リコのブログでフランス語の詩を紹介してくれていた、たっちゃんこと松井一恵さんが55歳の若さで9月26日に亡くなられました。5月から再入院してみえましたが、早すぎる旅立ちでした。
追悼として、彼女のフランス語の詩を再掲します。
たっちゃんがフランスの詩人、アルチュール・ランボー(1854-1891)の詩を紹介してくれました。
金子光晴訳 ランボー詩集 (イリュミナシオン収録)
「永遠」 Arthur Rimbaud
Mai 1872
とうとう見つかったよ。
なにがさ? 永遠というもの。
没陽と一緒に、
去ってしまった海のことだ。
みつめている魂よ。
炎のなかの昼と
一物ももたぬ夜との
告白をしようではないか。
人間らしい祈願や
ありふれた衝動で、
たちまち、われわれを忘れて
君は、どこかへ飛び去る…。
夢にも、希望などではない。
よろこびからでもない。
忍耐づよい勉学…。
だが、天罰は、覿面だ。
一すじの熱情から、
燸子の燠火は、
「あっ、とうとう」とも言わずに、
燃えつきて、消えてゆくのだ。
とうとう見つかったよ。
なにがさ? 永遠というもの。
没陽といっしょに、
去ってしまった海のことだ。
L'ÉTERNITÉ Arthur Rimbaud
Elle est retrouvée,
Quoi? ― L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.
Âme sentinelle,
Murmurons l'aveu
De la nuit si nulle
Et du jour en feu.
Des humains suffrages,
Des communs élans
Là tu te dégages
Et voles selon.
Puisque de vous seules,
Braises de satin,
Le Devoir s'exhale
Sans qu'on dise: enfin.
Là pas d'espérance,
Nul orietur.
Science avec patience,
Le supplice est sûr.
Elle est retrouvée,
Quoi? ― L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.
いずれにせよ一瞬のうちに永遠を見るという主題。
魂の奥深く宿る情熱の諸々の状態を表しているのでしょう。繻子(しゅす)のようになめらかで燠(おき)のように熱いものたち。例えば夕日のように。
ランボーは、アフリカまで行き、ようやく永遠を見出しました。それが、太陽と一緒に行ってしまった海。
この映像、並外れた感受性。17才のランボー。素晴らしいと思う。
ここでは、自分は外在的な光によって照らされるものではなく、自分自身が太陽の光となって、宇宙を照らすのだという矜持があふれているように思われます。
ランボーの17歳の写真