2013年1月13日(日曜日)
野宿者たちの竪川闘争
私は去年の12月、2回に渡って
亀戸駅北口徒歩5分のところにある竪川河川敷
公園に出かけた。
去年の12月5日朝、江東区の職員・ガードマン
・業者約200名が動員された。
彼らはこの公園に高さ2メートル
を超える銅板を設置し、屋根のない人たち
の小屋やテントを囲い込んで、暴力的
にこれまでに利用できた公園の一部も封鎖して
しまった。小屋に行くには、30センチ程の幅しかない
とても狭い通路を通らなければならない。
しかも泥道のため足元も悪い。
その通路の右側はフェンスになっている。
段差も多く、
急な階段もあり、みんなが集まっているテントに
辿り着くまでに、私は何回も滑ってしまった。
電気もない道なので、とても危険。
水道も切られたため、顔を洗うことも、
お茶碗を洗うことも、歯を磨くことも、洗濯
もできない。トイレはフェンスの外にあるために、
もう一度入り口に戻るには、今の道を通るしかない。
とにかく危険だ。
幸いに支援者が集まっているテントだけ、電気が
ついて石油ストーブが2つあったが、それでも
テントの中は寒かった。
料理を作るには外から水を運ぶので、
毎日の暮らしはとても大変だ。
これは人権問題そのもの
なのに、区役所はいまの状態でも人権上
問題ないと言い張っている。公園に住む人の
人権を一切無視しているのに。
そこで、私たち支援者は12月22日(土)、竪川
でデモを行った。デモの人数より
機動隊(?)の方が多かったが、私たちは
太鼓を叩いたり、シュプレヒコールで「野宿者
連帯! 権力粉枠! みんなで野宿」
「どこでも野宿!」「だれでも野宿!」などのスローガン
を叫んだ。
またデモに出る前に、警備担当の警察官に
警察証明書を見せるようにと何回も要求したが、
見せてくれない。
彼らの方が法律違反なのではないか。
腹が立つばっかりだった。
1月12日の土曜日、一人の支援者が京都に戻るために、
仲間のYさんが送別会の知らせを教えてくれた。
私も参加して皆さんと再会ができた。Yさんは何人か
と一緒に泊まっているテントの前に、自分の黒旗を
翻らせている。
野宿者たちの竪川闘争
私は去年の12月、2回に渡って
亀戸駅北口徒歩5分のところにある竪川河川敷
公園に出かけた。
去年の12月5日朝、江東区の職員・ガードマン
・業者約200名が動員された。
彼らはこの公園に高さ2メートル
を超える銅板を設置し、屋根のない人たち
の小屋やテントを囲い込んで、暴力的
にこれまでに利用できた公園の一部も封鎖して
しまった。小屋に行くには、30センチ程の幅しかない
とても狭い通路を通らなければならない。
しかも泥道のため足元も悪い。
その通路の右側はフェンスになっている。
段差も多く、
急な階段もあり、みんなが集まっているテントに
辿り着くまでに、私は何回も滑ってしまった。
電気もない道なので、とても危険。
水道も切られたため、顔を洗うことも、
お茶碗を洗うことも、歯を磨くことも、洗濯
もできない。トイレはフェンスの外にあるために、
もう一度入り口に戻るには、今の道を通るしかない。
とにかく危険だ。
幸いに支援者が集まっているテントだけ、電気が
ついて石油ストーブが2つあったが、それでも
テントの中は寒かった。
料理を作るには外から水を運ぶので、
毎日の暮らしはとても大変だ。
これは人権問題そのもの
なのに、区役所はいまの状態でも人権上
問題ないと言い張っている。公園に住む人の
人権を一切無視しているのに。
そこで、私たち支援者は12月22日(土)、竪川
でデモを行った。デモの人数より
機動隊(?)の方が多かったが、私たちは
太鼓を叩いたり、シュプレヒコールで「野宿者
連帯! 権力粉枠! みんなで野宿」
「どこでも野宿!」「だれでも野宿!」などのスローガン
を叫んだ。
またデモに出る前に、警備担当の警察官に
警察証明書を見せるようにと何回も要求したが、
見せてくれない。
彼らの方が法律違反なのではないか。
腹が立つばっかりだった。
1月12日の土曜日、一人の支援者が京都に戻るために、
仲間のYさんが送別会の知らせを教えてくれた。
私も参加して皆さんと再会ができた。Yさんは何人か
と一緒に泊まっているテントの前に、自分の黒旗を
翻らせている。