フランス旅日記

花と歴史とワインにひたる気ままなフランス滞在をつづります

ふらんすへ行きたしと

2016-09-14 13:51:45 | フランスあれこれ
 ご無沙汰しております。

 さてさて、旅の後半について覚書を続けたいと思っているところでした。

 実はいくつかの事情により、このブログは閉鎖しようか? 新しいURLに引越ししようか? など思案中です。が、とりあえず、前に書いた記事の補足説明も含めて、印象に残ったことを書いておくことにしました。
【ご注意】長い記事になってしまいました。あまり面白くないかもしれません。興味と時間のある方だけお読みください。





 光がはじけるようだった南仏プロヴァンス。閉じた目の裏で、今でもあのまぶしさがよみがえります。そして、日陰の暗さとひんやりした空気との対比が、美しい。多くの画家たちが、南をめざした理由がわかった気がします。






 パリでは、来る日も来る日も肌寒い曇り空。ときおりぱらつく雨。太陽はどこ? それが、TGVで3時間の場所に来ただけで、目もくらむような光の世界が現れました。
 もちろん気温も急上昇です。外気温36℃なんていう日もありました。でも、空気が乾燥していますし、日が沈むと急速に温度が下がり、薄いカーディガンがあってもいいほどになるんです。
 光と影、水、花。プロヴァンス料理。よく冷えたロゼ・ワイン。ゆったりした町の人々。ピンク色の夕焼け。




 何人もの友人の手助けにより実現した、今回のフランス長期滞在。予約などのいわゆる旅のノウハウは、インターネットで簡単に手に入りますのでわざわざ触れませんが、私が書く文章が、これから旅行をされる方のお役に立つことができればいいなと思っています。

 いきなりですが、今まで生きてきて、スリや置き引きにあったことがありますか? 
 私は、一度だけあります。自分は注意深いほうだと思っていたので、あれは一生の不覚だったと今でも思い出すと悔しいです。日本ではなく、フランスのパリで、でした。今から30年近く前、学生だったころのことです。すでにパリのスリは有名(?)で、その手口は巧妙だと聞いていました。
 語学学校に通っていたのですが、その日の朝も学校に向かっていました。実はその日は、朝から体調が悪かったんです。頭がぼうっとしていました。
 メトロの駅から外へ出ようと通路を歩いていると、向かいから歩いてくる男性が、私の横を行ったり来たりするんです。ぼんやりしている私は、「なんだろう。うっとうしいなあ」くらいにしか思っておらず。気づいたら、ショルダーバッグの中から財布が消えていました。愕然。
 さっきの男性が、すれちがうたびに少しずつバッグのファスナーを開けていたんです。はあ~、やられた、なんて迂闊な。がっくりしました。救いは財布の中身が現金のみで、クレジットカードなどが入っていなかったことでしょうか。現金といっても貧乏学生の身、大きな金額ではありませんでしたが、悲しい・困る・悔しい。
 とりあえず階段をのぼって外に出ると、その男性が何食わぬ顔で歩いているではないですか。私は何をしたと思います?
 その男性に詰め寄りました。「私の財布を返して」と。たどたどしいフランス語で抗議したんです。そんなことしたって、返してくれるはずないのにね。「財布」を「肘掛け椅子」と言いそうになって(笑) (当時の私には、混同しやすい単語だったんです。あは)
 「きみの財布? そんなの知らないよ、ほら」と、薄汚れた黒いコートの前を開けて見せるのですが、その下はセーターもシャツも着ていない生白い裸の上半身とこれまた汚れたズボンでした……。真冬だというのに。それを見たとたん、私の怒りは「げんなり」に変わりました。
 今だったら、絶対にこんな行動に出ません。ああこわい。でもまああの当時は、そこまで治安が悪くはなかったんですよね。

 時は流れて、今から数年前に親孝行のヨーロッパ旅行をしたときのこと。メトロの車内でそれは起きました。高齢の父の斜めがけバッグから、中身を抜き取ろうとしている若い女性(国籍は不明、妊娠しているのかそのふりなのかお腹が大きかった)がいました。
私たちは立ってバーにつかまっていたのですが、私が気づいたときには、無理やりファスナーを開けようとする女性と父が軽くもみあいになっていて、「何してるの、やめなさい」と割って入ろうとする間もなく、停車した駅でものすごいスピードで降りていきました。そのとき、相棒らしい男性も一緒に下車したので、戦利品をゲットしたらその男性にバトンタッチする手はずなのかな? と思いました。幸い、父は何も盗まれず、怪我もありませんでした。(参考までに、貴重品は私のツレアイが斜めがけにしたバッグに入れて、その上からジャケットを着てファスナーを襟元まできっちり閉めてガードしていました)

