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鎌田實「孤独でかわいそうに、なんて大きなお世話。『ちょうどいい孤独』で人生の満足度を上げよう」

2022-02-09 13:30:00 | 日記
下記の記事は婦人公論.jp様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

コロナ禍において提唱された新しい生活様式、その基本は「個のすすめ」でした。人混みは避け、買い物も外食も原則ひとり。極力人に会わないことを強いられた時間の中で「孤独」に不安を覚えた方も多いのでは。しかし医師で作家の鎌田實さんは「孤独は無理に癒すのではなく、むしろ楽しめるようになれば自分自身の本来の姿に立ち返ることができる。つまり、望んで孤独を得よう」と提案します。
高齢者の3割は友達がいない
NPO法人「老いの科学研究所」の調査では、身体能力が衰えること、認知症の心配などに混じって、「孤独やさびしさ」を訴える人が多いと言います。
孤独を怖がるあまり、「病気になったらどうしよう」と不安でたまらなくなる。その背景を探ると、「一緒に楽しく過ごせる仲間がいない」というさびしさが潜んでいるそうです。
事実、2021年5月に発表された内閣府の調査で、日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの高齢者を対象にした国際比較では、日本の高齢者の3割は友達がいないという結果が明らかになりました。

人生100年時代です。たとえ配偶者や子どもがいたとしても、最後はひとりになるケースが多い。それを考えると、ますます孤独感が募ってしまうということです。
孤独と孤立はまったく別物
でも、この「孤独」という問題は、それほど悪いものなのでしょうか。

『ちょうどいい孤独‐60代からはソロで生きる』(著:鎌田實/かんき出版)
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実は僕は「孤独」と「孤立」はまったく別物で、孤立はよくないが、孤独は決して悪いものではないと考えています。世の中には、「孤独は悪」と決めつけ、「ひとり暮らしです」などと言おうものなら、「あら、かわいそうに」と”同情”してくれる人が多い。
「大きなお世話」です。

ある出版社で僕の連載記事を担当してくれていた有能な編集者Aさんは、まだ継続して働くこともできたのに、定年で職場を去ってしまいました。
彼はシングルです。「ひとりだから無理をしなくていいんだ」と言う彼は、映画も芝居も音楽も詳しい。たくさんの有名作家からも愛された人でした。
この人とご飯を食べていると、たくさんの刺激をもらえる。僕の担当編集が終わった後も、よく一緒に食事をしました。コロナでさぞさびしくなっているのではと、時々心配になって電話をすると、相変わらずハイテンションで元気な声が返ってきます。
この人に限っては、コロナ禍でも人間関係がズタズタになっていないように感じました。コロナに負けず、いまもしたたかにひとり生活を謳歌していました。
世の中には、誰かと一緒にいるのが楽しいと思う人がいるように、ひとりのほうが快適だと感じる人もいます。事実、それをテーマにした書籍も巷にあふれています。
高齢者よりも若者のほうが、この「孤独」に敏感で、いまは都市部のビジネス街で「ひとりランチ率」が急速に増えています。ひとり旅やひとり映画など、ひとりで楽しむ「ソロ活」「ぼっち」が急速に増えているのは、そもそも人間には「ひとりで行動したい」という孤独愛好家が多く、コロナ禍を契機に市民権を得るようになったからだと、僕は思っています。
人間は「ひとりでいたい」欲求を持つ存在
アフリカで誕生した人類は、周囲に住む猛獣たちの標的になりやすい脆弱な存在でした。そこで生き延びるためにコミュニティーをつくったのです。
でも、一緒にいると息が詰まってしまい、やがてコミュニティーから離れたいという欲求を持つ者も出てきました。そして世界へと散らばって行きました。こうした人たちがいたから、人類は”出アフリカ”に成功し、何万年もの時間をかけて「グレートジャーニー」の旅に出かけ、全世界に定住するようになったのです。
つまり人間というものは「群れたい」欲望と「ひとりでいたい」欲求の両方を併せ持つ存在です。ただ、「群れたい」欲望が強すぎると集団の中で埋没してしまうし、「ひとりでいたい」欲求が旺盛だと社会的孤立が深まってしまいかねません。この両方のバランスを上手に取ること、それが現代に適した生き方なのではないかと思います。

