過労で倒れたこと、ありますか?
私は1回だけあります。
開発環境が夜中しか使えなくて深夜作業を強行し、進捗会議は日中帯でそっちにも参加して、睡眠時間が短く不定期になってしましました。
「若さと根性でカバーだ!」と職場に段ボール敷いて寝ていたこともありましたが限界を迎え、家でシャワー浴びている時に倒れました。
(しばらく寝てて、鼻にシャワー入ってきて、「痛え」と起きて、その後普通に仕事に行きましたが)
まぁまぁな恐怖体験だったんですが、倒れたから分かった事もあるなと思いました。
普遍的な内容では無いと思いますが、倒れなくても知っといた方が良いかなと思い、書いてみます。
倒れたら分かった事一覧
・仕事の体力の限界を知る
・この働き方を続けるのは嫌だと思う
・自分が倒れても周る現場
・想像よりもよくやる後輩、想像よりも助けてくれる先輩
・プライドや自信はバッキバキにしてすり潰しても、割と生きていける
「あたりまえのことやん!」って思いましたよね、私も書いていてそう思います。
でもね、分からなかったし気付かなかったんですよ、倒れるまで。
多分、結構多くの人が私と同じように分からないし気付かないんだと思います。
でも、精神的にダメな状態で倒れると体力的にもダメになるので、そこから起き上がるの大変なんですよね。
倒れなくても分かっといたら良いと思います。
じゃあ、行きましょう。
仕事の体力の限界を知る
仕事の体力って、マラソンなどの体力とはちょっと別の体力になると思います。
色んな現場があると思いますが、代表的なのは「高ストレス×睡眠不足」の中で連続して長時間勤務する事です。
勤務外は意識的に気分をリフレッシュできれば良いですけどね、運動と同じで向き不向き、慣れ不慣れがあるでしょう。
この仕事の体力を、運動の体力と勘違いしているパターンが割とあるように感じています。
だから、若さで乗り切る!みたいな事を考えがちです。
運動での体力の限界は疲労だったり筋肉痛で身体が動かなくなりますが、
仕事の体力の限界は、いきなり倒れたり、睡眠から起き上がれなかったりします。
これは倒れると嫌でも分かってくることです。
この働き方を続けるのは嫌だと思う
何でかは分かりませんが、倒れる前って「このやり方しかない!」みたいに考えてしまうんです。
行きつく先が崖だとしても、こっちに行くしかないんだ!と思って突き進みます。
多分、崖が見えていたとしても、崖に向かって突き進むのでしょう。
それで、満を持して崖に落ちると。
他人が見ていると「何で?アホなの?」と思うでしょう。私も書いててそう思います。
何ででしょう。
でも、周囲を見回してください。
どう考えても、崖に向かって邁進している人達が多くいないでしょうか。
これはもう、サピエンスの特性みたいなものだと思えてきています。
崖があるように見えているが、本当は落ちない(そもそも存在しない?)んじゃないか?という事を確かめずにはいられない特性、とでも言いましょうか。
落ちて気付きます。
崖はあるし、ちゃんと落ちる。
倒れると分かるのです。
崖に落ちる働き方は嫌なので、そもそも選択しないようになります。
自分が倒れても回る現場
倒れるまで働いてしまう原因の1つに「私がいなくなったら現場が回らなくなる!」という使命感(脅迫感)があります。
最初にハッキリ言いますが、それは妄想であり、勝手な願望であり、自分を高く見積もり過ぎです。
稀に本当のスーパーマンがいて、そういった状況になったりしますが、一時的な状態であり、かつ、
スーパーマンは自分がいなくなっても大丈夫な状況を作り出します。
そしてこの「現場が回らない」思想は、現場に長くいた人に多く思われています。
悪い事にその思想を周囲に分派したりします。
周囲の勤続年数が浅い人も「私がいなくなったら現場が!」の思想になります。
仕事の体力が無い人から倒れます。崖にも落ちます。
現場が大変になるので、残った人たちの思想がより一層強くなります。
