9月11日から、5月に生まれた孫を連れて横須賀に行ってきました。
もちろん、一人ではなく、仙台の娘と上の子供と一緒に
仙台で合流し、私が3か月の子供を担当し、娘が3歳の子供を担当しました。
一人で新幹線はよく行くのですが、子連れ新幹線は久しぶりで、しかも、娘は初めてだったので
とても心配していましたが、行きは大人しくしてくれていたので、というより
前の座席に外人の親子連れがいたので、その人たちの方が目立っていたから
私たちがかすんでしまって助かったという感じでした。
実家についてからは、母がお世話になっている施設に行き
4月に入居してから初めて施設にいる母を面会しました。
7か月ぶりの対面だったので、行ってもすぐにわからなかったようですが
ひ孫を見せたり触らせたりしているうちに反応してくれて
来たのがわかったんだなーって、ホッとしました。
と同時に、あまりにも狭い部屋に寝かせられていたので
妹からは言われていても、実際見るとビックリしてしまって、
なじむまでに時間がかかりましたが、それにもまして、施設の人たちがとても気さくに対応してくれたので
それで少し安心しました。
ワンフロアーに入居者数が10名で、音楽が鳴っていて、
夕飯の支度を真ん中のオープンキッチンでやっていて、その台所の音を聞きながら、
介護スタッフの話し声を聞きながら、母は毎日過ごしているんだなーって
まるで家にいるみたいに、過ごせているんだなーって
妹もそれが気に入ってその施設に決めたって話してくれて、狭いけど、ここでよかったって思いました。
確かに、週に2回の入浴で、入浴日にしか着替えをしないようで、
私が行ったその日に取りかえた服は、金曜日に帰る時までそのままでした。
妹も私も、施設にお願いしている分、手が出せない雰囲気が切なくて
家にいれば毎日着替えたりできたのに、とかいろいろ感情的になってしまったけど
そういう感傷に浸ることはやめた方がいいと、
顔色もよかったし、親切に声かけてくれるしと優しくしてもらっていることに感謝して
良いことを考えなくちゃって・・・
それでも、寝たきりで、言葉も発することもできず、手を握るとか
右足の先を動かすくらいの反応しかないけど、それでも、来たことをわかったくれたように
反応してくれて、一生懸命生きようとしている。
妹は、「お母さんは生き切ろうとしている。それをしっかり見届けなくちゃあいけない」って
「生き切る」命の限り精一杯生き続ける。
考えてみれば、私が勤務している病院にも、今までにもそういう方がたくさんいたはずなのに
自分の親や自分は寝たきりになってならないって、考えてもいなかったことだからこそ
生きる意味って、とか、かわいそうとか、何を考えているんだろうとか・・・
どうしてこんな病気になってしまったんだろうって・・・・
実家から帰ってきて、泣きながら、長男にこの話をしたら、
おばあちゃんは急に寝たきりになった訳じゃないし、
きっとわかっているんだと思うよ、自分の事だものって。
丁度命日だった父の墓前に向かって、天国から見てお母さんが辛そうだったら、迎えに来てあげてって
考えてしまった私。親不孝ですよね。
所詮、他人事で生活していたつけが、この年になって考えさせられるなんて
今まで、私は何も見てきたんだろう・・・・
母は、しっかり目を開けて、声かけてくれる施設の方に対して、うーうーって返事していた
もう、かわいそうなんて母に対して失礼って、
それでもやっぱり、泣いてしまうかもしれないけど、
父には、やっぱり、天国からしっかり見守ってあげてねって
みんなに親切にしてもらって、優しい言葉をかけてもらっている母は幸せな人だなって。
時間かかったけど、今の母の事をこんな風に受け止められるようになりました。
なにかが、解決したわけではないけれど、私も、母に負けないくらい精一杯生きる。
そして、目の前にいる患者さんにできる限りにことを誠実にかかわって行こうと思いました。
こんな風に考えられるようにしてくれたのも、母のおかげですものね。ありがとう、お母さん。
