ロマソ派.web

青い高校時代のすっぱい男達10人。バイクと温泉と星空を愛した。
彼らは自らをロマソ派と名乗ったが、今じゃもう言わない。

過労で倒れたら分かったこと

2024-09-19 11:34:25 | 不意に思ったこと

過労で倒れたこと、ありますか?

私は1回だけあります。
開発環境が夜中しか使えなくて深夜作業を強行し、進捗会議は日中帯でそっちにも参加して、睡眠時間が短く不定期になってしましました。
「若さと根性でカバーだ!」と職場に段ボール敷いて寝ていたこともありましたが限界を迎え、家でシャワー浴びている時に倒れました。
(しばらく寝てて、鼻にシャワー入ってきて、「痛え」と起きて、その後普通に仕事に行きましたが)

まぁまぁな恐怖体験だったんですが、倒れたから分かった事もあるなと思いました。
普遍的な内容では無いと思いますが、倒れなくても知っといた方が良いかなと思い、書いてみます。

倒れたら分かった事一覧
・仕事の体力の限界を知る
・この働き方を続けるのは嫌だと思う
・自分が倒れても周る現場
・想像よりもよくやる後輩、想像よりも助けてくれる先輩
・プライドや自信はバッキバキにしてすり潰しても、割と生きていける

「あたりまえのことやん!」って思いましたよね、私も書いていてそう思います。
でもね、分からなかったし気付かなかったんですよ、倒れるまで。
多分、結構多くの人が私と同じように分からないし気付かないんだと思います。
でも、精神的にダメな状態で倒れると体力的にもダメになるので、そこから起き上がるの大変なんですよね。
倒れなくても分かっといたら良いと思います。

じゃあ、行きましょう。

 

仕事の体力の限界を知る

仕事の体力って、マラソンなどの体力とはちょっと別の体力になると思います。
色んな現場があると思いますが、代表的なのは「高ストレス×睡眠不足」の中で連続して長時間勤務する事です。
勤務外は意識的に気分をリフレッシュできれば良いですけどね、運動と同じで向き不向き、慣れ不慣れがあるでしょう。

この仕事の体力を、運動の体力と勘違いしているパターンが割とあるように感じています。
だから、若さで乗り切る!みたいな事を考えがちです。

運動での体力の限界は疲労だったり筋肉痛で身体が動かなくなりますが、
仕事の体力の限界は、いきなり倒れたり、睡眠から起き上がれなかったりします。
これは倒れると嫌でも分かってくることです。

 

この働き方を続けるのは嫌だと思う

何でかは分かりませんが、倒れる前って「このやり方しかない!」みたいに考えてしまうんです。
行きつく先が崖だとしても、こっちに行くしかないんだ!と思って突き進みます。
多分、崖が見えていたとしても、崖に向かって突き進むのでしょう。
それで、満を持して崖に落ちると。

他人が見ていると「何で?アホなの?」と思うでしょう。私も書いててそう思います。
何ででしょう。
でも、周囲を見回してください。
どう考えても、崖に向かって邁進している人達が多くいないでしょうか。

これはもう、サピエンスの特性みたいなものだと思えてきています。
崖があるように見えているが、本当は落ちない(そもそも存在しない?)んじゃないか?という事を確かめずにはいられない特性、とでも言いましょうか。
落ちて気付きます。
崖はあるし、ちゃんと落ちる。

倒れると分かるのです。
崖に落ちる働き方は嫌なので、そもそも選択しないようになります。

 

自分が倒れても回る現場

倒れるまで働いてしまう原因の1つに「私がいなくなったら現場が回らなくなる!」という使命感(脅迫感)があります。
最初にハッキリ言いますが、それは妄想であり、勝手な願望であり、自分を高く見積もり過ぎです。
稀に本当のスーパーマンがいて、そういった状況になったりしますが、一時的な状態であり、かつ、
スーパーマンは自分がいなくなっても大丈夫な状況を作り出します。

そしてこの「現場が回らない」思想は、現場に長くいた人に多く思われています。
悪い事にその思想を周囲に分派したりします。
周囲の勤続年数が浅い人も「私がいなくなったら現場が!」の思想になります。

仕事の体力が無い人から倒れます。崖にも落ちます。
現場が大変になるので、残った人たちの思想がより一層強くなります。

というループです。

でもね、「私が!」思想が高い人(かつての私ですが)が倒れてみなさい。
その現場が回らなく、、、ならないんですよ。
一時的には残った人たちが大変になるかも知れません。
だが、時間が経てば前と同じように(下手したらより良い)現場が回っているのです。
どうにかする人達が現れるんですよ。

