![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/a7/03b13b455f4ad79c86090c4ae750c085.jpg)
( 但馬高原植物園 in 兵庫県三方郡香美町 )
===================================================
ちょいとマイナーないい話。
・・・・・知っている人は知ってる話かも ^^;
1890年(明治23年)、「エルトゥールル号」というトルコ国籍の軍艦が和歌山県・串本沖で台風により遭難した。
死者581人、生存者69人。
当時の近隣住民は、亡くなった人たちは手厚く葬り、助かった人たちには自分たちの非常食までも分け与えて、飢えと寒さから守った。
事の次第を知った当時の明治天皇の指示の元、生き残ったトルコ人たちは、無事に祖国へと帰り。
遺されたトルコ軍人の遺族たちには、日本全国から義捐金が送られたという。
時代は流れ、イラン・イラク戦争勃発。
当時のサダム・フセイン大統領はこう叫んだ。
「今から四十八時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とすぞっ」
イランに住む邦人は焦った。 各国の首脳陣も焦った。
自国民を助けるために軍の飛行機を飛ばす各国。
でも。
日本首脳陣は、手をこまねいていた。
自衛隊機を派遣できない。
憲法9条があるから。
アメリカなどの友好国も、手を貸してはくれない。
自国民救出に手がいっぱいだから。
打つ手がないっ。
日本人のために飛んでくれる飛行機は、一機もない。
リミットは刻一刻と迫ってくる。
焦る。
皆が焦る。
リミットは、待ってくれない。
同じ日本人を。
我らが同胞を。
見捨てるしかないのかっ?!
そんな中。
起死回生の一報が飛び込んだ。
「トルコ航空機が飛んでくれるぞっ!!!!!」
タイムリミットの1時間15分前。
2機のトルコ国籍の航空機が、イランに残されたすべての日本人を救出した。
当時の日本、そしてマスコミも、おそらく政府高官も。
なぜトルコが日本人救出に手を貸してくれたのか、誰もわからなかった。
当時イランには、6千人近いトルコ人がいたはずである。
それでも、飛んだ。
なぜ??
トルコ人は覚えいてたのである。 「エルトゥールル号遭難事件」を。
トルコの教科書には載っている。 「エルトゥールル号遭難事件」の詳細が。
さて、じゃあ、その2機の飛行機で救出されるはずのイランに住むトルコ人たちは。
イランとトルコは陸続きのため、陸からの帰途に着いたらしい。
ただし、ものすごい悪路を何日もかけて。
いつか書こうと思っていたネタ。
ブログ用になるべくさらっと書きました。
が。
関連記事を検索して、じっくり読むと、結構いい話ですよ。
興味のある方は「エルトゥールル号遭難事件」でググってみてくださいね(^^)v
===================================================
ちょいとマイナーないい話。
・・・・・知っている人は知ってる話かも ^^;
1890年(明治23年)、「エルトゥールル号」というトルコ国籍の軍艦が和歌山県・串本沖で台風により遭難した。
死者581人、生存者69人。
当時の近隣住民は、亡くなった人たちは手厚く葬り、助かった人たちには自分たちの非常食までも分け与えて、飢えと寒さから守った。
事の次第を知った当時の明治天皇の指示の元、生き残ったトルコ人たちは、無事に祖国へと帰り。
遺されたトルコ軍人の遺族たちには、日本全国から義捐金が送られたという。
時代は流れ、イラン・イラク戦争勃発。
当時のサダム・フセイン大統領はこう叫んだ。
「今から四十八時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とすぞっ」
イランに住む邦人は焦った。 各国の首脳陣も焦った。
自国民を助けるために軍の飛行機を飛ばす各国。
でも。
日本首脳陣は、手をこまねいていた。
自衛隊機を派遣できない。
憲法9条があるから。
アメリカなどの友好国も、手を貸してはくれない。
自国民救出に手がいっぱいだから。
打つ手がないっ。
日本人のために飛んでくれる飛行機は、一機もない。
リミットは刻一刻と迫ってくる。
焦る。
皆が焦る。
リミットは、待ってくれない。
同じ日本人を。
我らが同胞を。
見捨てるしかないのかっ?!
そんな中。
起死回生の一報が飛び込んだ。
「トルコ航空機が飛んでくれるぞっ!!!!!」
タイムリミットの1時間15分前。
2機のトルコ国籍の航空機が、イランに残されたすべての日本人を救出した。
当時の日本、そしてマスコミも、おそらく政府高官も。
なぜトルコが日本人救出に手を貸してくれたのか、誰もわからなかった。
当時イランには、6千人近いトルコ人がいたはずである。
それでも、飛んだ。
なぜ??
トルコ人は覚えいてたのである。 「エルトゥールル号遭難事件」を。
トルコの教科書には載っている。 「エルトゥールル号遭難事件」の詳細が。
さて、じゃあ、その2機の飛行機で救出されるはずのイランに住むトルコ人たちは。
イランとトルコは陸続きのため、陸からの帰途に着いたらしい。
ただし、ものすごい悪路を何日もかけて。
いつか書こうと思っていたネタ。
ブログ用になるべくさらっと書きました。
が。
関連記事を検索して、じっくり読むと、結構いい話ですよ。
興味のある方は「エルトゥールル号遭難事件」でググってみてくださいね(^^)v