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横浜ことはじめII

横浜の発祥の碑情報を発信

西洋理髪発祥之地

2018-04-16 07:10:08 | ことはじめ
•西洋理髪発祥之地
–横浜市長 西郷道一 書
–―ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする ――
–安政の開港とともに, 生活様式の洋風化が進むなか, 政府の「断髪令」に先がけ, 明治2年(1869年)横浜に我が国初の 「西洋理髪店」が開業され, 欧米風「ザンギリ頭」 は文明開化の一翼を担うこととなった。
•平成元年11月彫刻名「ザンギリ」
–彫刻制作 木村 賢太郎
–寄贈 神奈川県理容環境衛生同業組合
–全国理容環境衛生同業組合連合会
•山下公園内で2004年場所移転

銀行業務発祥の地

2018-04-16 07:06:27 | ことはじめ
•銀行業務発祥の地
•英国系金融機関HSBCグループの香港上海銀行は, 創業2年目の1866年(慶応2年) 居留地62番に日本で初の支店となる横浜支店を開設しました。その後, 居留地2番(現山下町2番地)に移転した横浜支店は貿易金融業務の提供に 留まらず, 日本政府に対して銀行業や通貨制度に関する助言も行いました。 香港上海銀行は現在日本で営業を行っている最も古い銀行です。
–産業貿易センター敷地内

近代のパン発祥の地の碑

2018-04-15 18:03:40 | ことはじめ
•近代のパン発祥の地
–一八五九年、欧米諸国との貿易がはじまるや、幕府は日本大通り五番地の横浜港郵便局を中心とするこの地区に、外国人の日用食品街「お貸し長屋」を建てた。その一角で、内海兵吉は一八六〇年、フランス人にパンの製法を習って「パン屋」をはじめた。当初は「焼き饅頭」のようなものができた。だが、これが現代日本人の日常生活につづくパン食文化の始めである。パンの元祖「富田屋」として知られた。その後、イギリス人クラークのパン屋「ヨコハマベーカリー」が、登場する。ここで修行し、受けつぎ発展したのが内木彦太郎の元町「ウチキパン」で、イギリス流の山型食パンである。現代日本の日常生活に根づくパン食文化「パン屋」が始まったこの地区に、横浜市中区制九〇周年を記念し「近代のパン 発祥の地」を設置する
•二〇一六年十一月
•設置者 横浜市綜合パン協同組合
•中区日本大通5−2アーバンネット横浜ビル

電話交換創始之地の碑

2018-04-15 17:57:05 | ことはじめ
•電話交換創始之地
–横浜電話交換局
•明治廿三年十二月十六日創始
•紀元二千六百年
•逓信省
–電話交換創始の地
•明治23年 (1890年) 12月16日, この場所にあった 横浜電話交換局において, 横浜と東京間 及び 市内に わが国で初めて電話交換業務が開始されました。
–平成4年4月1日
–日本電信電話株式会社

中区日本大通5−2