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昔のバスの写真

昔の東武バスなどを中心に不定期に書いております。

昔の東武バスの写真(新座車庫にて)

2013-06-02 10:18:14 | 日記

こんにちは。rest2012です。

今から30年くらい前に撮影した東武バスの写真をご紹介します。

写真も残り少なくなってきましたが、今回は新座車庫で撮影した写真になります。

計5枚ご紹介いたします。

その1

その2

その3

その4

その5

その1の写真ですが、正面から撮影したものがなく、申し訳ありません。

また、正面から撮影したものは少し逆光気味ですね。

いすゞでは、懐かしい、後部側が金網式、ファン丸見えのバスになります。

その4、その5ですが、新座車庫には珍しく大宮ナンバーとなっています。

上記のバスは古い型ですが、この後期型では金網はなくなっていますが

エンジンそのものやエンジン音は同じなのでしょうかね?

それから、今思い出しましたが、その5の写真のガラス部に

なつかしいステッカーが貼られています。

「白ナンバーは観光バスではありません。旅は安心なグリーンナンバーで。」

このキャッチフレーズですが当時よく見かけました。

皆さんも覚えておられますか?(笑)


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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (Unknown)
2013-06-02 22:30:40
新座団地の写真でコメントをさせていただいた者です。
新座車庫もよく通りました。奥の方には廃車・解体された車両があったりしました。確かに当時の東武バスは非常口が車体中央部にあるものが大半でした。それがいすゞ車なのですね。初めて知りました。車体前方の「一里飴」の看板や後方のHOTELカナダの看板も懐かしいです。当時の東武バスは西武バスと比べると、エンジンの音がかなりうるさかったように記憶してます。
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Unknown (farewell song)
2013-06-03 02:38:53
所沢ナンバーは昭和57年2月に交付が始まっており、以前は所沢の区域も大宮ナンバーが交付されていました。
大宮22ナンバーで1000番越えたすぐの辺りから切り替わっていますので997は最後の頃の所沢ナンバー区域の大宮ナンバーになります。
昭和57年頃と言いますといすゞ所属営業所は大混乱という状態の時期でして、
時系列で表すと…
1.昭和55年~56年初めにツーマン車全廃、
2.その直後に各営業所に配属されていた昭和42年~44年式の初期ワンマン車代替、
3.茨城県の境営業所がいすゞから日野に車両交換、捻出された境の車両がいすゞ各営業所に配転、
4.冷房車配属による高年式非冷房車の配転
などが一気に来ることになります。
その為多くの営業所で転属があり、年式に合わない新しいナンバーを付けた車両が現れます。

画像その1は初期の低床車BU06改です。
まとまった数が新車で新座に配属されています。
元々窓割が前中扉をデフォルトとして前後扉の場合は後扉が折戸ではなく引戸になるのが前提のデザインになっていて戸袋にあたる部分がはめ殺しの固定窓になっているのが特徴です。

画像その5の隣にいる社6260号は47年式でいすゞマイナーチェンジ前の富士重3E車体を持ち、窓割がマイナーチェンジ後と異なるのが特徴でした。ちなみに6260も転入車です。
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Unknown (farewell song)
2013-06-03 02:49:42
県バス協の緑ナンバーステッカーはかなり広範囲の事業者に貼られていまして国際興業で貼られた個体が岩手県交通に移籍後剥がせずにそのままで走っていたのを目撃しています(笑)。
県警の「ゆずりあい埼玉」ステッカーもよく見かけましたが、貼られていないところには全く貼られておらず、地域差があったようです。

いすゞBUですが、昭和48年に川重車体がフルモデルチェンジするのに合わせビッグマイナーチェンジを行いますが、その後昭和50年より騒音規制対応の為にエンジン点検扉の通風孔廃止、52年頃に川重車体の前扉窓拡大と2度小改良を行います。
マイチェン後昭和50年頃にギア周りか駆動系の何らかの改良がなされており、音が変わってきているのは確かです。
エンジンは形式こそ変更されていませんが、その際に何らかの改良がなされているはずです。
最末期のBUはうなり声を上げることはありませんでした。

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Unknown (rest2012)
2013-06-03 07:14:58
Unknown様、新座団地のブログに続きましてコメントありがとうございます。いすゞ製のバスについてご理解頂いてとてもうれしいです。また新座団地のお話ばかりになってしまいますが、新座団地の入口にある仁宏医院には私の祖父が入院していたこともあり思い出深いです。また、新座団地の入口を入り少し進むと、リトルリーグのチームが野球をやっている姿をよく目撃しました。私も野球少年でしたので「このチームにはいれないかなぁ~」と何度も思っていたものです。本当に東上線沿線の町は良い町ばかりです。私の祖父は鶴ヶ島(駅で言いますと若葉)に住んでいましたので、やはり東上線沿線には縁があります。私は大宮上尾地区の人間ですが、生まれ変わったら、ぜひ東上線沿線に住みたいと思っております。私の母は今でも、新座団地の近所にあるPOWERSというスーパーが好きでよく立ち寄っております。(笑)
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Unknown (rest2012)
2013-06-03 07:31:16
farewell song様、コメントありがとうございます。やはりはいへんお詳しいですね。もしかしてバスの運転手様でしょうか?(笑)。情報量の多さにいつも大変感心させて頂いております。そして大変勉強になっております。私もその2やその3の写真のバスについて似た形のバスを天沼車庫に来ていた熊谷営業所のバスですが見たことがあります。そしてそのエンジン音も聞きましたが、このバスの後期型の通気孔無しのバスと比べるとエンジン音は似ていますが、音が少し重くてうるさい感じでした。ただ、私の記憶ではこの通気孔を初めて無くしたのはいすゞでした。(日野、三菱、日産ディーゼルより全然はやかったと記憶しております。)
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Unknown (rest2012)
2013-06-03 07:40:32
Unknown様へ。Unknown様よりエンジン音のお話がありましたので、補足させて頂きますと、当時の西武バスは清瀬営業所の車両で、エンジンは日産ディーゼル製でした。ボディは富士重工業株式会社のものでした。東武バスも富士重工のボディを多く採用していましたので、新座団地の皆様にとっては東武バスも西武バスも見た目が同じなため、同じメーカーに見えていたかもしれません。(東武バスは当時すべてエンジンはいすゞでした。)西武バスの思い出としましては、他のバス会社よりも料金箱が先進的でした。千円札等のお札の両替機の導入が早かったり、記憶が正しければ、回数券も自動販売できていました。今となってはなつかしい思い出です。
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