内蔵助は主君、浅野内匠頭(享年33)の切腹を聞いた3日後に手紙を京都の岩清水八幡宮の親戚に出して大津、山科、伏見、八幡の何処かに土地を探すよう依頼したそうです。
最終的に山科の岩屋寺の住職が親戚だったので山科に決めたそうです。
義士堂には東郷平八郎元帥、揮毫の「赤穂義士」の扁額。花押は軍艦マークが特徴です。
内蔵助愛用の小刀の銘文は、
万山重からず君恩は重し、一髪軽からず我命は軽し
(萬の山よりも主君の恩は重く、その前では自分の命は1本の髪の毛よりも軽い)
左右の札の意味です。
浅野内匠頭の弟によって御家復活を望んでいたが、不可能になり、内蔵助は仇討ちを決意したようです。
遊び呆けたふりをしながら、周到に整えられた討ち入り準備と共に、身命を賭して君恩に報いねばとの内蔵助の強い覚悟が窺えます。
明治天皇の「忠義の士と認める」のお言葉(勅語)の額です。
内蔵助、享年43(右)と力の肖像画。
力は16歳で亡くなっているのでまだ、少年の面影ですね。
正面に内蔵助、その左に力の像です。
左右の義士達の像は槍、木槌をもち戦の出で立ちで並びます。
大石邸前の紅葉です。
カラスウリの開花を写真に撮ってくれて、実から種子を出して見せてくれたキキさんです。
大石内蔵助の遺髪塚です。
正面の四角い石の下に遺髪が埋葬してあります。
紅葉を見ながら山道を下ると、大石神社です。
文化講座の楽みゅう先生と大石神社の花ちゃん17歳の馬です。
京都テレビで12月6日、21時からこのお寺の特集が放映されます。
BS11でも12月21日の20時から放映されます。
近付いたら番組表でご確認下さい。