母の入院前から父にパスポートの申請を頼まれていたので、朝から申請に行ってきた。
だが、父の本人確認ができる物がなくては申請できないらしく、明日以降にもう一度申請に行かなくてはならなくなった。
担当医と約束をしていた12時まで中途半端に時間があったので、病院に行く前に実家に寄って父の本人確認ができそうなものを探そうかと思ったのだが、実家へ向かう道中に軽い渋滞にはまったため、実家には病院の帰りに行く事にした。
病院へは予定より早く着いたし、「先生は処置中なので、20分ほど遅れそうです」と看護師が連絡をしに来てくれたので、先生が来るまで母の所で待つ事にした。
母は午前中に胃カメラ検査を受けていたらしく、かなりダメージを受けていてグッタリしていた。
声も麻酔で枯れていた。
昨日、父が母に贈った花束の写真を取って欲しいと母に頼まれていたので、持参してきたデジカメで花束の写真を4~5枚撮影。
母の一生の宝物になるだろう。
母と雑談しながら暇つぶしに買ったイラストロジックをして先生を待っていると、看護助手が来て色々話しかけてきた。
話が弾まなかったので少々気まずくて、正直早く去って欲しかったのだが、花束を見て「花束は氷水に入れるといいんですよ。氷を分けますから花瓶を持ってきてください」と言われたので、言われるがまま花瓶を持って部屋を出た。
ナースステーション前で「ここに花瓶を置いてください」と差し出されたワゴンに花瓶を置いて、花瓶から花束を抜き取った時、「これから先生の説明がありますから・・」と看護師長が私の腕を引いた。
この瞬間、氷水がどうのこうのという話は、母に怪しまれないように私を連れ出すための口実だった事、そうしてまで私を連れ出したからにはこれから受ける説明はいい話ではない事を悟った。
「面談室の鍵を取ってきますから・・」と言って看護師長は一旦ナースステーションに戻って行ったが、看護師長が鍵を持って戻ってきてくれるのを待っていた僅かな間、心臓が破裂しそうなくらいドキドキしていて、足がガクガク震えていた。
面談室に通されてしばらくすると、主治医と初めて会う先生が入ってきた。
何をどういう順序で、どういう風に説明されたのか、全く覚えていない。
胃に悪性腫瘍があり、ステージ4という一番悪い状態の胃ガンである事。
胃にも腹水が少し溜まっていた事。
胸水が溜まったのは腫瘍が胸膜に転移し、炎症を起こした結果である事。
腹水も胸水と原因は同じである事。
胸水自体も3Bという「ガンの可能性がある」という結果であったが、まずガンだと診て間違いない事。
胸水が溜まっているのは、正確に言うと肺ではなく胸膜である事。
血液検査の結果、血小板の数値が下がっているので骨髄にも転移している可能性がある事。
恐らく全身に転移しているであろうから、手術をしても意味がない事。
16日に、違う病院でPET検査を受ける事。
残された治療は、抗がん剤の使用しかない事。
抗がん剤を使っても完治は有り得ず、延命処置にしかならない事。
抗がん剤自体がきついので、全身状態の悪い母は逆に状態が悪化する恐れがある事。
今の容態は落ち着いているが、いつ急変してもおかしくない事。
黙っていてもいずれ本人にバレるだろうから、来週頭に本人に告知した方がいいという事。
何もしなければ、余命1~2ケ月である事・・・・
話を聞いている間、手がずっと震えていた。
頭が真っ白になっていて、先生の説明がほとんど頭に入らなかった。
一通りの説明を受けたあと、「父と弟を呼ぶので、明日改めて説明をしてもらっていいですか・・?」とお願いするのが精一杯だった。
先生方が退席した後、看護師長が「お茶を入れてきてあげるね」と言って席を立った。
