悠響聖歌

 隠しサブタイトル「追憶の夢 未来への導」
 ・・・・・隠してないしっ?

終秋の葉

2009-10-01 23:49:41 | オジカメ(Konica ⅢA)
 ( 但馬高原植物園 in 兵庫県三方郡香美町 )
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 ちょいとマイナーないい話。
 ・・・・・知っている人は知ってる話かも ^^;


 1890年(明治23年)、「エルトゥールル号」というトルコ国籍の軍艦が和歌山県・串本沖で台風により遭難した。
 死者581人、生存者69人。

 当時の近隣住民は、亡くなった人たちは手厚く葬り、助かった人たちには自分たちの非常食までも分け与えて、飢えと寒さから守った。

 事の次第を知った当時の明治天皇の指示の元、生き残ったトルコ人たちは、無事に祖国へと帰り。
 遺されたトルコ軍人の遺族たちには、日本全国から義捐金が送られたという。




























 時代は流れ、イラン・イラク戦争勃発。

 当時のサダム・フセイン大統領はこう叫んだ。





 「今から四十八時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とすぞっ」





 イランに住む邦人は焦った。 各国の首脳陣も焦った。


 自国民を助けるために軍の飛行機を飛ばす各国。

 でも。
 日本首脳陣は、手をこまねいていた。





 自衛隊機を派遣できない。
 憲法9条があるから。

 アメリカなどの友好国も、手を貸してはくれない。
 自国民救出に手がいっぱいだから。




 打つ手がないっ。
 日本人のために飛んでくれる飛行機は、一機もない。

 リミットは刻一刻と迫ってくる。


 焦る。
 皆が焦る。

 リミットは、待ってくれない。



 同じ日本人を。
 我らが同胞を。
 見捨てるしかないのかっ?!






 そんな中。



 起死回生の一報が飛び込んだ。






 「トルコ航空機が飛んでくれるぞっ!!!!!」













 タイムリミットの1時間15分前。
 2機のトルコ国籍の航空機が、イランに残されたすべての日本人を救出した。



 当時の日本、そしてマスコミも、おそらく政府高官も。
 なぜトルコが日本人救出に手を貸してくれたのか、誰もわからなかった。

 当時イランには、6千人近いトルコ人がいたはずである。
 それでも、飛んだ。
 なぜ??




 トルコ人は覚えいてたのである。 「エルトゥールル号遭難事件」を。
 トルコの教科書には載っている。 「エルトゥールル号遭難事件」の詳細が。




 さて、じゃあ、その2機の飛行機で救出されるはずのイランに住むトルコ人たちは。


 イランとトルコは陸続きのため、陸からの帰途に着いたらしい。
 ただし、ものすごい悪路を何日もかけて。

















 いつか書こうと思っていたネタ。
 ブログ用になるべくさらっと書きました。
 が。
 関連記事を検索して、じっくり読むと、結構いい話ですよ。
 
 興味のある方は「エルトゥールル号遭難事件」でググってみてくださいね(^^)v 

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