岩崎書店
矢玉四郎さんが先月に亡くなられていた。八十歳。
私の記憶の矢玉さんはいつも怒っている人だった。「あいつらは馬鹿だ、馬鹿だ」と馬鹿を連発されていた。 『はれときどきぶた』が作品として評価されていないこと、賞をもらえないことに立腹されているんだなと、私は思った。そんなときの矢玉さんは可愛かった。矢玉少年を感じた。同時に長新太さんは、もっと理解されていないんだけどなあと思った。たくさん受賞はされてはいるけども。
「子ども」と書くやつは馬鹿だ、「子供」と書くべきだと、ここでも馬鹿を連発されていた。学のない私は(そうかなあ)と首を傾けていた。「子どもの詩」とは書けるけど「子供の詩」とは書けない私がいたからだ。これは学問のことではなく感覚の問題だけど。そして頭の中で(言葉って生きているんだよなあ)と、もにょもにょしていた。
矢玉さんはマンガ家から、児童文学に進まれた方だけど、マンガ家時代の絵は 『はれときどきぶた』の絵と違いとても繊細だった。著作権四者懇の帰りにそれを言うと、嬉しそうに「見てくれたの。うまいだろ」と、でれでれの顔をされた。
ときどきFBをのぞくと「腹の立つときは念仏を心に入れるといい」というようなことを書かれていた。私はウフフフフとなった。あまりにも腹を立てる自分のために修行されたのにちがいない。別府育ちのアンポンタン。あちらでは念仏なんかしないで、閻魔さんを怒鳴ってください。「馬鹿野郎!」。お元気で。
に同感です。矢玉さんのこと、とても勉強になりました。かわいいですね。
私も「子ども」と書きます。
矢玉さんの事は、「はれときどきぶた」しか
存じ上げませんが、かわいい方だったようですね。
言葉はゆれているからいいですね。幸田文さんや井伏さんの美しい言葉が大好きなんですが。そのお二人が自由なんですよね。
絵本の河様
『はれぶた』は児童文学でも絵本でもなく 『はれぶた』という作品だったと思います。現代美術ではフツーのことです。絵画でも彫刻でもない作品。純真な方でしたね。