もちろん、一人ではなく、仙台の娘と上の子供と一緒に
仙台で合流し、私が3か月の子供を担当し、娘が3歳の子供を担当しました。
一人で新幹線はよく行くのですが、子連れ新幹線は久しぶりで、しかも、娘は初めてだったので
とても心配していましたが、行きは大人しくしてくれていたので、というより
前の座席に外人の親子連れがいたので、その人たちの方が目立っていたから
私たちがかすんでしまって助かったという感じでした。
実家についてからは、母がお世話になっている施設に行き
4月に入居してから初めて施設にいる母を面会しました。
7か月ぶりの対面だったので、行ってもすぐにわからなかったようですが
ひ孫を見せたり触らせたりしているうちに反応してくれて
来たのがわかったんだなーって、ホッとしました。
と同時に、あまりにも狭い部屋に寝かせられていたので
妹からは言われていても、実際見るとビックリしてしまって、
なじむまでに時間がかかりましたが、それにもまして、施設の人たちがとても気さくに対応してくれたので
それで少し安心しました。
ワンフロアーに入居者数が10名で、音楽が鳴っていて、
夕飯の支度を真ん中のオープンキッチンでやっていて、その台所の音を聞きながら、
介護スタッフの話し声を聞きながら、母は毎日過ごしているんだなーって
まるで家にいるみたいに、過ごせているんだなーって
妹もそれが気に入ってその施設に決めたって話してくれて、狭いけど、ここでよかったって思いました。
確かに、週に2回の入浴で、入浴日にしか着替えをしないようで、
私が行ったその日に取りかえた服は、金曜日に帰る時までそのままでした。
妹も私も、施設にお願いしている分、手が出せない雰囲気が切なくて
家にいれば毎日着替えたりできたのに、とかいろいろ感情的になってしまったけど
そういう感傷に浸ることはやめた方がいいと、
顔色もよかったし、親切に声かけてくれるしと優しくしてもらっていることに感謝して
良いことを考えなくちゃって・・・
それでも、寝たきりで、言葉も発することもできず、手を握るとか
右足の先を動かすくらいの反応しかないけど、それでも、来たことをわかったくれたように
反応してくれて、一生懸命生きようとしている。
妹は、「お母さんは生き切ろうとしている。それをしっかり見届けなくちゃあいけない」って
「生き切る」命の限り精一杯生き続ける。
考えてみれば、私が勤務している病院にも、今までにもそういう方がたくさんいたはずなのに
自分の親や自分は寝たきりになってならないって、考えてもいなかったことだからこそ
生きる意味って、とか、かわいそうとか、何を考えているんだろうとか・・・
どうしてこんな病気になってしまったんだろうって・・・・
実家から帰ってきて、泣きながら、長男にこの話をしたら、
おばあちゃんは急に寝たきりになった訳じゃないし、
きっとわかっているんだと思うよ、自分の事だものって。
丁度命日だった父の墓前に向かって、天国から見てお母さんが辛そうだったら、迎えに来てあげてって
考えてしまった私。親不孝ですよね。
所詮、他人事で生活していたつけが、この年になって考えさせられるなんて
今まで、私は何も見てきたんだろう・・・・
母は、しっかり目を開けて、声かけてくれる施設の方に対して、うーうーって返事していた
もう、かわいそうなんて母に対して失礼って、
それでもやっぱり、泣いてしまうかもしれないけど、
父には、やっぱり、天国からしっかり見守ってあげてねって
みんなに親切にしてもらって、優しい言葉をかけてもらっている母は幸せな人だなって。
時間かかったけど、今の母の事をこんな風に受け止められるようになりました。
なにかが、解決したわけではないけれど、私も、母に負けないくらい精一杯生きる。
そして、目の前にいる患者さんにできる限りにことを誠実にかかわって行こうと思いました。
こんな風に考えられるようにしてくれたのも、母のおかげですものね。ありがとう、お母さん。