という状況になることを、倒れると目の前に叩きつけられます。
(ここで立ち直れるかは割と大事なポイント)

 

想像よりもよくやる後輩、想像よりも助けてくれる先輩

倒れるってことは、権限が強制的に他に移譲されることになります。
しかも、「倒れるほどヤバい」という共通認識がつきます。(実は、周囲はとっくに気付いている事が多いけど)
今の仕事の仕方はマンパワーで区切りをつけて、別の方向への模索が始まります。

これもサピエンスの特性だと思っているのですが、共通認識が出来ている集団は大きな力を発揮できます。
倒れることで共通認識が生まれた!とは全然言えなくて、現場にいる邪魔者がいなくなったから周囲が動けるようになった。
と言えるでしょう。悲しいかな。


少しだけ掘り下げます。
これまでどうして、後輩はよくやらなかったのでしょうか。
これまでどうして、先輩は助けてくれなかったのでしょうか。
それはあなた(私)が「私に任せてください。私がやれます。」と言っていたからです。
私はこれを「やるやる詐欺」と呼んでいます。

私の場合、自分が無能と思われたくないゆえに、後輩の力量を低く見誤り、先輩に助けを求められない。
という状況が続いていました。

誰も「倒れるまで働け」なんて言っていないのにね。不思議です。

 

そろそろ「倒れるまで働く必要なんてない」と自然と思えてきたのではないですか?(最初から思っていない?)
倒れるまで働くのは何故でしょうか。
本当に現場のため?周囲の同僚のため?お客様のため?なのでしょうか。

 

プライドや自信はバッキバキに折られて粉々にすり潰されても、割と生きていける

倒れるまで働かせるのは自分のプライドや自信を守るためです。
これまで築き上げてきた経験や実績が、これからも間違っていないと信じたいのです。
「信じたい」これもまた、サピエンスの特性だと思っています。

これまで信じてきた仕事のやり方、現在信じている仕事のやり方が、これからも続く仕事のやり方であると信じたい。
この思いが、プライドや自信なんて呼ばれるものの正体で、自分を縛り付けます。
プライドや自信がバッキバキに折られて粉々にすり潰されると、もう生きていけない、という恐怖を感じているのでしょう。

そんな人には、もう、倒れるまで働くのがオススメです。
倒れて、現場が大変な事になるだろうと思って、でも割と大丈夫に回り出して、バツが悪そうに出社してみましょう。
後輩に話を聞くと「大変だったけど今は割と大丈夫。今はこんな風に工夫している。」という話が聞けるでしょう。
先輩に話を聞くと「体は大丈夫か、無理だったら早めに言ってくれよな。」と言って貰えるでしょう。

私が思うに、そういった言葉は倒れる前から(さんざん)提案されていたでしょう。
その事に気付くはずです。

しばらくは、自信もプライドもバッキバキの粉々でしょう。
でも割と普通に(もしかしたらより良く)働いていけることに気付くでしょう。

 


これが、倒れると分かる事です。
倒れてでも経験しておくと良いので、私は倒れるまで働く推奨(助けを求められるまで放っておく)だったのですが、
昨今の人材不足で悠長な事言ってられないのと、一定数立ち直れない人がいるので、倒れる前にどうにかしようと思いだしています。

隣で働いている同僚は、体力と精神をめちゃくちゃすり減らしています。
何を言っても心には響きません。
「倒れてみれば分かるさ」と匙を投げる、、、いやいや!いかんぞ!あきらめるなオレ!
という気持ちでまとめました。

多分心に響かないだろうけど、諦めずに自分もあがいてみようと思います。


情報セキュリティ白書2024のまとめ

2024-08-27 13:08:05 | 日記

情報セキュリティ白書2024が刊行されました。

https://www.ipa.go.jp/publish/wp-security/2024.html

ざっくり読んでまとめた物を記載します。

 