 そのときは久しぶりのフランス。日本の外務省のウェブサイトを見ても、パリで実際に起きたこわい話をあげて、警戒を呼びかけていましたし、個人のブログなどを見ても、山のように経験談が出てきました。知らない間に、かなり治安が悪くなっていたんだ……。田舎のほうに住むフランス人の友人からも、「うん、TVで見たわ。日本人が狙われるって。ブラジャーの中にお金を入れるのよ」と、真剣にアドバイスされました。

 日本の都会では、パリと比べるとまだ治安は良いほうだと思うのですが(もう長いこと日本に住んでいないのであまりよくわからないのですが)、それでも注意しなくてはいけないことに変わりはありません。世界のどの国に行っても、貴重品に気を配るのは当たり前のことです。

 私が日本で大学に通っていたころ、フランス人教師が授業で質問をしました。
「ヨーロッパで一番多民族なのはどの国だと思いますか」
 誰も正解を言えませんでした。「答は、フランスです」と教師は言いました。
 移民を積極的に受け入れる政策をフランスが打ち出したのは、19世紀以降、第一次世界大戦でも人口が激減したころ。ここで細かく書くことはしませんが、移民が家族を呼び寄せ、二世が誕生し、確固とした地位を築いた。ご存知のように、うまく行ったかに見えた移民政策も、さまざまな問題を抱えることになっているわけなのですが。

 なぜこのようなことを話題にするかと言いますと、今回の滞在中に、明らかに数十年前とは違うものを感じ、これが多民族国家になるということなのかなと、祖国日本のことも思いながら実感したのです。
 タクシードライバーさんは、1979年にカンボジアから移住したのだと言っていました。クメール・ルージュ、という言葉が彼の口から出ました。まだ若いといえる年齢に見えましたので、親御さんとともに新天地フランスにやってきたのでしょうか。
 このブログの記事にも書いた、バス停で知り合った(というか短い話をしただけですが)女性も、パリ在住の東南アジア系の方のようでした。パリ滞在の前半は16区で、しかもあまり観光客が訪れない住宅街であったことから、私はすっかり「治安が悪いパリ」について忘れていました。それに気づかせてくれたのが彼女でした。もうすでに前の記事に書いたのと同じ内容なのですが、誤解を避けるため、より詳しく書くことにします。
 なかなか来ないバスを待ちながら、少しだけ世間話をしていましたら、目の前を通過した女性がいて、私たちのことをちらっと見て行きました。
 そして、私をびっくりさせる発言「今の人、スリよ」と、隣の彼女が言ったのです。ずいぶんきっぱりと断言するので、驚きました。
「どうしてわかるの?」
「●●人だから」
 と言うのです。えー?! ●●人だからというだけで、スリだということになっちゃうの? 在住者がこんな風に言うということは、●●国の人たちで、問題を起こしている人が数多くいるということなのだろうか?
 私には、彼女がスリだと決めつけた女性が何人(なにじん)かもわからない。自信たっぷりに断言する隣人に、否定も肯定もする材料は私にはありません。もしかして、この女性は、さっき通っていった人から物をすられたことがあるのかしら。それとも、その女性が私たちをチラっと見ていった視線が普通ではなかったとか? 残念ながらそこまで話す時間はなく、隣にいた彼女は、バスをあきらめて去って行きました。
 そのとき私が興味を持ったのは、私にはただ「白人女性」にしか見えない人を、●●人と見分けるのは、何を持ってしてなのか?
 それと、これが私には一番大事なことだったのですが、ああそうだった、ここはパリ、スリや置き引きが頻発する町なんだった。テロには警戒して人が多く集まる場所には行かないなど注意していたけど、それ以外私はすっかりゆるゆると過ごしていた。今日を境に、目を覚まして気をつけなくちゃいけない。

 くどくてすみません。バスを一緒に待った女性は「●●人には気をつけないと」と思ったかもしれません。が、私は「(とにかくのんびりしてないで)気をつけないと」と気を引き締めました。あの人が○○人で、この人は●●人で……なんて見分けることもできないのですから、特定の国の人にだけ気をつけるなんて、至難のわざです(笑)そんなことをしている間に、大事なものをすられそう(汗)

