研究・考察日誌Δ

日々思った事、考えた事の記録箱。
脈絡の無い事を普通のサラリーマンが考察します。

人の脳は近代化していない。決して。

2020-08-04 21:38:00 | 日記
人間の脳は決して近代化していないという事を知っている人は少ない。
本来 人間が持ちえる快楽は原始的な物と自己実現的なものが関の山で

近代の娯楽に脳は対応していない。
タバコは言うに及ばず アルコールにもカフェインにもゲームにも映像にだってた。

対応していない娯楽を過剰に摂取や習慣化すると
脳のレセプター(受容体)がぶっ壊れてしまう。

レセプターがうまく機能せずぶっ壊れた状態になると「依存」が発生する。
ドラッグ依存もこの一種で
快楽を受ける受け皿が麻痺して前回と同じ快楽でも
同じ度合いの快楽と脳が認識できず
更なる過剰摂取を欲しだす。

過剰摂取が行き過ぎると依存症として生活や生命活動や社会活動を破綻させるまで人間の脳のドーパミンレセプターはぶっ壊れる。

じゃあこいつをどうやって克服し治していくかって言うと
まずは摂取量を減らすところから始めて 人間の持つ元来あるべき欲求で脳内のドーパミンレセプターが機能するようにしてやる。
元来あるべき欲求ってのは近代以来に登場した娯楽ではなく、ごく原始的な娯楽。
知る事や目標を達成する事。
それを繰り返し 依存していた娯楽を摂取しない事によって
脳のドーパミンレセプターは徐々に回復する。

最近 やたら思うんだけどさ
人々の娯楽ってのがやたら受け身なトレンドになってるのが気になるんだよなー。
サブスクもそうだしネット社会ってのもそう。
テレビなんか言うに及ばず あれはカット数や情報量で脳内のドーパミン増やしてるようなもんだから
あんま好きになれなくてね。
通販も より効率的で便利になったけれど
便利なシステムってのは人から思考する能力を剥ぎ取っていくからね。
通販サイトに頼り過ぎてお中元をする時に自宅の住所すら満足に出てこない人もいるって聞く。

つまり 人間は知らない内に進化して 知らない内に退化してるんだなぁ。
僕がよく言ってるアナログに囚われろってのはそこも狙い。
人間が本来持つ思考能力をトレーニングしておかないと
決断を迫られる状況ですら受け身で流される人間になる。

大事な事は考え続ける事 そして行動の意味を理解する事
一体何の為にこれを行うのか。
言われるがままになってはいけない。
命令されるがままになってもいけない。

難しいけどね。
まぁ、僕はタバコにドーパミンレセプターぶっ壊されてるので禁煙に挑戦しようと思います。

行動力、思考力、人間力。 

法則性から学ぶ

2020-08-04 00:47:00 | 日記
昨日 経済新聞から興味深い記事を見かけたので引用

それ自体はシンプルな話で年号による特徴と規則的な動きについてだ。

まず
慶応→明治→大正 と推移する時代を並べる。
同様に
昭和→平成→令和 と並べてみる。

そして起こった出来事をピックアップ

慶応・幕末 内戦勃発 動乱期
明治・文明開化 街並みの大きな変化 安定期
大正・スペイン風邪の流行 文化成熟期

昭和・第二次世界大戦勃発 動乱期
平成・街並みの大きな変化 文化の変化 安定期
令和・新型コロナの流行 文化成熟期

まあ、よく似ている訳でこの後ヤバい事起こるんじゃね的な記事だったんだけれど
抽出すべき共通項と法則性はそこだけじゃないと思うんだよなぁ。

それぞれの時代の民意が大きく動いた西暦での年を書いてみると
1867年大政奉還(内戦終了)
1939年第二次世界大戦
約62年。
って事は
1945年終戦で62を足すと
2008年な訳だけれど
リーマンショック前後なだけで
特に争いは起こってない。満期ってやつだ。

ただ僕が気になったのは
大衆の口頭での伝承力と思想力の保持が
約100年あればすっぽりと抜け落ちてしまう事だ。

例えば戦争などは記録媒体が発達してなければ60年で争いを禁忌とする伝承は抜け落ちてしまう。
第一次世界大戦もあったけれど大衆全てを巻き込むような争いはこの二つだけだ。
それと伝染病もそう。
前回のスペイン風邪からは綺麗に100年周期。
心理学も絡んでくるだろうけど
危機意識を全体の過半数が保持出来る期間はこれより短いって事。

つまり過半数を占める人達はどんなに過去の事実として教育を受けたとしても
前回の事象の発生から短ければ60年、保険掛けて100年あれば、それを他人事のように考えてしまうって事なんだ。
話は戻るけれど、前回の大きな争いから約80年。
今の大衆心理はどちらに傾くだろうか。
他人事感が時に歴史を負の方向に大きく動かしてしまう事だってある。
僕らに出来る事は先人に学ぶって事だ。
思想だとか、そんな物は各々が信じる正義を持ってて良いし、そうすべきだと思う。
ただ、知らぬがまま嘆く事だけは
知らぬがまま後悔する事はあってはならないって僕は思うんだ。