看護師長が席をはずしている間、私は床に崩れ落ちながら、何度も叫んで号泣した。
戻ってきた看護師長が慌てて私を椅子に座らせて、しばらく肩を抱いていてくれた。
全然落ち着く事などできなかったが、「お父さんと弟に連絡しないと・・」と考える事だけはできた。
携帯はカバンと一緒に母のベット脇に置いてきていたが、母と顔を合わせられる状態ではなかったので、看護師長に「かばんを取ってきてもらえますか・・?」とお願いした。
看護師長は「娘さんはお友達に偶然会ったらしくて、お茶をしに行きたいから・・と、カバンを取ってくるように頼まれました」と母に苦しい嘘をついて、カバンを持ってきてくれた。
事情を知らない母は「何でそんな事を看護師さんに頼むかなぁ!?」と怒っていたらしい。
まず、父に電話をかけた。
まだ私の頭は真っ白で、何をどう言ったらいいのかなんて全然考えられなくて・・
ただ「一人はイヤ!!すぐに来て!!」と泣きながら何度も叫んだ。
そんな私に父は「ガンか・・?」と聞いてきた。
今思えば・・この時の父は、できるだけ冷静に聞くように努力していたのだと思う。
胃ガンである事、手の施しようのない状態である事、何もしなければ余命1~2ケ月である事くらいは伝えられたと思う。
私の説明を聞いて、父は「すぐ行く!!」と言ってくれた。
次に、弟に電話をかけた。
弟にも「一人はイヤ!!すぐに来て!!」と、泣きながら何度も叫んだ。
見るに見かねたのか、看護師長が代わってくれて、弟に簡単に説明をしてくれた。
弟も電話の向こうで泣いていたらしい。
その後もしばらく面談室で号泣していたが、しばらくすると徐々に落ち着いてこれた。
早く母の所に戻りたかったので、目を冷やすために氷水とタオルを借り、腫れまくった目を冷やした。
忙しいはずの看護師長に悪いので「もう大丈夫ですから、お仕事に戻ってください」と言って、看護師長が部屋を出てからは一人でいた。
落ち着くと少しずつ色んな事が考えられるようになった。
パニックになって父と弟を呼んでしまったものの、母に怪しまれるので二人は母に会わせられないので、父と弟には病院に着いた時点で連絡を入れてもらう事にした。
私の帰りが遅いと母も心配するだろうから、母に電話をして「先生との話が終わった後に友達に偶然会ってさー!!立ち話も周りに迷惑やから、外でお茶してくるわー!!」と、看護師長がついてくれた嘘につじつまを合わせて嘘をついた。
母は看護師長にカバンを取りに行かせた事を怒っていたが、「ごめんってー!!」と、とりあえず軽いノリで謝っておいた。
タオルを目に当てたままタバコを吸いに行ったり、目の腫れ具合を確認するためにトイレと面談室の往復をしたりした。
花瓶を持って病室を出てから、1時間は軽く経過していたと思う・・
目の腫れが引いたのを確認してから母の所へ戻ったが、平静を装うのがかなり辛かった。
母はまず、「先生の話、どうやった?」と聞いてきた。
そう聞かれる事は十分予測できたはずだが、その時の私にはそこまで考える余裕はなく、「昨日お母さんが呼吸器科の診察で聞いた事と同じだったよ」と答えるのが精一杯だった。
「帰りが遅いから、最悪の告知されてるのかと思って心配したわ」と言う母に「そんな事あるわけないやん(笑)先生の説明は5分ほどで終わったよ」と笑って言ったが、かなりテンパっていたのでうまく笑えず、怪しまれてはいないかとヒヤヒヤした。
しばらくすると父から「病院に到着した」と電話が入ったので、母には「タバコを吸ってくる」と言って部屋を出た。
父と合流後、すぐに弟も到着。
私が二人にパニくって電話をしてから、2時間も経っていなかったと思う。
二人とも、必死で駆けつけてくれたんだろう。
誰もいない外来のロビーで、3人で泣きながら話をした。