<トピックス>
・コロナ明けて経済、社会活動が回復すると共にデジタル化が大きく進展した。
・一方で、ランサムウェアの脅威が深刻化している
・システムの設計段階から脆弱性を取り除く、セキュア・バイ・デザインのアプローチが重要
・AIによる偽、誤情報の生成と拡散(第4章は全てこの話題)
・国内の個人情報漏洩、紛失の発生件数、流出した個人情報数は過去最多(内部不正の被害が大きい)
・情報漏洩事件全体の原因別割合、ウイルス感染不正アクセス53.1%、誤送信・誤表示24.5%、不正持出・盗難13.7%、紛失・誤廃棄8.5%
・過失による情報漏洩の事故分類、誤配達・誤交付43.0%、誤送信24.7%、紛失・滅失・き損11.2%
過失による情報漏洩の事故原因は、手順・ルール違反、作業操作ミス、確認不足の担当者の不適切な作業による起因が全体の74%となる。
 
<2023年の事故>
2023年1月NTT西日本の子会社の元派遣社員が岡山県内の企業の顧客情報を不正に持ち出して名簿業者に漏えいした(8年間に渡り900万件)
2023年6月に社会保険労務士向けクラウドサービス事業者がランサムウェアの攻撃を受け、約1ヶ月サービス停止、約3,400ユーザに影響
2023年7月に「LockBit」ランサムウェアの攻撃で、名古屋港のコンテナターミナル内のシステムが2日半停止。
2023年7月NTTドコモの業務委託先である株式会社NTTネクシアの元派遣社員が、お客さま情報を含む業務情報を不正に外部に持ち出した(596万件)
2023年12月個人情報を含むファイルがインターネット上で閲覧可能な状態。Googleドライブの閲覧範囲を誤設定(93万件)
 
<面白かった>
IBM 社の「データ侵害のコストに関する調査 2023年」によると、データ侵害のレコード1件あたりのコストは165ドル(データ侵害されるとお金がかかる)
ビジネスメール詐欺で参加したオンライン会議で、ビデオ会議に参加していた数人すべてがディープフェイクにより生成されたものであった
ビジネスメール詐欺で送金支持を送った後に、送信者の音声をディープフェイクで生成し、電話でも追い打ちをかける。
・SMSを悪用した個人を狙う手口がある。金融機関、宅配便業者、国税庁をかたるなど。
→対策として、Webサイトにアクセスしない、電話番号に電話しないがある。SMSではリンクや電話番号を張っても踏んでくれないかも。
 
<気を付けろ>
・メールやSMSは本当に気を付けて①(メールから、ランサムウェア、フィッシングサイトへの誘導が多い)
→誘導はURLを踏ませるだけでなく、QRコード読み取り(クイッシング)も報告されている
・メールやSMSは気を付けて②
→ビジネスメール詐欺が増加している(2023年アメリカで約29億ドルの被害)
→国内で発生した事例では、イベント事業を展開する株式会社 NHK プロモーションが、虚偽のメールによる送金指示により詐欺被害を受けた
医療製品事業を展開する株式会社スリー ・ ディー ・ マトリックスが、取引先を装った虚偽のメールによる送金指示により約 2 億円の被害を受けた事例
これは、いきなり知らない人から送られてくるのではなく、これまでやり取りしている人(になりすまして)送金支持を出してくる。
 
・Googleドライブなどの共有・閲覧設定は気を付けて。
・内部不正は気を付けて
 
<まとめ>
DeepFakeの作成により、音声、映像などは信用ならなくなった。
これは、(みんなが大好きな)電話やオンライン会議で信用することが出来なくなったことを示している。
もう何も信じられない。
 
日本の個人時報流出は、結局内部不正が多い気がしている。
どうして内部不正が多くなってしまうのかは興味深いが、職員の教育とかガバナンスといったよくある対策では十分では無いんだろうなと思う。

わたし猫だから人の言葉わからない、わたし猫だけどこの人の気持ちなぜかよく分かる~

2024-08-20 13:10:14 | 不意に思ったこと

NHK教育の「0655」という番組で歌われている、わたし猫、のフレーズです。
猫だから言葉は分からないけど、この人(飼い主)が嬉しいのか悲しいのか寂しいのかはよく分かるよ。
っていう、言葉が通じなくても気持ちが通じている!微笑ましい!猫飼いたい!と思わせる絶妙な歌詞です。(猫の画像も見ると効果は抜群だ!)

