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女優大空眞弓「9度のがんも乗り越えて。81歳で住み慣れた東京を離れ、石垣島に移住するま

2021-12-11 13:30:00 | 日記

婦人公論.jp様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

81歳で住み慣れた土地を離れ、沖縄・石垣島へ──。肩の荷を下ろして、残りの人生を謳歌したいと語る大空眞弓さんの今の暮らしぶりとは。(構成=丸山あかね 写真提供=大空さん)
第一線からは退こうかなと思った時期と重なって
余生を穏やかな景色の中で過ごしたいというたっての願いから、2021年4月に石垣島へ移住しました。それまで住んでいたのは、東京の千代田区富士見。小学生のころから暮らしていた場所なのですが、富士見というくらいで、昔は家から富士山を望むことができたのに、いつの間にやらビル街に変わり、見えなくなってしまって。なんとなく息苦しさを感じだしたのは50代のころでした。

大自然に囲まれた土地に移住しようと、具体的に夢見るようになったのは70の声を聞いてから。セリフを覚えるのがしんどくなってきて、もう第一線からは退こうかなと思った時期と重なります。

でも、落胆なんかしませんでした。だって、老いは誰にでも平等に訪れる自然現象ですから。そのときに芽生えていたのは、希望です。私はもう十分にやってきたのだから、肩の荷を下ろして楽になりたい。そうしてもっと軽やかに、残りの人生を謳歌したいと考えていました。

母と歌舞伎座へ行った折にスカウトされ、石井ふく子プロデューサーによるTBSドラマ『愛と死をみつめて』で初めてヒロインを演じたのは24歳のときでした。あれから何年経つのかしら。とにかく私は81歳になりました。
結婚、離婚、9度のがん…悲喜こもごもに生きてきた
あっという間だったという気がするのも事実なのだけれど、改めて過去を振り返ってみるといろいろな時期があり、「悲喜こもごもに生きてきたな」と思います。28歳で結婚、36歳で一人息子を授かり、でも42歳のときには離婚して。おかげさまで女優としては充実していましたが、そのぶん息子には寂しい思いをさせたことを猛省したり……。

いつの世も生きていくのって大変なんですよね。特に、私たちの時代の女はとかく我慢を強いられて、結婚と仕事を両立するのがまだまだ難しかった。30代か40代のころかしら。あるとき『婦人公論』を読んで、専業主婦も職業婦人も、子どもがいてもいなくても、女はみんなさまざまな悩みを抱えながら暮らしているのだなと痛感したことがありましたね。私も頑張らなくてはと奮起したものです。

もっとも私は基本的に楽天家で、苦しい局面もサバサバと乗り越えてしまうタイプ。健康面では多重がん(2個以上の臓器に独立して発生するがん)に翻弄され続けてきましたが、グジュグジュと思い悩んだことは一度もありません。

58歳のときに乳がんで左乳房を全摘出し、3年後に胃がんを、その2年後には食道がんを発症。胃がんと食道がんが再発したり、昨年は皮膚がんも見つかって手術を受けました。今も元気に生きているのは早期発見・早期治療の賜物。定期検診を受けて初期段階で見つけることができれば、がんは怖くないのです。この年齢になると、がんのほうものんびりしていますしね。(笑)

そもそもわが家はがん家系。両親も姉もがんで他界したので、おそらく私もと覚悟していたのです。ですから最初に乳がんと診断されたときも、淡々と受け止めることができました。医師から乳頭を残す温存法と、全摘手術のどちらにするかと選択を迫られ、迷わず全摘手術を選んだのは、舞台を控えていたから。全摘すれば抗がん剤治療や放射線治療のために通院する必要がないと説明を受けて決断しました。

いつも私は即決なんです。考えるのが面倒くさいのね。だから直感でパッと決めてしまう。その先に失敗が待ち受けていることもありますけれど、私の知る限り、失敗のない人生を生きる人なんていない。うまくいくかどうかなんてやってみなくちゃわからないんですよ。「下手の考え休むに似たり」という言葉もあるでしょう?

それに、失敗したと思ったら、反省を踏まえてやり直せばよいのではないでしょうか。いずれにしても、うまくいくだろうかと悩んでいる時間ほど惜しいものはないと私は思うのです。悩んでいたら、やり直す時間がなくなってしまうじゃありませんか。
息子夫婦に「一緒に行かない?」と持ちかけたら
「思い立ったが吉日」がモットーの私が、移住先に石垣島を選んだのは、父の出身地である沖縄に親しみを抱いていたから。とりわけ石垣島には息子の友人が暮らしており、幾度か訪ねたことがあって大好きな場所だったのです。

とはいえ、高齢者となった私が一人で移住するなんて不可能。 そこでまず、息子夫婦に「一緒に行かない?」と持ちかけました。たぶん断られるだろうな、そうだったら諦めようと思っていたのですけれど、息子夫婦はすんなりと「いいよ」と言ってくれまして。母のわがままにつきあってくれるのかと本当に嬉しかった。

今は借家住まいなのですけれど、いずれ家を建てる予定です。二世帯住宅ではなく、息子夫婦と共に暮らす平屋の家。設計に関しては息子に任せています。私が車いす生活になることも見越してバリアフリーにするなど、いろいろと考えてくれているようです。