でもみんな正常な状態ではないので、まとまった話にはならなかった。
今日も母が看護師に花束を自慢していた事を父に教えると、父は外に出て私たちに見られないように泣いていた。
話合いの結果、父と弟は母には会えないので、一旦家に帰る事になった。
私はそのまま母の所に戻るつもりでいたが、二人と話をしている時に泣いて目が腫れてしまったので、「タバコを吸いに外に出たついでに、家に帰ってパスポートの申請に必要なお父さんの本人確認のできるものを探してくるわ」と母に電話をした。
私も二人と一緒に実家に戻ったが、早く母の所に戻りたかったので、書類を探し出してすぐに戻った。
その後母と二人でいた訳だが・・本当に辛かった。
涙が出そうになるのを何度もこらえて、必死でいつも通り振舞った。
どんな話題からそうなったのかはあまり覚えていないけど・・
「ガンになっても抗癌剤で苦しむのはイヤ」だとか、「生命維持装置をつけないといけない状況になっても拒否して」だとか、そんな話をされた時は、泣かずにいつもどおり振舞った自分を、本当に褒めてあげたい。
面会時間終了の19時まで母の病室にいて、それから私は実家に戻った。
父に泣いた跡はなかったが、普段通り接してくれるのが痛々しかった。
弟は目を真っ赤に腫らせていた。
私もやっと大声を出して泣く事ができた。
ひとしきり泣いて少し落ち着いた時、父に「今日の事は一生忘れられんやろうなぁ・・」と言うと、「よぉ頑張った。スマンかったな」と抱きしめてくれたので、父にすがってまた号泣した。
ペットたちがいるので私は自宅に帰ろうと思っていたが、父も弟も「今夜は3人でいよう」と言ってくれたので、ペットたちのエサやりと着替えを持ってくるために一旦帰宅した。
私は運転できる状況じゃなかったので、自宅までは弟が運転してくれて、荷物を運ぶのも手伝ってくれた。
やっと帰ってきた私にじゃれつくきゅーたに悪いと思いながら、荷物を用意したらまたすぐに実家に戻った。
「ちゃんと食べなアカン」と言って父が夕食を作ってくれていたので、3人で食べた。
父と弟はお酒を飲んでいた。
父が私たちの子供の頃の話や、父自身の子供の頃の話、母との馴れ初め、新入社員だった頃の話、得意先と喧嘩をした時の話など、面白おかしく話してくれたので楽しかった。
でも、ふと病院に一人でいる母の事を思い出しては3人で泣いた。
父は、私達に弱味なんか絶対見せない人だ。
そんな父が「こっちに帰ってくる最中、何回も車の中で叫んだわ・・」と言い、泣いていた。
弟が泣くのも、今日初めて見た。
父は「お母さんを家に連れて帰ろう。お母さんが苦しむようやったら、俺が首を絞めて殺す」と言っていた。
弟は「お母さんの好きなTDLに、みんなで旅行に行こう」と言っていた。
お酒を飲んでいない私一人が、「家に連れて帰るのは賛成やけど、先生に相談してからな!!」とか、「長距離の移動はお母さんに負担になるから、道中1泊しよう」とか、冷静に答えていた。
夜はリビングに布団を引いて、3人で並んで寝た。
自宅に一人でいたら絶対寝られなかっただろうが、私が一番先に寝たらしい。
夢も見ず、朝までぐっすり寝れた。
2人と一緒にいれて良かったと思う。
だが、父の本人確認ができる物がなくては申請できないらしく、明日以降にもう一度申請に行かなくてはならなくなった。
担当医と約束をしていた12時まで中途半端に時間があったので、病院に行く前に実家に寄って父の本人確認ができそうなものを探そうかと思ったのだが、実家へ向かう道中に軽い渋滞にはまったため、実家には病院の帰りに行く事にした。
病院へは予定より早く着いたし、「先生は処置中なので、20分ほど遅れそうです」と看護師が連絡をしに来てくれたので、先生が来るまで母の所で待つ事にした。
