというのは、ピュタゴラス学派のこの音楽による治療から、来ているらしいですよ。

ピュタゴラスは重要なので、他にも色々ありますが、音楽魔術についてはこの辺で終わりです。
そして何より、「音楽魔法」というものはmabin○giで最も演出できるものだったりしてますから、「楽器演奏」「音楽知識」「作曲」のスキルは上げておきたいところです。
mabin○giでの演出ということも踏まえまして、次回にルネサンス期の思想の火付け役といっても過言ではない、フィチーノというイタリア・ルネサンス期の哲学者の「De triplici vita」に記している音楽魔術について書く予定~。

色々と

2006-08-26 18:50:15 | mabi
最近、色々と考えることがあります。
勿論、mabin○giでのことですよ~。

要は何をどの様に置くか~なのでしょうけど。
そんなこんななことを、これ以降少し書くことになるかも。
まぁ、思い悩める?だけ、ためにはなってるってことで(ぇ

八月が終わりになってきてますけど、終わるまでには音楽魔法については書きますから、安心してくださいね。
(といっても、誰も気にしてない;
今日はここで終わります。

近代の認識観

2006-08-24 19:06:29 | 魔法
今日は、近代の認識観についてです。

古典主義の時には、「言葉」が「物」の完全な代理として機能しているように見られていましたが、近代に入ると「言葉」と「物」との間に何かあると思われるようになりました。
まぁ、当然のことですけど、「言葉」が「物」の代わりになんてなりませんし、「言葉」で表せない次元もありますよね?

こういう流れから、現代になっていきます。
今回で、フーコーの認識観についての話は終わりになりますが、かなり大雑把&適当にしか書いていませんから、本当のフーコーのエピステーメーについては「言葉と物」を読んでくださいね。
私は、実は人からの又聞きだったりしてます。
本を読もうとしたことはあるのですけど、その時の時間の無さに途中で諦めました><

古典主義の認識観

2006-08-22 21:24:56 | 魔法
ルネサンス期の後に来ました古典主義、での認識観を書いて行きますね~。
大体17世紀頃と思っておいてくださいな。

この時代になりますと、ルネサンス期とは違い、「言葉」と「物」とが混同されることなく区別されて考えられるようになってきます。
そして、実際のものよりも「言葉」を重要視する傾向が出てきまして、「言葉」を「物」の完全な代理と見なして扱うような感じになりました。
「言葉」:「言葉」→「物」
というこんな感じに~。(「A → B」はAはBを指し示す。

そんなわけですから、学問も「言葉」を集めて、そして分類することがメインとなってきます。
博物学から、分類学へ、そして百科全書の時代へとなっていくのです。
なので、この時代は多くの百科事典が作られたのでした。

ルネサンス期と古典主義との境の時期のいい例として、「ドンキホーテ」が挙げられています。
例えばドンキホーテは、風車という「物」から、大きいという「言葉」を読み取って、大きいという点で似ていると言うことで、風車を巨人として戦いに挑んでいくわけです。
要は、「言葉」と「物」との区別ができない、ルネサンス期の認識観で行動するドンキホーテを、古典主義での認識観で見て面白がっているのですね。

そして、古典主義の後に近代が来るのですけど、その境の時期として考えれる一例に、マルキ・ド・サドが挙げられます。
一般的なことは兎も角としまして、誰も当時は性に関する事柄を研究していなかったことから、マルキ・ド・サドは性や放蕩などについても分類し、百科全書を作らなければと、あまりにも学者的な欲求に突き動かされて、そういう事柄に触れて行くわけです。
その過程でSMなどが出てきたりもする訳なのですけど、ここまでだと典型的な古典主義ですよね。
唯、ここからが異なってきまして、分類しようとしたものの次元が昆虫の標本を作るとかとは違うわけです。
そして、研究していくうちに欲望や、そのしていくことにいくら経っても満たされない、限りがない等のことから、「言葉」ではないよくわからないものがあることに、薄々気づいてくるのでした。

マルキ・ド・サドについては、そういう見方もできるんだ~くらいに思っておいて下さい。
(正しいか如何かなんてわかりませんよw
今回はこの辺で終わりにします~。

冷房も程ほどに;

2006-08-21 02:27:51 | mabi
これが本当のISというものですよ~
修練の賜物ですね(大嘘

昨日の夜から今日にかけて、知り合いの方とラビ上2に行ってきました~。
とっても重くて、何度も停まるので途中で引き返したのですけど、その時に撮れたのがこのSSなんです。

凍りすぎですよね
半分、私まで氷の中ですし^^;
そのため、デッドリ~(違

ともあれ、途中で引き返したのですけど、面白いSSが撮れたので、善しでした。

因みに、大きな画像の方は
こちら
になります~。

ルネッサンス期の認識観

2006-08-20 18:50:24 | 魔法
具体的な認識観の話の前に、「言葉」と「物」という言葉についてのここでの意図することを予め書いておきますね。
「言葉」は、実際の言葉ではなくても、記号や象徴も含めまして、「物」を指し示すものを意図していきます。
「物」は、実際に存在する物体、現象などの「言葉」で指し示されるものを意図していきます。
それでは、始めて行きますよ。

ルネサンス期の人々において、「言葉」と「物」は類似しているものでした。
今の人からでも、「物」に「言葉」が似ていることがあるのは、当然と言えば当然なところもありますよね?
象形文字、漢字を考えて見ますと、物を基にしてその文字が作られていますから、物にその文字が似ているというのは当然となります。
しかし、ルネサンス期においては、逆の「言葉」に「物」が似ているという考えも普通に持っていました。
「言葉」と「物」の間には何らかしらの関係性があるということも。