というループです。
でもね、「私が!」思想が高い人(かつての私ですが)が倒れてみなさい。
その現場が回らなく、、、ならないんですよ。
一時的には残った人たちが大変になるかも知れません。
だが、時間が経てば前と同じように(下手したらより良い)現場が回っているのです。
どうにかする人達が現れるんですよ。
という状況になることを、倒れると目の前に叩きつけられます。
(ここで立ち直れるかは割と大事なポイント)
想像よりもよくやる後輩、想像よりも助けてくれる先輩
倒れるってことは、権限が強制的に他に移譲されることになります。
しかも、「倒れるほどヤバい」という共通認識がつきます。(実は、周囲はとっくに気付いている事が多いけど)
今の仕事の仕方はマンパワーで区切りをつけて、別の方向への模索が始まります。
これもサピエンスの特性だと思っているのですが、共通認識が出来ている集団は大きな力を発揮できます。
倒れることで共通認識が生まれた!とは全然言えなくて、現場にいる邪魔者がいなくなったから周囲が動けるようになった。
と言えるでしょう。悲しいかな。
少しだけ掘り下げます。
これまでどうして、後輩はよくやらなかったのでしょうか。
これまでどうして、先輩は助けてくれなかったのでしょうか。
それはあなた(私)が「私に任せてください。私がやれます。」と言っていたからです。
私はこれを「やるやる詐欺」と呼んでいます。
私の場合、自分が無能と思われたくないゆえに、後輩の力量を低く見誤り、先輩に助けを求められない。
という状況が続いていました。
誰も「倒れるまで働け」なんて言っていないのにね。不思議です。
そろそろ「倒れるまで働く必要なんてない」と自然と思えてきたのではないですか?(最初から思っていない?)
倒れるまで働くのは何故でしょうか。
本当に現場のため?周囲の同僚のため?お客様のため?なのでしょうか。
プライドや自信はバッキバキに折られて粉々にすり潰されても、割と生きていける
倒れるまで働かせるのは自分のプライドや自信を守るためです。
これまで築き上げてきた経験や実績が、これからも間違っていないと信じたいのです。
「信じたい」これもまた、サピエンスの特性だと思っています。
これまで信じてきた仕事のやり方、現在信じている仕事のやり方が、これからも続く仕事のやり方であると信じたい。
この思いが、プライドや自信なんて呼ばれるものの正体で、自分を縛り付けます。
プライドや自信がバッキバキに折られて粉々にすり潰されると、もう生きていけない、という恐怖を感じているのでしょう。
そんな人には、もう、倒れるまで働くのがオススメです。
倒れて、現場が大変な事になるだろうと思って、でも割と大丈夫に回り出して、バツが悪そうに出社してみましょう。
後輩に話を聞くと「大変だったけど今は割と大丈夫。今はこんな風に工夫している。」という話が聞けるでしょう。
先輩に話を聞くと「体は大丈夫か、無理だったら早めに言ってくれよな。」と言って貰えるでしょう。
私が思うに、そういった言葉は倒れる前から(さんざん)提案されていたでしょう。
その事に気付くはずです。
しばらくは、自信もプライドもバッキバキの粉々でしょう。
でも割と普通に(もしかしたらより良く)働いていけることに気付くでしょう。
これが、倒れると分かる事です。
倒れてでも経験しておくと良いので、私は倒れるまで働く推奨(助けを求められるまで放っておく)だったのですが、
昨今の人材不足で悠長な事言ってられないのと、一定数立ち直れない人がいるので、倒れる前にどうにかしようと思いだしています。
隣で働いている同僚は、体力と精神をめちゃくちゃすり減らしています。
何を言っても心には響きません。
「倒れてみれば分かるさ」と匙を投げる、、、いやいや!いかんぞ!あきらめるなオレ!
という気持ちでまとめました。
多分心に響かないだろうけど、諦めずに自分もあがいてみようと思います。