この歌詞、前半(言葉分からない)と後半(気持ち分かる)でどちらに重点があるかと言えば、言わずもがな後半になります。
私もそう思っておりました。
言葉が分からなくても気持ちが分かっているって素晴らしいよね!と思っておりました。

ただ最近は、もしかして大事なのは前半?と考えるようになってきたのです。


パートナーと話していて、話している言葉(内容)には意味が無い、ことがある(となっている時間が長い)。
という事が分かっています。
女性通しの話を聞いていると顕著に分かりますが、お互いに何を話しているかは聞いてはおらず、お互いに適当に(少なくとも私にはそう見える)相槌をして、話があっちこっちに飛んで行く。
最終的に「楽しかった」という思い出だけが残る。
という話。
言い方は色々ありますが、同じような場面に出くわしたことがあると思います。

私はバカにしているわけでは無くて、事象としてそうなっている。
そして大事なことは、そのような会話を"好んで"している人達であるということです。
ホリエモンさんはこれを「ツボ押し」と読んでいました。全くその通りだと思います。

そのような会話をネコ会話と呼ぶことにしましょう。
(呼び方は何でも良いのです、クソ会話でも、無駄話でも。でも、多くのネコ会話を楽しむ方々は後述するリアクションに"しか"注力しないので、
なんでも可愛い言葉にして感情を逆立てないようにする、ここで言えばネコ会話にしといた方が無難なのです)

ネコ会話は聞いていれば分かりますが、話す内容がかなり高速です。
そして、話題があっちいってこっち帰ってと飛びまくります。
ここで取り交わされる言葉(内容)を理解し、前後の内容から文脈を推測して本質的に理解する事は私にとっては困難です。
これを"ほぼ無意識に"行う事は不可能だと思い、辿り着いたのが「話している言葉(内容)の意味を理解していない(ほぼ欠落させている)」という結論です。

そんな事は無い!無意識にでもちゃんと理解している!お前がアホなだけだ!

と言う人もいるかも知れません。
脳の処理速度と処理に対する欲求が高い人(あきらめない)はそうなのかも知れません。
ですが、(多分)効率を上げれば上げるほど、ネコ話のほとんどは欠落させて、聞きたい言葉だけ反応させるようになるはず。
これを意識的に行うようになるか、無意識的に行うようになるかの違いだと思います。

無意識に言葉を欠如させている時に何をしているか。
それは、うなずいてリアクションをしているんです。
あなたの言っていることに同意します、というのが日本で言えばうなずくという行為です。
話している方は、相手が理解しているかを確認しているのではなく、相手が自分にポジティブかネガティブかを判断しているだけです。
ネコ会話の人々は"内容は分からないけどとりあえず"相手にポジティブな表情をする事で、会話を続ける糧にしています。

ということで、ネコ会話をしているほとんどの時間、言葉(内容)を理解せずにうなずいているだけです。
これを効率的に行うには、言葉(内容)を下手に理解して、取捨選択するのは効率が悪いので、意識的・無意識に関わらず人の言葉が分からない
状態になる必要があるのです。

女性が4人くらい集まって高速で会話している時に、1人がうなずいているだけ、という構図は簡単に想像できます。
この1人が相手の話を分かっていようが分かっていまいが関係がありません。
下手したらにゃーにゃーしか話さなくても全く問題無いのです。

家で猫に話しかけている人を想像してください。
この人は、猫と話せたらな~と思って話しかけているのではありません。
猫が人の言葉は分からない"から"、安心して話しかける事ができるのです。

これは、効率と安心の問題です。
頭が良いとか悪いとかの話ではありません。
人間と猫の話だけではありませんが、人間と人間の会話でも同じ事態になっています。

そうではないと思う方も、周囲を見回してください。
人によって割合が異なるだけだと思いません。
ある人は、ほとんどがネコ会話していると思いませんか。

よく分からんことを話している、とか
センスのないことを言っている、とか
そう思ってしまうのは、あなたが「人の言葉を分かっている」からです。
そしてそれは非常に効率の悪い事です。

意識的に、言葉を欠如させて、頻繁に発生するネコ会話についていきましょう。
大丈夫、あなたが「にゃー」と言っても、だれも気付きません。


DXだ!効率化だ!とは言うけれど

2024-07-18 10:39:36 | 不意に思ったこと
役場にいると電話の多さに気が滅入る。
あれもこれもそれもどれも全て受話器を通した(あるいは対面の!)口頭で伝えられている。
情報の正確性やログが残らない事から、トラブルに発展してしまう事があるし、長時間を1人の長電話(長話も!)に付き合わされているのも気になる。
ただ一方で、住民一人一人に寄り添って傾聴する、誰一人取り残さない、というのは行政の大きなミッションの1つではある。
 