そして、当時の世界観は、「世界は神が記した本である」というものでもありました。
そのため、自然界の事物は神が記した記号とも考えられる訳です。
記号、つまりは「言葉」ですね。
ここに来て、物=記号→「言葉」の様になったりしてますし、「言葉」に「物」が似ているという逆の考え方にも、違和感を覚えない以上は、当然ながら「言葉」と「物」が混同され、区別されていなかった処があります。
そういうこともありまして、当時の書物などは話であれば区別することがなく、”信憑性”というものが初めから考慮に入れられていない面がありました。

具体的な例としましては、アルドロヴァンディの「蛇と龍の話」が挙げられています。
内容としましては、蛇(のような姿についての動物)について書かれているものなのですが、学問として通用する様な観察や医学のレベルから、人から聞いたこと、更に伝説や御伽噺の様なものまでが区別なく一緒に書かれているものとなっています。

次に、「言葉」と「物」の類似の具体的な例を挙げますね。
先ずは胡桃と脳のです。
胡桃は脳に似ているということから、ルネサンス期では脳に効くものとして考えられました。
つまり、胡桃は脳を示す神が記された記号と見たわけです。
他にもトリカブトは目に似ているから、目にいい等と言うのも~。

そして、「言葉」と「物」の間に何らかしらの関係性につきましては、占いなどのものが挙げられるでしょうか。
特に占星術につきましては、
「星の運行と人間が似ている感じがしますから~なのですよ」
なんて説明は、こういうサイトでは物足りないハズですよね。
ということで、あえて関係性があると書く必要があったりと、なのです。
具体的に挙げますと、照応という関係性が考えられていたのです。

そういう訳でして、占いや魔術などはルネサンス期の認識観の流れを受けているとも言えるのでした。

フーコーとエピステーメー

2006-08-17 18:51:44 | 魔法
「フーコーとエピステーメー」という題で始まりました、「本物の魔法使いになるために」今日も始めてきますよ~♪
と、言いたいところですけど、何でこのタイトルでカテゴリが「文化」でないの?
とか色々と言われそうな感じもしますけど、その理由は後ほど~。

初めに、ミシェル・フーコーとエピステーメについての説明からしますね。
ミシェル・フーコーは現代のフランスの哲学を代表する哲学者の一人で、考「古学」といった感じに「学」という事柄に関する歴史を研究した人でもありました。
よく「知の考古学」と言われたりする様ですよ。
そして、フーコーの言うエピステーメーは、その時代での認識観、考え方の背景にあるもの、物事を理解するための枠組み、言ってしまえば、物事に対する見方といった感じのものです。

例えば、「科学」という事柄を考えてみましょう。
20世紀の人の多くは、
”科学だから正しい”
と考えるかもしれませんが、今の自然科学を知っていれば
”科学は、実証されたものからできているから、実証に沿うので使っても安心できるでしょう”
という風に、見方が変わってきますよね?
あまりピンと来ないですけど、そんな感じで~。

それで何で魔法使いにこれが必要なの?
と思ってますよね?
魔法と言う知的活動は、昔から現代へと続いているものです。
そして、その昔からのイデオロギーなども扱ったりする以上は、その時代の考え方を知っていた方が理解しやすいですよね。
ということで、フーコーの「言葉と物」を参考にして、簡単に認識観の推移を見ていきましょう~という内容になっていくはず?

ペット育成大会

2006-08-16 18:29:41 | mabi
ちょっと遅めの感じもしますけど、ペット育成大会の感想です。

私の場合は、殆ど町にいる大きな動物を見て楽しんだくらいだったりでした。。
呼び出すのやめると元の大きさに戻るって言うのが><

ともアレ、町にいる大きな動物は面白かったですね~。
色々SSを取ったのですけど、ここのblogでは画像は一枚しか・・・その上、好きな位置に貼れないみたいなので、この一枚だけです・・。

この大きな蛇は、(お腹が空いているのか)気が立っておられたようで、目の前にいた羊をパクッと・・。
大きくなりすぎるのも、問題なようで(笑)
知らない人のを無断で載っけてるので、周りの人などを黒く塗りつぶしてみたり、とムダにしてます。

本当は大きなクロネコを見たかったのですけどね。
私のは少し大きくなったくらいで、次の雑炊をあげると元の大きさに~
それの繰り返しで殆ど大きくなれず;
ちょっとその点は悔いの残りそうなイベントでした。

錬金術 錬丹術

2006-08-15 00:07:07 | 魔法
今回は東洋の錬金術の一つの紹介です。
エジプトで生まれ、インドを経由して中国にたどり着き、発展した錬金術に錬丹術というものがあります。

練丹術には、外丹法、内丹法と呼ばれる2つの側面があります。
先ずは外丹法の紹介から~。
中国には、飲むと不老不死の仙人になれる薬である、金丹という考えがあります。
ちょうど、西洋の賢者の石、エリキサーと同じ様なものですね。
それを実際の薬として、求めたのが外丹法なのです。
西洋の錬金術の実践的側面、物質変容の方向に当たるものですね~。
西洋の実践的側面に当たるだけありまして、実際の水銀の薬(毒)としての知識などが生まれてきたりもしています。
ただ、物が物だけに命を落とした人が多いらしいですが・・。

次に内丹法を~。
外丹法が物質変容の側面であるように、こちらは金丹の作り方を精神変容の技法の比喩や象徴と見なしまして、気を練ることによって仙人になることを目指したものとなっています。
言うまでもなく、西洋の錬金術の精神変容の側面ですね。

で、実際は外丹法、内丹法の両方を用って神仙を目指して修行していたらしく、西洋のと同じく、勿論ながら、現在では内丹法が主流となっているようです。

全部で4回、生産スキルの方もあわせて5回目となりました錬金術については、今回で終わりです。
見てくれた方ありがとうございました~。