令和無色のetc日記

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「カナリヤが鳴く」? キタニタツヤ新曲『逃走劇』リリース MV公開前に歌詞を考える

2021-02-24 19:59:59 | 日記


どうもこんにちは、令和無色です。
あっという間の午後になりましたね。
今日は20時からキタニタツヤさんの新曲逃走劇のMVが
公開されるので、その前に新曲の歌詞を見ていこうと思う。
では本題へ。




{本題}

1番

逃げようぜ、果ての果てへと

タイトルでもある『逃走劇』の幕開けとなるフレーズ。
誰が誰から逃げているのか、今回の考察の重要なパーツとなるだろう。


誰もがきっと不安で痛みに慣れて、       
麻痺した心で宛先も無く祈っている     
形を成す日は来るだろうか  

鋭く現代人の心理を表している1節といっても過言ではない。
「この先どうなるのか」という漠然とした不安は誰もが持ち合わせている。
そういった不安からストレスが生まれてるものの、いつしかそのストレスすら
感じなくなっていってしまう。微かな心の変化も自覚しないまま、
「どうにか良くなるよう」に、とりあえず神頼みといったところか。

宛先もなく」というのは、多くの日本人の
宗教に疎い部分を表しているのかも...
'祈る'という行動は神仏に向かって行われる行為であるが、
特に信仰している宗教があるわけではない。
なかなか面白い表現ですね(´∀`)

「形を成す」はハッキリするという意味だろう。
どこにかかるのか分からないですねぇ( ̄^ ̄)

"不安"か"宛先"のどちらかだとは思います。





共犯者になろう       
カナリヤはとうに鳴き始めてる 
映画のようにはいかなくとも      
僕らには理解者が必要だ            

ストレートな勧誘である。
”カナリヤが鳴く”というのは、実はあるサインということが調べてわかる。
キーワードは炭鉱のカナリヤ

カナリヤはその昔、鉱山での作業の際に毒ガスが発生すると
人間よりも早く、その毒ガスの影響を受けるため、毒ガス検知器としての
役割を担っていた。そこから経済悪化の前兆のことを炭鉱のカナリヤと
呼ぶようになった。
しかし勘違いしてはいけない。カナリヤが鳴かなくなった時
初めて毒ガスの存在がわかるため、カナリヤが鳴くというのは
危険や危機とは程遠いことを暗示しているのだと私は思う。

「映画のようにいかない」は、思い通りにいかないことを表している。



逃げようぜ、果ての果てへと        
破けそうな心臓の鼓動より速く    
汚された世界は捨ててしまえ        
闇を裂いて息を切らす            
僕らの逃走劇さ

そしてサビ。
破けそうな心臓の鼓動より速く」ってどんな道を歩んだら
そんなフレーズ思いつくんだろうと、感心と驚きでいっぱいです。

「汚された世界」はコラボした漫画『EVOL』の

だから僕達は、「世界」を殺す

というコンセプトに通ずるものを感じます。
果たして誰が世界を汚したのだろうか...





2番

正しさが人を殺して          
誰一人でさえ悲劇に気付かない    
狂ってんだよお前ら全部           
怒りに染まる赤い春を征こう     

行き過ぎた正義の様子が表現されている2番の出だし。
これはパノプティコンの1番に通ずる部分でもある。

時代を遡ってみてもこういった事例は多く、
例えば十字軍の遠征や魔女狩り、最近でいえばナチスドイツによる
ユダヤ人の迫害、日本でいうとコロナの自粛警察なんかも挙げられる。

「自分の行いは正しい」というバイアスがかかり、
それで傷ついている人のことを考えられない、つまり悲劇に気づかない。
「お前ら」という明確な相反する存在が現れる。

征く(ゆく)という字には、目的地に向かって進むという意味と
敵を倒しに行くという意味があります。ここでは後者だと思われる。

そして赤い春とはなんだろうか。
怒りって確かにイメージカラーで考えると赤ですよね。
だとしたら春は何を表すのか🤔

試しに「赤い春」と検索してみたものの、
とあるバンドの楽曲と本のタイトルだったので、
多分何かのメタファーと予想。
赤いは血、春は始まりと考えるなら、
革命の暗示かもしれません。



温もりに飢え、ぼろぼろになってしまった僕らを共犯者と呼ぼう                  
目の前の全部燃やしてしまえばいい        

率直な感想としては、虐待を受けた子供を想像した。
温もりに飢える⇨愛情を注がれなかった。
ボロボロになる⇨身体的にも精神的にも捉えられる。

僕ら共犯者はもしかしたら異端、普通とは違う人たちなのかもね。
目の前の全部は「世界」のことかと。



逃げようぜ、果ての果てへと
破けそうな心臓の鼓動より速く
汚された世界は捨ててしまえ
闇を裂いて息を切らす
僕らの逃走劇さ

燃える街を眺めていた                
僕らを赦せるのは僕らだけだ          
立ち込める暗雲が頭を支配していく        
僕らを衝き動かすように               

世界というのは身近な社会、詰まるところ””というわけだった。
赦すという言葉は自由になる方の許すとはまた違い、
罰や責任を免除する方の意味で使われる文字であります。

つまりお前らに赦す赦さないを決める権利はないってこと?

立ち込める暗雲とは先行きが見えないということ。
≒不安かもしれません。

僕らをやる気にさせるように不安が募る
それだと自暴自棄な感じが...

いや、待てよ?
お前ら=普通の人だとするなら、僕ら=共犯者は普通とは違う。
不安になって神頼みするようなお前らとは違う、ってことを表してるのか!?


逃げようぜ、果ての果てへと
壊された未来を置き去りにして   
永遠に思えた夜の闇                
あの満月さえ振りほどく 
僕らの逃走劇さ

壊された未来は辿るかもしれなかった一つの可能性。
永遠に思えた夜の闇は、周辺の環境、境遇なんかを指すだろう。
そんな境遇でも一筋の光があるかもしれないが、それも振り解く。


どこまでも行ける気がしていた  
水平線の先を目指す    
僕らの逃走劇さ

これが最後の歌詞。
「していた」っていうところを見ると、消して望ましいではないのだろう。
多分EVOLの作品紹介の一文「希望は死に、夢は潰えた」の部分を
出したのかもしれない。しかしその中でも、僕らは水平線の先の
どこか自分たちの居場所を探しに行くのだろう。































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