 ISによるテロ行為のせいで、何の罪もないイスラム教徒の人々が差別視されたり、宗教そのものが「こわい」ものだと思われたりするのは、悲しいことだとつねづね思ってきました。
バス停にいた女性が指摘した●●人もしかり。けれども私は、フランスにいるけど一旅行者、在住者の方々が日ごろどのような被害に会ったり不愉快を感じているのかまではわかりません。
 このことについては、今私が暮らしている国におおぜいいるフランス生まれのフランス人の知り合いや友人に聞いてみようと思っています。ただ、彼らももう長いことフランスから離れているので、「よくわからない」という返答が返ってくるかも。


 美し(うまし)国、フランス。この記事のタイトルに使ったのは、萩原朔太郎の「旅上」という詩の冒頭の一部です。全文を下に引用します。
 


旅上 萩原朔太郎

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

 




 

パリ暮らしあちこち

2016-08-20 13:38:42 | フランスあれこれ
 この写真は、今回の旅のなかで一番大切な、思い出に残る1枚です。



 深夜に羽田を飛び立って、夜も明けぬ真っ暗な時間にロワシーに着きました。この時間だと、空港内はがらんとしていて、ゆったりと旅のスタートを感じられるので、好きなんです。スリだとかもいませんしね。
 飛行機が着陸したとき、アナウンスにもありましたが、激しい雨が降っていました。それで、予定変更をしてさっさとタクシーに乗り込んだのですが。空港からパリ市内へのタクシーはパッケージ料金になっていて、早朝深夜は55ユーロ、昼間は50ユーロ(だったと思う)。渋滞しても同じ料金らしいです。荷物も込み。2人いたら、タクシーがお得で楽ちんですね。
 通勤も始まらない時間なので、もちろん道路は渋滞知らず。スムーズにどんどんパリに近づいていきます。高速道路を走る車窓からかろうじて見える景色は、まだどこの国かもわからないような、個性のないビル、建物。
 それが、パリ市内に入ったとたん、一変します。パリの腕の中に入ったみたいな気持ちになって、うっすらと涙が浮かびました。

 タクシーのドライバーさんは、カンボジア系の男性。日本車はすばらしいという話から始まって、いろいろなことをしゃべっているうちに、あっという間に目的地に着きました。「こんなに早い時間じゃなければ、おいしいパン屋さんとか、案内したいんだけどなあ」と、ドライバーさん。「ブーランジュリは何時ごろから開くの?」「7時くらいかな」
 そのときまだまだ5時半ごろ。着いた、着いた。まだ雨が降っているので、荷物をいそいで屋根の下に置きます。なんとなく名残惜しかったけど、握手してさよなら。そのときの私はもうくたくたでした。入り口のコードを押して中のホールに入る……前に、まだ薄暗い通りを眺め渡しました。そして、このときを写真におさめておこうと思ったわけです。

 で、これがその写真。パリに入っていっとう最初に撮った風景です。雨が降っていたから、軒下からカメラを向けました。

 16区にあるアパルトマン。この日から1ヶ月滞在することになる場所。友人が留守にしているからと、貸してくれたのでした。そうでなければ、こんな長期間ホテル暮らしなどしたら、私、破産してしまいます。このアパルトマンは、スーツケースなど荷物がたくさんあっても楽に乗れるエレベータつき。階段しかないアパルトマンも多いパリにあって、涙が出るほど助かります。
 部屋がある階に着くと、通路は真っ暗。(そういうものなんです)で、壁にある小さなスイッチを探し当てて押すと、照明がともります。あった、○○号室。受け取っていたキーを鍵穴に入れて……

 広々した素敵なお部屋です。これからの滞在を考えると、テンションがあがりました。あんなにくたびれていたのに、うきうきと荷解きをしました。

 このあたりは住宅街なので、商店がそんなにはありません。歩いて5,6分の通りによく買い物に行っていました。Belles Feuilles ベル・フイユという名の通りに並ぶお店たちです。

 滞在中に部屋に飾る花を買い求めた、花屋さん。3,4回行ったかな。店員さんが日本人だとは知らず、お互いずっとフランス語でやりとりしていましたが、最後の最後で日本人だとわかって。




 チーズ屋さん。



 お肉やさん。ここで買った子羊肉、極上でした。



 果物と野菜のお店。大型店は便利ですが、町のこういうお店を大切にしたいですね。



 小さくて品揃えはいまいちだったけど、通いつめたスーパー、モノプリ。



 雨がときどきぱらつくし、疲れてはいるけど、楽しくて仕方なかった初日のパリを、今でも思い出します。

 そして、このあとは、引越しの日々?! またゆるりと書きますね。