今回、生まれてはじめて手術を受けてみて、それも結構大掛かりで、そして手術をすれば終わるのではなくそこからが始まりで、リスクマネジメントが必要だったり色々ハンデを背負ったり、普通なら受け入れがたい事もあったり…色々あって、そんな中、術前術後は母が付きっきりで看病してくれて、親戚とか友達とか色んな人が見舞いにも来てくれて。 自分が何もできない状態のときに人がそばに居てくれるというのがとてもありがたかった。
母は、病気や痛がっている僕と代わってあげることも何もできない、無力だと嘆いたが、ただそばに居てくれるだけでどれだけ僕の力になったことか、ただ「痛い」と訴える相手が居るだけでどれだけ精神的に楽だったか。
人の存在は大きい、絶対に。
もし、家族や恋人や自分にとって大切な人が手術を受けたり病に倒れた時は僕の時間を惜しみなく捧げようと思った、元気になるまでずっとそばに居ようと、その心強さを身を持って味わったのだから。
そして、人の力も大きい。
外科医って一体何なんだ、看護士って何だ、すごすぎる。 ただただ尊敬、ただただ感謝。
人の言葉の力もでかい、些細な一言に一喜一憂して、きっと善意でかけてくれた言葉だろうけどそれに傷ついたり。 泣けてくるほど落ちてた心を、たった一言で力強く支えてくれたり。
言葉で物事を伝え、人と接する仕事をしている者として、言葉の力・人の力の大きさは知っておかなければならないこと、そして自分が発する言葉に正しい方向の力を持たせなければならない。
術前、自分の身体を切り刻み臓物を取り出してしまう事は「己」が変化してしまうことのようで酷く怖かったのだけど、実際に今、僕が縋っていた「己」には何の変化もなく、身体とはあくまでも物質であり器であり、その形状には何ら意味はなく、そこに精神が定着し「己」が存在している事に意味があるのだなと思った。
僕の精神には微塵の余白もないけれど、そうそう容易く変化させられたり失ってしまうほどヤワな存在でもない。 そう気づいて強くなったと思う。
人は小さな存在かも知れない、例え僕が死んでも、誰かが死んでも、世界中の殆どの人には影響を与えない。
ニュースで「死亡」という言葉が飛んできても僕の生活には変わりがない。
世界にとって1人の人間は小さすぎるけど、世界はその人間の集合体であって、そこには1人1人小さな人間同士の複雑なリレーションがあり、隣接する人間にとって、その人の存在やそのリレーションが世界と同等かそれ以上の価値を持っていることさえある。
僕の中にもある。
大切なものは、結局何も変化しなかった。
そして、多くを得た。
うん。
母は、病気や痛がっている僕と代わってあげることも何もできない、無力だと嘆いたが、ただそばに居てくれるだけでどれだけ僕の力になったことか、ただ「痛い」と訴える相手が居るだけでどれだけ精神的に楽だったか。
人の存在は大きい、絶対に。
もし、家族や恋人や自分にとって大切な人が手術を受けたり病に倒れた時は僕の時間を惜しみなく捧げようと思った、元気になるまでずっとそばに居ようと、その心強さを身を持って味わったのだから。
そして、人の力も大きい。
外科医って一体何なんだ、看護士って何だ、すごすぎる。 ただただ尊敬、ただただ感謝。
人の言葉の力もでかい、些細な一言に一喜一憂して、きっと善意でかけてくれた言葉だろうけどそれに傷ついたり。 泣けてくるほど落ちてた心を、たった一言で力強く支えてくれたり。
言葉で物事を伝え、人と接する仕事をしている者として、言葉の力・人の力の大きさは知っておかなければならないこと、そして自分が発する言葉に正しい方向の力を持たせなければならない。
術前、自分の身体を切り刻み臓物を取り出してしまう事は「己」が変化してしまうことのようで酷く怖かったのだけど、実際に今、僕が縋っていた「己」には何の変化もなく、身体とはあくまでも物質であり器であり、その形状には何ら意味はなく、そこに精神が定着し「己」が存在している事に意味があるのだなと思った。
僕の精神には微塵の余白もないけれど、そうそう容易く変化させられたり失ってしまうほどヤワな存在でもない。 そう気づいて強くなったと思う。
人は小さな存在かも知れない、例え僕が死んでも、誰かが死んでも、世界中の殆どの人には影響を与えない。
ニュースで「死亡」という言葉が飛んできても僕の生活には変わりがない。
世界にとって1人の人間は小さすぎるけど、世界はその人間の集合体であって、そこには1人1人小さな人間同士の複雑なリレーションがあり、隣接する人間にとって、その人の存在やそのリレーションが世界と同等かそれ以上の価値を持っていることさえある。
僕の中にもある。
大切なものは、結局何も変化しなかった。
そして、多くを得た。
うん。
私は、7年前に実父をガンでなくしていて、病気に気づいたときは「あと3ヶ月の命」でした。父は本当に3ヶ月で逝ってしまいましたが、父の残された時間は、家族が一体となって本当にみんな闘病生活を頑張り貫きました。。
炒っってしまった父も、残された家族も・・・
ただ、ただ『ありがとう』という言葉しか出てきません。つらいとき、悲しいとき・・・もちろん自分の力も大事だけど、見守ってくれる家族や配偶者の力もとっても大きいですよね?
術後もたいへんだとは思いますが、前向きに頑張っていってください!!素敵な奥さまが見つかるといいですね☆彡もういらっしゃるのかな?(^^)
miccho♪
手術当日の方が遥かに楽、寝てる間に終わるんだから。
みんな「手術がんばったねー」って言うんだけど、別にがんばってないからっていっつも思います(笑)
「闘病」とはよく言ったもので、ホント戦いですね。 自分も周りも。
3ヶ月後に2度目の手術を控えてるんですが、その術後は本当に大変らしいんですよね、医師の話だと、今の自分でも少し自信がなくなることがあるんですが、前向きに前向きに。
僕の父も僕と同じ病気でした。
父は退っ引きならない状態まで放っておいたため、手の施しようがなかったらしいです。
僕も手遅れ一歩手前だったんですけどね、ちょうど転職の為に仕事を辞めた時期に体調を崩して、病院行ったらそのまま入院させられて…。
皆は父が守ってくれたと喜んでました。
読んでて胸が熱くなりました。無事に退院できたようで本当に良かったですね!
まだまだ先は長いですが一山超えたので、もう一山ですね。
どなたか存じませんが、ご自愛ください。
この「自愛」ってのがなかなか難しいのは承知しておりますが(苦笑)