私はなーんにも考えず、お料理上手なお嫁さんが作ってくれるご飯を食べて、2匹の犬と戯れる毎日を送っています。犬たちを連れて、家の前の海に遊びに行くのが日課。

窓の外に広がる海を見たり、朝日や夕日を眺めたりする生活に憧れて移住したのですが、実際には思い描いていた以上の大自然でした。空気がきれいで、満天の星が夢のように美しい。島で出会う人たちはみんな朗らかで優しいし、沖縄料理は美味しいし、言うことなし! 大満足! 自慢に聞こえるかもしれないけれど、これはもう自慢よね。(笑)
移住前に行ったこと。断捨離と墓じまい
移住までの準備期間は3ヵ月ほどでした。家を借りるとか、住民票を移すといったことは息子が引き受けてくれましたが、引っ越しをするにあたり、自分のものは自分で整理する必要がありました。

断捨離に着手して思ったのは、ものってどうしてこうも増えるのかしら、という素朴な疑問。今にして思えば、ものに埋もれて暮らしていたようなものよね。たくさん所有していた着物は、似合いそうな何人かの方に差し上げることに。バッグや服も、欲しいと言ってくれる友人がいたので助かりました。

困ったのは、大事にしていた家具たち。たとえ清水の舞台から飛び降りるようにして買ったものでも、石垣島での生活にはそぐわない。かといって人様にもらっていただくには古すぎる。でも処分するのは忍びない……と、悩ましいなんてものじゃない。

結局のところ、断腸の思いで処分したのですが、手放してしまったら不思議なくらい何の未練もないの。愛着のあった鍋や食器も、「今までありがとう」と別れを惜しみつつ、「必要なら新調するけど。ごめんね」と伝えて、どんどんごみ袋に入れていきました。

もう一つ移住前にしたことが、墓じまい。毎月29日に欠かさずお墓参りをしてきたのですが、石垣島から通うのは大変でしょう? お墓参りができないというストレスを抱えるのはいやだし、今後、墓守を息子にゆだねるのも可哀そうだなと思って決断しました。

私の死後はどうしてくれてもいいの、気持ちの問題ですから。息子たちがやりやすいようにしてほしい。仏壇に手を合わせてくれれば十分だと思っています。
年齢のことなど気にする必要はなし
人が幸せに生きるために必要なのは、お金やものや地位や名誉なんかじゃなく、上質な人間関係に尽きると思います。上質というのはセレブという意味ではなく、信頼とか尊敬、慈しみの心で結ばれた人間関係のこと。たとえば私が女優を続けてこられたのは、よい人たちとの縁に恵まれたから。あるいは、私は9度もがんになったけれど、信頼できるお医者さまと出会うことで救われてきました。

石垣島での快適な暮らしも、コミュニケーション力あればこそと言えそうです。私は出会う方々にどんどん話しかけて、すぐに仲良くなってしまうの。そうやって美味しいお店を開拓したり、素敵なアクセサリーを作っている男性と知り合ったり。生きていくうえでは情報が宝だけれど、その情報をもたらしてくれるのは人なんですよね。そこに年齢は関係ないし、自分自身も年齢のことなど気にする必要はないのではないでしょうか。

もちろん、東京にいる友達との絆も大切にしています。移住してもLINEで気軽にやりとりしたり、Zoomで顔を見ながらお話ししたりできるので寂しくありません。考えてみれば、東京にいたときも頻繁に会っていたわけではないのよね。でも今は、「コロナが落ち着いたら遊びに行くね」ってみんな言ってくれています。

いくつになってもやりたいことがあるなら、躊躇せずにやればいいと私は思います。もちろん周囲の人に迷惑をかけてはいけないけれど、もう歳だからと諦めてしまうのはナンセンス。何らかの事情で中断してしまった趣味を再開するとか、お料理教室に通ってみるとか……。

心がときめくことにチャレンジできる体力があるうちにやってみる、というのが大事なのではないでしょうか。恋愛だって、年齢は関係ありませんよ。どれだけ心を華やがせて、ワクワクできるかということが大切なのだから、一方通行だっていいんです。

私はといえば、新しいお家に1年は住みたいなと考えているので、あと2年くらいは生きたいわね。寂しいことを言っているつもりはないの。だって、あの世も楽しそうだから。先立った人たちが「なるべく早く来てね」って、うるさいんですよ(笑)。

歴代のボーイフレンドに囲まれて旅立ちたいけれど、やはり元気でいるときがすべてだという気がします。この先どうなるのかは《神のみぞ知る》なのだから、私たちができるのは今を精一杯に生きることだけなのでしょう。

目下の楽しみは、大好きな桑田佳祐さんのコンサートへ行くこと。暮れに横浜まで見に行く予定です。女優としても、桑田さんと同じくらい魅力的な仕事なら、お引き受けするつもりでいます。(笑)

構成: 丸山あかね
写真提供:大空さん
出典=『婦人公論』2021年11月9日号
大空眞弓
女優
1940年東京生まれ。東洋音楽高校卒業後、58年に新東宝に入社。『坊ちゃん天国』でデビューし、60年以上にわたり、ドラマ・映画・舞台で活躍を続ける。多重がんの闘病を通じて、全国でトークショーなども行っている



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