母は午前中に胃カメラ検査を受けていたらしく、かなりダメージを受けていてグッタリしていた。
声も麻酔で枯れていた。
昨日、父が母に贈った花束の写真を取って欲しいと母に頼まれていたので、持参してきたデジカメで花束の写真を4~5枚撮影。
母の一生の宝物になるだろう。
母と雑談しながら暇つぶしに買ったイラストロジックをして先生を待っていると、看護助手が来て色々話しかけてきた。
話が弾まなかったので少々気まずくて、正直早く去って欲しかったのだが、花束を見て「花束は氷水に入れるといいんですよ。氷を分けますから花瓶を持ってきてください」と言われたので、言われるがまま花瓶を持って部屋を出た。
ナースステーション前で「ここに花瓶を置いてください」と差し出されたワゴンに花瓶を置いて、花瓶から花束を抜き取った時、「これから先生の説明がありますから・・」と看護師長が私の腕を引いた。
この瞬間、氷水がどうのこうのという話は、母に怪しまれないように私を連れ出すための口実だった事、そうしてまで私を連れ出したからにはこれから受ける説明はいい話ではない事を悟った。
「面談室の鍵を取ってきますから・・」と言って看護師長は一旦ナースステーションに戻って行ったが、看護師長が鍵を持って戻ってきてくれるのを待っていた僅かな間、心臓が破裂しそうなくらいドキドキしていて、足がガクガク震えていた。
面談室に通されてしばらくすると、主治医と初めて会う先生が入ってきた。
何をどういう順序で、どういう風に説明されたのか、全く覚えていない。
胃に悪性腫瘍があり、ステージ4という一番悪い状態の胃ガンである事。
胃にも腹水が少し溜まっていた事。
胸水が溜まったのは腫瘍が胸膜に転移し、炎症を起こした結果である事。
腹水も胸水と原因は同じである事。
胸水自体も3Bという「ガンの可能性がある」という結果であったが、まずガンだと診て間違いない事。
胸水が溜まっているのは、正確に言うと肺ではなく胸膜である事。
血液検査の結果、血小板の数値が下がっているので骨髄にも転移している可能性がある事。
恐らく全身に転移しているであろうから、手術をしても意味がない事。
16日に、違う病院でPET検査を受ける事。
残された治療は、抗がん剤の使用しかない事。
抗がん剤を使っても完治は有り得ず、延命処置にしかならない事。
抗がん剤自体がきついので、全身状態の悪い母は逆に状態が悪化する恐れがある事。
今の容態は落ち着いているが、いつ急変してもおかしくない事。
黙っていてもいずれ本人にバレるだろうから、来週頭に本人に告知した方がいいという事。
何もしなければ、余命1~2ケ月である事・・・・
話を聞いている間、手がずっと震えていた。
頭が真っ白になっていて、先生の説明がほとんど頭に入らなかった。
一通りの説明を受けたあと、「父と弟を呼ぶので、明日改めて説明をしてもらっていいですか・・?」とお願いするのが精一杯だった。
先生方が退席した後、看護師長が「お茶を入れてきてあげるね」と言って席を立った。
看護師長が席をはずしている間、私は床に崩れ落ちながら、何度も叫んで号泣した。
戻ってきた看護師長が慌てて私を椅子に座らせて、しばらく肩を抱いていてくれた。
全然落ち着く事などできなかったが、「お父さんと弟に連絡しないと・・」と考える事だけはできた。
携帯はカバンと一緒に母のベット脇に置いてきていたが、母と顔を合わせられる状態ではなかったので、看護師長に「かばんを取ってきてもらえますか・・?」とお願いした。
看護師長は「娘さんはお友達に偶然会ったらしくて、お茶をしに行きたいから・・と、カバンを取ってくるように頼まれました」と母に苦しい嘘をついて、カバンを持ってきてくれた。