実は現代社会は、否応なく「ひとり暮らし」に向かわざるをえない構造になっています。特に都会では核家族化が進み、親子二代の同居などは夢のまた夢。地方でも過疎化が進み、親と子どもたちは、遠く離れて暮らしています。
「遠くの親戚より近くの他人」という言葉がありますが、頼るべきは近くに住む友人ということになります。しかし、よほど気心が知れていないと、友人との人間関係がかえって重荷になったりすることだってあります。
「孤独力」を磨けば「孤立」は招かない
日本社会は本来、江戸の長屋文化に象徴されるように、血縁よりも同じ地域に住んでいることが大きな意味を持っていた社会です。でも昨今は、マンションの隣人の顔や名前を知っている人のほうが珍しいほど。地域コミュニティーは急速に消滅しつつあるのです。
職場環境面でも「日本株式会社」が消滅し、以前のように「一致団結して進む仲間」という意識は急速に薄れ、企業コミュニティーは崩壊したと言っていいくらい。それに加え、家族形態は核家族化が進む。いや応なく、社会は「ソロ化」を余儀なくされていきます。

つまり日本社会は、かつてのように「集団に属していれば安心」という社会ではなくなってきたのです。日本を代表する大企業ですら傾いてしまうように、自分の乗る船がいつ沈没するかわからない時代……。

若い人たちのソロ活動意欲は、こうした時代の空気を鋭敏に察知した結果だと思います。
「孤独」について考えるときに重要なのは、物理的にひとりであることが問題なのではなく、「心が独りぼっちになる」心理的孤立が問題だということです。
繰り返しますが、孤独と孤立はまったく別物です。孤独は自分が望む場所と時間を自分で選ぶこと、つまり「自立」した人間のこと。「自立」はよく誤解されているように、何もかもすべて自分の力で行うことではなく、本当に頼らなければならないときに頼れる相手がいる状態のこと。
それと正反対に、孤立は、いざというときに頼れる人が誰もいないという状態のこと、あるいは社会から外れて生きなければならない状態のことです。当然、頼るべき相手も存在しません。
先ほど触れた編集者Aさんが、コロナに負けず、相変わらず前向きで明るい状態を保っていられるのは、定年前にあった人間関係が、定年後もあまり崩れていないからです。
仕事での関係が終わったら連絡が途絶えてしまうという例も少なくないはずです。でも彼には、僕のように、仕事での関係が終わった後も会って刺激を受けたいとか、話をしてみたいと思う人たちがたくさんいるのです。
「いざというとき」自分に力を貸してくれるかどうか
もちろん、ひとりでご飯をつくってひとりで食べることも多いでしょう。時に隙をみて、自分が好きな映画や芝居を観に行ったりしながら、自分の時間を自由に使うのは素敵です。定年後の人生をコロナに破壊されずに、悠々と生きている感じが、実にかっこいい。自由に毎日を楽しそうに生きているAさんの側に入り込んで、勝手な想像を広げてみました。
その一方で、「SNSのつながりがあるから孤独を感じない」という人もいます。
確かに社会的孤立のセーフティネットはSNSだという説は否定しません。職場や友人との会話はなくても、ネットを介せばいつでもどこでも会話ができるので、社会的孤立は招かないというのが、その人たちの理屈です。一理ありそうですが、問題はその会話に”中身”があるかどうかだと思います。

僕が定義する「孤独力」とは、普段は孤独を楽しみながら、“いざというときに手を差し伸べたり、差し伸べられたりする力”なのです。言い換えれば、”そんな人間関係をつくっていける力”です。
でも、SNSで顔の見えない相手といくらつながっていても、その中の何人が”いざというとき”に自分に力を貸してくれるのでしょうか。
鎌田實
医師、作家
1948年東京都生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、諏訪中央病院へ赴任し、長年地域医療に携わる。

※本稿は、『ちょうどいい孤独』(かんき出版)の一部を再編集したものです。


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