【写真:投票所にて 2009年08月30日14時11分撮影】
投票にいってきました。今回は衆議院議員総選挙、最高裁国民審査
そして、在住の立場として横浜市長選挙に対する投票です。
毎回思うのですが、「最高裁国民審査」なるもの。最高裁判所裁判
官に対する情報を積極的に入手しようとしないわたしにも問題はあり
ますが、それにしても、裁判官に関する情報を有権者に積極的に伝達
しようと姿勢が感じられません。いきなり「やめさせたほうがよいと
思う裁判官の氏名の該当欄に×を記入してください」と言われてもね
という感じです。現行の方法では投票として成立していないのはない
でしょうか。
それでは、成立させるためにはどうすればよいのでしょうか。目的
は「裁判官を評価すること」です。やめさせたほうがよいと思う裁判
官を選定することです。「裁判官をやめさせたほうがよい」と判断す
るためには、裁判官の活動に関する情報が必要です。そしてその情報
をインプットするためには時間が必要です。さらに「やめさせたほう
うがよい」という基準を設定する必要があります。現在は「やめさせ
がよい」という判断基準が個人に委ねられてます。しかし基準を設定
するということは、「裁判官をやめさせること」を選挙によって決定
することの意味合いが薄れます。なぜならば、基準を設定することに
より設定され基準を構成する定量化された評価項目を、機械的に判定
することが可能になるからです。その良し悪しは別として・・・。
従って、国民に判断を仰ぐとすれば、「中央機能で設定した基準が
それでよいのか」ということになります。あくまでもひとつの考え方
にすぎません。
物事をいろいろとつきつめて考えてみると、「適切な手段」を決定
することが簡単なことではないことがわかります。しかし、「簡単で
ないからやらない」ということではありません。議論が必要なのです。
さて。大勢については、皆さま既にご承知のとおりです。「変革」
の際は大きな波風が立ちます。今回のうねりが「真のもの」になるの
でしょうか、いや「真のもの」にしなければなりませんね。一国民の
責任として、そう思います。
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