事情を知らない母は「何でそんな事を看護師さんに頼むかなぁ!?」と怒っていたらしい。
まず、父に電話をかけた。
まだ私の頭は真っ白で、何をどう言ったらいいのかなんて全然考えられなくて・・
ただ「一人はイヤ!!すぐに来て!!」と泣きながら何度も叫んだ。
そんな私に父は「ガンか・・?」と聞いてきた。
今思えば・・この時の父は、できるだけ冷静に聞くように努力していたのだと思う。
胃ガンである事、手の施しようのない状態である事、何もしなければ余命1~2ケ月である事くらいは伝えられたと思う。
私の説明を聞いて、父は「すぐ行く!!」と言ってくれた。
次に、弟に電話をかけた。
弟にも「一人はイヤ!!すぐに来て!!」と、泣きながら何度も叫んだ。
見るに見かねたのか、看護師長が代わってくれて、弟に簡単に説明をしてくれた。
弟も電話の向こうで泣いていたらしい。
その後もしばらく面談室で号泣していたが、しばらくすると徐々に落ち着いてこれた。
早く母の所に戻りたかったので、目を冷やすために氷水とタオルを借り、腫れまくった目を冷やした。
忙しいはずの看護師長に悪いので「もう大丈夫ですから、お仕事に戻ってください」と言って、看護師長が部屋を出てからは一人でいた。
落ち着くと少しずつ色んな事が考えられるようになった。
パニックになって父と弟を呼んでしまったものの、母に怪しまれるので二人は母に会わせられないので、父と弟には病院に着いた時点で連絡を入れてもらう事にした。
私の帰りが遅いと母も心配するだろうから、母に電話をして「先生との話が終わった後に友達に偶然会ってさー!!立ち話も周りに迷惑やから、外でお茶してくるわー!!」と、看護師長がついてくれた嘘につじつまを合わせて嘘をついた。
母は看護師長にカバンを取りに行かせた事を怒っていたが、「ごめんってー!!」と、とりあえず軽いノリで謝っておいた。
タオルを目に当てたままタバコを吸いに行ったり、目の腫れ具合を確認するためにトイレと面談室の往復をしたりした。
花瓶を持って病室を出てから、1時間は軽く経過していたと思う・・
目の腫れが引いたのを確認してから母の所へ戻ったが、平静を装うのがかなり辛かった。
母はまず、「先生の話、どうやった?」と聞いてきた。
そう聞かれる事は十分予測できたはずだが、その時の私にはそこまで考える余裕はなく、「昨日お母さんが呼吸器科の診察で聞いた事と同じだったよ」と答えるのが精一杯だった。
「帰りが遅いから、最悪の告知されてるのかと思って心配したわ」と言う母に「そんな事あるわけないやん(笑)先生の説明は5分ほどで終わったよ」と笑って言ったが、かなりテンパっていたのでうまく笑えず、怪しまれてはいないかとヒヤヒヤした。
しばらくすると父から「病院に到着した」と電話が入ったので、母には「タバコを吸ってくる」と言って部屋を出た。
父と合流後、すぐに弟も到着。
私が二人にパニくって電話をしてから、2時間も経っていなかったと思う。
二人とも、必死で駆けつけてくれたんだろう。
誰もいない外来のロビーで、3人で泣きながら話をした。
でもみんな正常な状態ではないので、まとまった話にはならなかった。
今日も母が看護師に花束を自慢していた事を父に教えると、父は外に出て私たちに見られないように泣いていた。
話合いの結果、父と弟は母には会えないので、一旦家に帰る事になった。
私はそのまま母の所に戻るつもりでいたが、二人と話をしている時に泣いて目が腫れてしまったので、「タバコを吸いに外に出たついでに、家に帰ってパスポートの申請に必要なお父さんの本人確認のできるものを探してくるわ」と母に電話をした。
私も二人と一緒に実家に戻ったが、早く母の所に戻りたかったので、書類を探し出してすぐに戻った。
