リコの文芸サロン

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②歌集『いのちゆいのちへ』

2022-09-10 | 短歌


写真は「窓辺の夜顔」
441首を収める歌集の表紙です。
激しくもわが拠り所探り来て
障害もつ身に「いのちにありがとう」 遠藤 滋

リコの短歌会の月間短歌誌の9月号の遠藤滋さんの歌集「いのちゆいのちへ」の感想文の後半3名を紹介します。

★いのちの歌
轟 雄介
 今を生く君がいのちの歌一首湧き来るものか降り来るものか(遠藤滋さん)
 この私の拙詠に大津留直氏が七月号の作品批評において
「一首の歌が立ち上がるのは、一種の奇跡であると私は思うが、特に、遠藤氏の歌においては、それが際立って感じられる、ということであろう。」と、解き明かしてくれています。そして後日、次のメールが大津留氏から私の元に届きました。
「遠藤滋氏に、この部分(作品批評の原文)のみメールで送っておきました。すると、後日、介助者の方からメールで、彼が亡くなる直前、この文章を伝えたところ、大変よろこんでいたと言ってきました。
そして、その後、一週間ほどで、とても安らかに逝ったと言うことです。
このメールを読んで私としては、ホッとした次第です。
このことを貴殿にもお伝えしたいと思っていたところでした。
先ずは御礼まで 大津留直」
 何という奇跡かと今思うばかりである。


★輝くいのち
奈良平信子 
 『いのちゆいのちへ』は感動の歌集でした。
“今のいのち ”をご自分を介して“伝えていくいのち ”。
不自由なお体とは思わせない前向きの生き方、行動力に驚かされ、教えられることばかりでした。
 歌の中にあるように「生かして生きむ」「共に生きなむ」
「生かしあひたし」そして「光に満つる」と。
 また、感性も豊かで、凝視の効いた歌がいくつかあり、夜顔、楠の木、木漏れ日、電線の玉水…など素敵な詠み方でした。
 多くの人を集め、手助けを受けながらも周囲の人を輝かす生き方。
さぞ魅力あるお人柄だったことと思います。
 最後の歌
「いのちには終る時ありそれ故に互ひの“今”を生かしあひたし」は
氏の生き方を表した一首と感動しました。
 鑑賞文を書いていた時に氏の訃報を知りました。
歌集が上梓されてほんとうによかった。七十四歳のご生涯。
どうぞ安らかに


★いのちゆいのちへ
岡田 恭子 
 遠藤滋さんは兄大津留直の光明養護学校小学部時代からの
友人です。
私は二才年下ですが家も割に近かったので小学生のころ
兄が伺うときに同行し妹さんと一緒に遊んだ記憶があります。
それ以降お目にかかることもありませんでした。私も「あけび」に入れていただいてからはお歌を毎月拝読するのを楽しみにしていました。この度の歌集出版を心よりお祝いいたします。
出版に際して介助者の村上香子さんが書いておられる文章が滋氏の作歌活動のほぼ全てを語っている気がします。私が一番心をゆさぶられたお歌は
「障害の身にあればこそ手を借りて創造的に我は生きたし」です。
障害のあるなしに関わらず出来ないことは人の手を借りて助け合って一度の人生を生き切ればよいと解釈を広げてもいいのではないでしょうか。そうすると今の鬱屈した世の中に一筋の光が差し込む気がします。
 心よりご冥福をお祈りいたします。合掌


★短歌誌の企画の「私の選ぶこの1首」に私の選んだ歌は、
遠藤 滋さん  涼風
双葉絵の「いのちゆいのちへ」人工呼吸器をはめし我にも送られてこし  K•Yさん
遠藤さんは令和4年5月20日に亡くなられました。入院中のYさんは届いた歌集を「抱きて眠る」と心を寄せられた。
「短歌以外はすべてあきらめた」と遠藤さんの決意に私は襟を正されました。
 歌集の写真の鋭い眼光の、彼の眼差しが今も蘇ります。


歌集の写真より。


「短歌以外すべてあきらめた」遠藤滋さんの突き詰め築く最後の砦  涼風


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