電話について言えば、住民からの電話連絡とは「送られてきた資料、掲載されているHPを見ても、よく分からなかったから電話で聞く」というケースが少なくない。
(一部の特殊な例もいるが)このケースでは資料をよく読んでくださいとか、見ればわかるでしょ、と思えども、電話口でそう言う事は出来ない。
また、どこが分からないのかを口頭で伝えてもらわなければならない(多くの人はどこが分からないのか分からない)ので時間もかかる。
更に、話し相手が怒っていればなお困るし、そういった電話がこちらの身構えなく突然襲ってくる。
つまりは、住民からの電話はその数が多くなればなるほど、職員にとってストレスが大きくなる。
役場から作業を依頼している業者などとの情報連携電話は、やる事が決まっているのでストレス的には少なくて済む。
 
職員の時間を奪いストレスを与える電話のソリューションは、今日沢山ある。
コールセンターを使う、留守番電話を使う、SMSでそもそも電話をかけないで情報連携する、問い合わせのフォームを作るなどなどが考えられる。
が、そのほとんどは思ったほど機能していない事はないか。
 
これまで役場が行ってきたのは、情報を絞らず全量を紙面に記載してきた。
結果、紙面の内容は分かりずらくなる。
不明点は電話対応で補う(これを住民サービスだと考えている節もあり)というやり方では、電話の数が多くなるため、住民サービスの低下が発生している。
「そもそも電話がかかってこないようにするには」という点について考える必要があるのだが、そうはできていない。
全量記載してしまった方が決済に時間がかからないからだ(しかも正確だと考えている節有り)。
 
「そもそも電話がかかってこないような分かりやすい文章、チラシ、広報を作ろう」という機運は個人レベルで高まる時期があるかも知れない(みんな割とデザイン好きだし)。
だが、資料の作成に時間をかけられず、結局は逃げの全量記載をしてしまう。
ただ、考えてみれば、資料作成に2時間かかり、電話対応が20件減らせたとすれば、時間的プラマイはゼロになる。
対象が多ければ多いほどその効果は大きくなる。
要は、どの工程でどの時間を使うかの問題になっているのだが、何故かほとんどの人は電話対応を優先してしまう。(電話対応の充実が住民サービスを高めると思っている節あり)
 
これまでは、電話対応の窓口(人員)を増やす、申請できる窓口(人員)を一時的にでも増やす人海作戦が取られてきた。
だが、外部環境的に、人海作戦がこれからも取れるかどうかは、かなり怪しい。
 
 
分かりやすい文章を作るのは確かに大変かもしれない。
特に最初は難しいかも知れない。
ただ、全量記載→電話対応は今までもこれからも必要となる時間が一定なのに対して、分かりやすい文章を作ることは段階的にスキルのレベルアップが可能となる。
文章とは住民向けに限らず、内部文章など実は多岐に渡る。
前提知識のない人に対して、情報を伝達して何かしらアクションを取ってもらう、という観点では住民も職員も変わらない(職員の中には文章理解レベルがそれほどでもない人がいる)。
 
内部文章で練習を繰り返して、スキルを高め、住民向けで本番を迎え反省する。
というサイクルが役場の中で完結できる。
しかも、電話数という分かりやすい数値目標も作ることができる。
役場の仕事の中で、業務知識によらない汎用的なビジネススキルを高める機会はそれほど多くない。
 
「分かりやすい文章を作る」とはつまり、1対多のコミュニケーション全て(あるいは1対1も)に適用ができる汎用力の高いスキルとなる。
役場の多くの定型的で単調な作業は、そのうちロボットに代替されることは目に見えている中で、このスキルは今のところ代替されないクリエイティブなスキルとなる。
その内、デザイン面は自動化が進むだろうが、「分かりやすい」とはつまり、どの情報が大事で、どの順序で書けば、誰に伝わるというロボットに指示する部分になるので、簡単には無くならないだろう。
つまりは、役場以外でもつぶしが効くスキルとなる。
このつぶしの効くスキルを、働きながら得られるのは、役場で働く特権として、新しいインセンティブになるかも知れない。
 
DXだ!効率化だ!とは言うけれど、これは今ある資料や情報を手じゃなくてロボットで早く正確に処理をしよう、という発想だ。
それ故、ロボット対応(オンライン申請)とか出来ない人がいれば、オンラインと紙の両方の申請が残る。
つまりは作業量が増える結果となり、DXと効率化が逆効果になる場合がある。
ここで必要なのは、情報を減らすことを考える必要があり、その王道が「分かりやすい文章を作る」になる。
 