その後母と二人でいた訳だが・・本当に辛かった。
涙が出そうになるのを何度もこらえて、必死でいつも通り振舞った。
どんな話題からそうなったのかはあまり覚えていないけど・・
「ガンになっても抗癌剤で苦しむのはイヤ」だとか、「生命維持装置をつけないといけない状況になっても拒否して」だとか、そんな話をされた時は、泣かずにいつもどおり振舞った自分を、本当に褒めてあげたい。
面会時間終了の19時まで母の病室にいて、それから私は実家に戻った。
父に泣いた跡はなかったが、普段通り接してくれるのが痛々しかった。
弟は目を真っ赤に腫らせていた。
私もやっと大声を出して泣く事ができた。
ひとしきり泣いて少し落ち着いた時、父に「今日の事は一生忘れられんやろうなぁ・・」と言うと、「よぉ頑張った。スマンかったな」と抱きしめてくれたので、父にすがってまた号泣した。
ペットたちがいるので私は自宅に帰ろうと思っていたが、父も弟も「今夜は3人でいよう」と言ってくれたので、ペットたちのエサやりと着替えを持ってくるために一旦帰宅した。
私は運転できる状況じゃなかったので、自宅までは弟が運転してくれて、荷物を運ぶのも手伝ってくれた。
やっと帰ってきた私にじゃれつくきゅーたに悪いと思いながら、荷物を用意したらまたすぐに実家に戻った。
「ちゃんと食べなアカン」と言って父が夕食を作ってくれていたので、3人で食べた。
父と弟はお酒を飲んでいた。
父が私たちの子供の頃の話や、父自身の子供の頃の話、母との馴れ初め、新入社員だった頃の話、得意先と喧嘩をした時の話など、面白おかしく話してくれたので楽しかった。
でも、ふと病院に一人でいる母の事を思い出しては3人で泣いた。
父は、私達に弱味なんか絶対見せない人だ。
そんな父が「こっちに帰ってくる最中、何回も車の中で叫んだわ・・」と言い、泣いていた。
弟が泣くのも、今日初めて見た。
父は「お母さんを家に連れて帰ろう。お母さんが苦しむようやったら、俺が首を絞めて殺す」と言っていた。
弟は「お母さんの好きなTDLに、みんなで旅行に行こう」と言っていた。
お酒を飲んでいない私一人が、「家に連れて帰るのは賛成やけど、先生に相談してからな!!」とか、「長距離の移動はお母さんに負担になるから、道中1泊しよう」とか、冷静に答えていた。
夜はリビングに布団を引いて、3人で並んで寝た。
自宅に一人でいたら絶対寝られなかっただろうが、私が一番先に寝たらしい。
夢も見ず、朝までぐっすり寝れた。
2人と一緒にいれて良かったと思う。
さっきから、書いては消して・・・の繰り返しです。
私も、読みながら涙が止まりませんでした。
告知をされてから、お母さんに普段とおりの接し方を
する辛さ。想像しただけで、言葉に出来ない思いが
こみ上げてきます。
辛い時いつでも電話ください。
家に一緒に帰ること、ディズニー、
お母さんきっと喜ぶと思います。
同じく余命1~2か月という宣告を医者から受け同じような立場になったのをまだ最近のように感じています。
なんかいきなりそんなこと言われるとピンとこなくて夢を見ているのかな?という感じになりますが宣告を受け3か月後に亡くなりやっと今になって実感が湧いてくる感じです。
辛いとは思いますがお母さんがいま一番したいこと、自分が今一番してあげたいことを一生懸命やって自分もお母さんも悔いのないようにしてあげた方がいいと思います。(自分は悔いが残ってしまったと思っているので後悔しています。)
また、こんなときに失礼ですがクリリンのHPたまにでいいんで見てください。コメントお待ちしております。(メールでも構いません。辛い時等少しでもお役に立てれれば幸いかと思います。)
それではまた・・・。