さんぜ通信

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典座教訓私訳 第7回

2010-05-22 18:33:49 | お坊さんのお話




典座教訓私訳 第7回 

意味の取り違えや、誤訳がありましたらご教示くださいますようお願いいたします。

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(十七)日本国建仁寺の典座の実情

私は中国留学から帰国して(1227年9月)二、三年のあいだ、建仁寺にとどまり暮らしていた。建仁寺では深い考えも無く典座という役職を置いていたのだろうか、その名前だけがあるだけで、実際の典座の修行や仕事というものは全くなかった。
典座の職が佛道の肝要であることを知らないのであるから、食事を作り修行僧に供養することが大事な修行であることをどうして肯うことができようか。
真に哀れなことである。典座の真実を伝える師匠に会わず、ただ虚しくぼんやりと月日を過ごし、佛道修行を台無しにしている。

私が在籍していた頃の建仁寺の典座和尚の様子はといえば、彼は朝昼のお粥やご飯の支度に全く手を下すことをせず、気働きのできない、食事の供養が大事な仏事であることも理解できない手伝いのものを傍らに置き、一切の大小の仕事を彼に言いつけて、おこなって良いことも悪いことも任せきりで、実際に厨房に行って指導し監督することも無かった。
隣の家にいる女性を見に行くことを恥とするように、台所に行って調理の様子を見るなどということは、彼にとっては恥であり、人品に傷がつくとでも思っているようであった。

寺内に典座寮という一部屋を構え、寝転んだり他の僧と談笑したり、或いは経を読んだり唱えたりして、どれだけ月日がたっても厨房の鍋釜のところで仕事をすることはしない。
まして、必要な材料を買い求めたり、献立や量を考えたりすることなど決して無い。

こういった者が、どうして典座の仕事を実際に行うことがあるだろうか。ましてや、朝昼の二度、食事を送り出すために典座が九拝して礼を尽くすその儀式など、未だに夢にも見たことがないのである。
若い修行者を指導する時期が来たとしても、典座自身がなにも知らないのであるから、教えられるはずもない。

  

                                                    ユズの花。今年はたくさん花がつきました。実はどうかな?


(十八)無道心者の典座の弊害

このように、佛道を求める心の無い人が潙山や雪峰のような優れた師僧に出遭うことが出来ないことは、まったく哀れなことであり、また悲しむべきことである。それはまさに、宝の山に入っていながらも何も手に入れることなく帰り、宝の海に潜ったとしても何も得ることなく戻ってくるようなものだ。

知っておくがよい。典座和尚がいまだに道を求める心を起こしていなくとも、もし一人の立派な指導者に出会うことができれば、ただちに典座の修行を仏道として行い得ることができるであろう。
また、もし指導者に遭うことができずとも、典座和尚が道を求める心を深く起こしている者であれば、典座の修行の重要さを知り、まじめに実行することが出来るであろう。

かの建仁寺の典座は、すでにもうこの二つとも持ち合わせていないのであるから、彼が典座になったとしても、何ひとつとして彼の修行に役立つところは無いのである。

(十九)中国の禅院の典座

一方、私が見てきた大宋国の諸寺院についていえば、知事や頭首と言った役職についている方々は一年任期でそれぞれの務めをするのであるが、
各々が住職と同じ三通りの心構えをもち、任期中の時間を充分に使ってその仕事を営み、役職を頂戴した尊い縁、巡り合わせを競い合ってその仕事に励んでいるのである。

その三通りの心構えとは、次の通りである。
一、他人のためにつとめ、また自身の修行も充分に積めば
二、修行道場を一層盛んにし、高尚な風格である修行のあり方も面目を一新し、
三、いにしえのすぐれた祖師方と肩を並べ、さらに頭一つでも抜け出さんと修行に励み、競い合い、祖師のすすまれた道を継承してその跡方をしっかり保持していく

このようなことであるから、建仁寺の典座のように、修行は自分のことであるのに他人事のようになおざりにしてしまう愚かな者がいると思えば、他人のことも自分のことのように隔てなく考え行動する、大宋国の典座和尚のように優れた者もいるということをはっきりと見極めなければならない。

雪チョウ重顕禅師は偈文に次のように言っている、
「(彼の)人生の三分の二はもうすでに過ぎてしまった。しかし、少しも心を磨こうとしない。いのちを貪り、日々をあくせくと過ごしているだけだ。呼び停めて仏の道に引き入れようにも振り返ることすらしない者には、いったいどうしたらよいものか」と。
素晴らしい指導者に会うことがなければ、凡俗の迷いに引きずられてしまうということを、しっかり覚えておかなければならない。

典座という大事な役職に就いていながら、それをやすやす見逃して無駄に日を過ごしてしまうことは、金持ち長者の愚かな跡取り息子が、その家伝来の宝物を運び出して他人の前に塵芥や糞尿のように捨ててしまうようなもので、何とも哀れなことである。今はそうであってはならないのだ。


          

                        カンパニュラが満開に近づいています。和紙の様な質感が優しさを感じさせてくれます。


(二十)先人たちの足跡

かつて典座の職にあった道心にあふれた方達は、その役職や仕事とその人徳とがピッタリ合っていたということをよく覚えておかなければならない。
潙山霊祐禅師が悟りを開いたのも典座の時であった。洞山守初禅師が麻三斤の公案で大衆を導いたのも典座の時であった。
だから、もし尊ぶべきすばらしい事柄があるのであれば、悟りの事柄をこそ尊ぶべきである。また、もし尊ぶべきすばらしい時節があるとすれば、悟りを開く時のほかにはないのである。

釈尊の悟りを慕い、佛道修行に専念した先人たちの跡形をたどってみれば、たとえば、砂遊びをしていた子供が佛に砂の団子を供養したことから、阿育王に生まれ変わって仏教を保護するという優れた報いがあり、仏像を作って礼拝をすることで仏と心が通じるということもあった。
まして、潙山や洞山とおなじく典座の仕事をし、その名称も同じ「典座」ではないか。どうして悟りの時節が無いことがあろうか。
私たちが先人たちの心情や行いを伝えることができたならば、どうして先人たちの素晴らしさやその教えを実現できないことがあるだろうか。

                                                              天道虫

(第8回に続く)

今日はここまで。



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