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ALS患者の嘱託殺人事件から、「死ぬ権利」「安楽死」について考える

2021-12-11 12:00:00 | 日記

下記の記事をヨミドクター様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

難病の筋 萎縮いしゅく 性側索硬化症(ALS)の患者から依頼を受け、薬物を投与した医師2人が嘱託殺人容疑で逮捕された事件が大きな波紋を呼んでいます。この事件には、法律に違反した、「死ぬ権利」の行使というだけではない、いくつもの問題がありますが、私の率直な受け止め方は、もう日本も「安楽死」についてきちんと議論を進めるべき時に来ているのではないか、ということです。今回の事件は、起こるべくして起こったもので、今後もまた起こるかもしれないからです。

自分の考えを実践するために実行?

逮捕された2人の医師は、患者の主治医ではなく、患者の容体を判断できる立場にはありませんでした。患者とはSNSで知り合い、「死にたい」という要望をかなえただけですから、嘱託殺人に違いないでしょう。しかも、彼らは自分たちの行為が、日本では法に触れることを知っており、発覚しないように注意を払っているようです。

さらに、患者から報酬まで受け取っています。読売新聞でもその額は130万円と報道されていますが、医師が人生を棒に振るほどの額とはとても思えません。詳しい動機は、今後の調べを待たなければわかりませんが、自分たちの考えを実行することに重点を置いていたのではないかと思えてなりません。

大久保愉一容疑者は、ブログに「私は、治療を頑張りたいという方はサポートしますし、『もうそろそろ、いいかな』という方には、撤退戦をサポートする そんな医者でありたいと思っています」と投稿しています。そこまでは理解できます。しかし、大久保容疑者がペンネームで編集し、共犯の山本直樹容疑者が著者になった電子書籍「扱いに困った高齢者を『枯らす』技術:誰も教えなかった、病院での枯らし方」となると、望ましい命と望ましくない命を選別する「優生思想」に近いものです。

患者と医師のニーズが一致

従って、多くの医療関係者は、この事件を「安楽死」に関係した事件として扱うことに抵抗を覚えて、議論することさえ嫌がります。しかし、一つだけはっきりしていることがあります。それは、今回のケースは、患者のニーズと医者のニーズがぴったりと一致していたことです。

患者女性は「(人生を)早く終わらせてしまいたい」「話し合いで死ぬ権利を認めてもらいたい。疲れ果てました」などと周囲に漏らしていたといい、おカネを払ってまで自ら死のうとしていたからです。もし、彼女が日本ではなく、安楽死を認めているスイスのような国にいたら、今回のことは問題なく行われていたのかもしれません。

尊厳死の議論は続いてきたが……

日本では、これまで尊厳死に関しての議論がずっと続いてきました。尊厳死というのは、自分の意思で延命治療を控えたり、中止したりして死を選ぶこと。薬物を投与して積極的に命を終える安楽死とは異なりますが、尊厳死の延長線上に安楽死があると言えます。

欧米では口から食べられなくなったら、ゆるやかに死を準備するという考え方があります。一方、日本では、食べられなくなったら「胃ろう」で栄養を取り、「人工呼吸器」で呼吸を維持し、「人工透析」で腎臓の代わりをさせる……という形で医療機器を総動員し、徹底して生かすことに注力してきました。この三つのどれかを止めれば、死が訪れますが、それを止めることは医師の判断ではできません。家族が判断するのも難しいでしょう。本人にしか決められません。

終末期でも意識が明確なら、こうした治療を自分で拒否することはできます。しかし、意思表示が難しくなる時も来ます。そうなる前に十分に家族や医療者と話をしておかないと、どんなに苦しくとも、患者は生かされ続けることになるのです。この事件で亡くなったALS患者も生かされる苦痛をSNSで発信していました。尊厳死を実現しようということで、本人と家族、医療者がよく話し合っておく「人生会議」を厚労省も推奨しています。

安楽死が許容される基準は?

1995年に東海大医学部付属病院で起きた安楽死事件では、末期がんの患者に担当医が薬物を投与して患者が死亡し、医師が殺人罪に問われました。この判決では、安楽死が許される要件4点を示しました。その4点とは、(1)耐えがたい肉体的苦痛がある(2)死期が迫っている(3)肉体的苦痛を除去する他の方法がない(4)患者の明らかな意思表示がある……です。

私は、この4点では、医療現場の実態に合わないと思います。本人の意思に基づいて、死期が迫っている患者の耐えがたい肉体的苦痛を除去する場合ということですが、人間としての尊厳をどう考えるのか。それぞれの価値観という面があるのではないでしょうか。もう一歩、踏み込んで議論を深めていく必要があると思います。

「先生、死なせてください!」

なぜ、そう思うか? 終末期治療の現場で、「先生、死なせてください」と患者さんに言われる痛切な経験をしてきたからです。寝たきりで動けず、胃ろうで栄養を流し込まれているだけ。人工呼吸器をつけて、もちろん排せつも人の手を借りる。そうして生きている方も少なくありません。

「自分はそうならずに命を終えたい」と思ってしまいます。ただ、単純ではない点もあります。元気な今は「人工呼吸器につながれたまま生きているのは……」と思いますが、実際に自分がそうなった時は、今の私と同じように感じるかどうかわかりません。延命治療は受けたくないと話していた患者さんが、実際に延命治療が必要な状態になった時に「治療を控えます」と伝えると、「死にたくない」と言い出したという話も耳にします。患者の意思表示といっても、それ自体が変わることがあります。

オランダやスイスなど安楽死が合法化されている国では、患者の意思はいつでも撤回できるようになっています。患者の意思を繰り返し確認したうえでの「死ぬ権利」の行使です。

尊厳死、さらにその先にある安楽死。日本は、目の前で問題が起こっているのに、それに向き合わないで今日まで来てしまいました。高齢者が増え、多死社会を迎えている今、納得のいく死に方について議論をもう一歩進める必要があると思います。(富家孝 医師)



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