情報を作り出すのは人間なので、その人間から予期せぬ情報を発生させないスキル。
これが行えているならむしろ、オンライン申請なのか紙申請なのかは些細な違いである。

俺はお前の後輩じゃない

2024-05-16 11:30:04 | 不意に思ったこと

かの有名なスラムダンクであっても、連載当初(1990年)は不良ケンカ漫画だったように、この世代は"拳で分からせる"的な文化が強かったと思います。
少し時間を進めると2000年のIWGPで"かっこいい人"がケンカしたり仁義したり、に進み、
劇場版クローズ(2007年)では"顔がかっこいい"が更に前面に出て来た感じがあります。

少し時間を戻す(1980年代)と、"かっこいい"の定義が異なるようで、暴走族や不良と言った"悪い"がカッコいいという時代があり、
更に時間を戻すと学生運動などの"自分が"闘争の渦中に入る、それを"かっこいい"と感じる時代につながります。

もっと遡ると戦時中マインドになってきちゃうんですが、
私思うに、どの時代(世代)にも「仁義大好き」が根底として脈々と繋がってきていると感じています。
(私の中では、ワンピースも仁義漫画に見えている)

我々は仁義が大好きなのです。
そして、仁義と相性の良いものが、明確な上下関係、年功序列、無理や無茶、論理的にはやらない方が良いことを感情的に行ってしまう、しかもそれに命をかける
といった少年漫画精神(≒戦争精神)だと思います。
いずれの行為も、単体ではマイナスに見える行為が、仁義が掛け合わせると、たちまち美談になったりします。
この動きはホモサピエンス全般なのか日本人固有なのかは分かりません。
が、やっぱり我々は仁義が大好きで、仁義を武士道とか愛とか筋を通すとか美意識とか言い換えて使っていたりします。

個人的には日本では法律の上に仁義があるような気がしています。
それゆえ日本では、周囲からの目、評価ではなく評判を気にする、悪評が立つとその地域で生きていけないと思う、悪いことをしても切腹すれば許される、
といった行為をしやすいムードがあるのだと思います。

それ自体は別に悪いことではありません。
法律が未整備な分野では、法律よりも個人の仁義(美意識)が大事になることもあります。

が、

どうやら我々は仁義が大好きなあまり、仁義と相性が良い物を押し付け、仁義と相性の悪い物にネガティブになる傾向にあるようです。
例えば、漫画などで頭の良いクールキャラ(時には味方をも騙す)がいたとして、彼はずーーっと論理的に計算して行動する、のではなく、
そんなクールキャラがなりふり構わず、衝動的な感情で、命を落として仲間を救う(死ぬときの台詞は「何でかって?知るか、身体が勝手に動いちまったんだ。」)
というシーンにグッとくるのであります。

この気持ちが行き過ぎると、クールなキャラでも奥底にはあっついハートがある「はずだ」と先読みして考えてしまいがちになります。
更に行き過ぎると、現実で出会う人に対しても「本当はすごい情熱があるはずだ=仁義が大好きなはずだ」と考え、
(ここが間違いなんだけど)仲良くなるってことは、仁義と相性の良い関係にお前もなりたいってことだなとなります。

漫画っぽい話でいくと、論理的に考えれば割に合わない時でも絶対に裏切らない仲間みたいな関係性になり(ここまでは間違いじゃない)
その関係性とは、戦争、ヤクザ、暴走族、不良、ヤンキーといった明確なヒエラルキーのある上下関係だと考えてしまいます。(ここが間違い)
ある世代では上下関係と年功序列の認識が強く結びついているので、仲良くなったらいきなり後輩(舎弟、パシリ扱い)扱いしてきます。

 

という事で、前置きが長くなりましたが、タイトルに戻ります。
あるタイミングまで他人と他人でビジネス的でドライな関係が取れていたのに、ある契機(時点)でもって仁義関係になる事があります。
双方が仁義関係になっていれば問題無いのですが、だいたいは片方がその状態に突入しています。
「困った時にはなりふり構わず助けるぜ!」といったポジティブな仁義の発動が行われていれば良いのですが、
だいたいは、「お前、なに俺に口ごたえしてるんだ?」のような前提となる上下関係の発動によって発覚します。

やられた方はたまったものではなくて、対等だと思っていた関係が、いつの間にか自分が下になっている、と感じる事でしょう。
しかも、その根拠になるのはまさかの年齢だったりします。

なので私はタイトルのようなことを考え、
なんでこんなことになるのかを分析してみたのです。