こんにちは。rest2012です。
今から30年くらい前に撮影した東武バスの写真をご紹介します。
写真も残り少なくなってきましたが、今回は新座車庫で撮影した写真になります。
計5枚ご紹介いたします。
その1
その2
その3
その4
その5
その1の写真ですが、正面から撮影したものがなく、申し訳ありません。
また、正面から撮影したものは少し逆光気味ですね。
いすゞでは、懐かしい、後部側が金網式、ファン丸見えのバスになります。
その4、その5ですが、新座車庫には珍しく大宮ナンバーとなっています。
上記のバスは古い型ですが、この後期型では金網はなくなっていますが
エンジンそのものやエンジン音は同じなのでしょうかね?
それから、今思い出しましたが、その5の写真のガラス部に
なつかしいステッカーが貼られています。
「白ナンバーは観光バスではありません。旅は安心なグリーンナンバーで。」
このキャッチフレーズですが当時よく見かけました。
皆さんも覚えておられますか?(笑)
新座車庫もよく通りました。奥の方には廃車・解体された車両があったりしました。確かに当時の東武バスは非常口が車体中央部にあるものが大半でした。それがいすゞ車なのですね。初めて知りました。車体前方の「一里飴」の看板や後方のHOTELカナダの看板も懐かしいです。当時の東武バスは西武バスと比べると、エンジンの音がかなりうるさかったように記憶してます。
大宮22ナンバーで1000番越えたすぐの辺りから切り替わっていますので997は最後の頃の所沢ナンバー区域の大宮ナンバーになります。
昭和57年頃と言いますといすゞ所属営業所は大混乱という状態の時期でして、
時系列で表すと…
1.昭和55年~56年初めにツーマン車全廃、
2.その直後に各営業所に配属されていた昭和42年~44年式の初期ワンマン車代替、
3.茨城県の境営業所がいすゞから日野に車両交換、捻出された境の車両がいすゞ各営業所に配転、
4.冷房車配属による高年式非冷房車の配転
などが一気に来ることになります。
その為多くの営業所で転属があり、年式に合わない新しいナンバーを付けた車両が現れます。
画像その1は初期の低床車BU06改です。
まとまった数が新車で新座に配属されています。
元々窓割が前中扉をデフォルトとして前後扉の場合は後扉が折戸ではなく引戸になるのが前提のデザインになっていて戸袋にあたる部分がはめ殺しの固定窓になっているのが特徴です。
画像その5の隣にいる社6260号は47年式でいすゞマイナーチェンジ前の富士重3E車体を持ち、窓割がマイナーチェンジ後と異なるのが特徴でした。ちなみに6260も転入車です。
県警の「ゆずりあい埼玉」ステッカーもよく見かけましたが、貼られていないところには全く貼られておらず、地域差があったようです。
いすゞBUですが、昭和48年に川重車体がフルモデルチェンジするのに合わせビッグマイナーチェンジを行いますが、その後昭和50年より騒音規制対応の為にエンジン点検扉の通風孔廃止、52年頃に川重車体の前扉窓拡大と2度小改良を行います。
マイチェン後昭和50年頃にギア周りか駆動系の何らかの改良がなされており、音が変わってきているのは確かです。
エンジンは形式こそ変更されていませんが、その際に何らかの改良がなされているはずです。
最末期のBUはうなり声を上げることはありませんでした。