衛生意識も危機意識も美容文化も何もかも。
先人から学んだ事を無駄にしてはならない。
僕は普遍性が好きだから、移ろい行くものが好きになれないみたい。

矮小な世界の中で全容を理解する。

2020-08-03 00:44:00 | 日記
二重スリット実験で分かることって
人間が観測出来る最小単位の物質が
人が観測する事で動きを変えるって事は。

僕らは弄ばれてるのか
いや
厳密には観察されてるって事なのかな。
可能性は幾らでもあるし仮説も幾らでも立てられるけど

宛ら 僕達の主観で例えるならば
アリ飼育セットのアリの様なイメージなのかなと。

地球そのものが巨大な実験施設で
試験運用のバグ発見装置だとしたら
バグを見つける事が目的で
バグ認定された対象が集まって
その他大勢を管理して
更なるデータを集めているとも取れたりする訳で。

飛躍し過ぎかな。
だけど 宇宙の構造的に言えば
地球と同じ様な知的生命体がいるであろう惑星は
90%以上で確かにあるんだ。
当たり前だよ 宇宙に見える恒星だけであれだけ膨大で果てしない数が存在している。
惑星なんてのは恒星の何倍もの数がある。

そもそもビッグバンの解明すら出来てないのが人類の叡智の程度なんだから。

僕らは茫漠な宇宙に住まう小さな遺伝子の乗り物に過ぎない。

この次元の宇宙の中のど田舎の銀河の中でも
更にど田舎で起こるハプニングなんてものは
宇宙からしたら些末を極めるアクシデントでしか無いのだから。

だからこそ この小さな世界の小さな国の小さな文化が僕は好きだし
それをなんとかしたいって思ってしまう。

知りたいと思えてそこに幸福を覚えられるのはこの矮小な生命体に生まれた特権だ。
じゃあ解き明かそうじゃないか。
矮小な世界から全容を把握するなんて究極のグローカリズムじゃないか。
やってやるさ。
死ぬまでに僕の知りたい事を完全に理解する。
この矮小な世界の調和を実現する。

なんてね。

少しだけ昔話

2020-08-02 22:41:00 | 日記
過去 何もかも失って地獄とも思えるぐらいに堕落した事がある。
その日々はまさに僕にとって地獄でその中で過ごすうちに世の中を冷観していた。

自暴自棄に暮らすうちになぜこうなったか必死に考え リベンジマッチを誓った。
一番近くで僕を見ていた人は 僕の事を天国と地獄の両方を見た人だと今でも形容する。

こんな話がある。
太陽に近づき過ぎたイカロスは翼を焼かれ地に落とされるってのは有名だし知ってる人も多いと思う。
僕は10代で欲しい名誉だとか栄光とか結構手に入れてこの世界ってなんてちょろいんだと思って調子に乗っていた時期があり
自分自身の判断ミスが重なり
地獄まで堕落する。形容するとしたならばそんな感じ。
イカロスと変わらないし
今でも友人には「過ぎたる力は身を滅ぼすんだよ。もっと馬鹿にならないと。」と言われる。

水風呂しか浴びられない日もあったし、ご飯が食べられなくアルコールに溺れた時期もあったさ。
それも決定的に過去の話。
それに実は地獄の日々を暮らす中で僕はずっと計算していた。
どうすれば自分はまた舞い上がる事が出来るのか。
何が必要で何を身につければ良いか具体的に何をすればあの憎き太陽を絶対零度まで凍らせてブラックホールにポイ捨てしてやれるのかって。

20代の前半は迷走しつつもあらゆる学問を勉強した。
あらゆる学問の専門家と話し、弟子入りし、談義した。
まあ浅い知識しか残ってないけどね。
少なくとも少しでも万能でなければ舞い上がれなかった。

そこから約数年 今 こうした場所でこういう発言をして身の回りを一通り妥協点ではあるけれど
好きな物で固められるレベルまでは再起した。

一番の栄光を見た時代からしたら 満足度は20%にも満たない。
けれど残り8割の改善余地にワクワクする。

地獄を見たからこそ 今が輝く。
詳しくは書けないけれど その日々があるからこそ あらゆる事に危機感が薄いし、大抵の脅威は大した事がない。
10年前の方が僕にとっては今よりずっと世界の終わりだった。

だからこそ 自分を持て余す。
もっともっと 僕に知識と経験と訓練をくれ。
今度こそ 肝心な所で失敗なんてしない。
改善策と対応策と資材も薬液も充分だ。

脅威と力比べといこうぜって気分だよ。

無力と必定を知る

2020-08-02 06:42:00 | 日記
GAFAとBATHの対立 それと今回のウイルス騒動
世界を取り巻く流れ。

けれど 僕はこの国の美文化を守れるならばそれでいい。
歴史からも読み取れるようにどれが正解だとか無いんだよ。
いつも出るのはifや、たらればの話ばかりで。

必定を受け入れる事が出来ていない。
人は自分にとって不合理な事実を想像だけでも否定したがる物だから。

天秤を動かす物とそれらに関与出来る人達が懸命に動いてその結果に帰結したのなら
それはきっと必定だ。

そこに関与出来ないレベルだった己の無力を受け入れ、嘆くしか術は無い。
運でさえも実力の内だ。
運命論者って訳では無いけれど。

敗北や無力を受け入れる事の大切さを僕はこの10年で痛いほど思い知った。