リーゼント矢板(やいた)の【学ラン22年組】

リーゼント・学ラン・モノづくりのブログ

【リーゼントの歴史】〜何故、紳士のヘアスタイルから、不良の髪型へ変化していったのか〜

2022-09-12 | リーゼント
こんにちは。

リーゼント・学ラン歴 21年目(2022年現在)リーゼント矢板(やいた)です。


この夏、遂に私の『リーゼント・学ラン』歴も20年を超え21年目となりましたゆえ、リーゼントに纏わる思い出話をつらつらと書いて来ました。




その中で、
「リーゼントは元々、イギリス紳士のヘアスタイルであった」
とお話しさせて頂きました。

「へぇ〜そうなんだぁ〜」と驚かれた方もいらっしゃるでしょう。
そして勘のいい人はさらに、


「じゃあ何で今は不良の髪型になっちゃったの?」


という疑問を持たれたのではないでしょうか?




今回はリーゼントが何故「紳士の髪型から、不良の髪型に」なっていったのか?
についてリーゼントの歴史を振り返りながらご説明いたします。




1930年代 イギリス

リーゼントは1930年代にイギリスのロンドンで誕生しました。

紳士の国だけあり、髪型はピッチリ横分けヘアーをしていました。

この横分けの髪を分け目から下に撫で下すのではなく、サイドの髪を後ろへ流してセットするという新しいヘアスタイルが生まれました。この時にできる髪の毛の曲線が、ロンドンの大通りリーゼントストリートのカーブと似ているというところから、リーゼントスタイルという名称がつきました。
また分け目から真横に撫で下ろすのではなく、後方に流すことで、自然と前髪部分が少し立ち上がるというか、持ち上がります。



こうして当時の最新のイギリス紳士のヘアスタイルとしてリーゼントは誕生しました。




1930年代 日本

イギリスの最新流行としてリーゼントが日本にも上陸してきました。
日本人の髪質はイギリス人に比べ硬いため、セットする時に粘りの強いポマードを使わないとセット出来なかったそうです。このポマードが一回の床屋代よりも高かったため、当初リーゼントヘアーは日本でもお金持ちのオシャレさんの髪型でした。
やがて、1941年に太平洋戦争に突入し、贅沢が禁じられ、日本では紳士スタイルのリーゼントは消えてしまいました。




1940年代 アメリカ

こちらでも戦争の時代に入り、人々はモノの節約を強いられていました。
それに反発する貧しい若者が、わざと生地をたっぷり使い、肩パットモリモリ、ブカブカのスーツとズボンズート・スーツを着て反抗心を示していました。そんな彼らがサイドの髪を後方へ撫でつけるリーゼントスタイルをやっていたのです。


こうして紳士のヘアスタイルから、反骨心のあるアウトローの髪型へと少しづつシフトしていきました。

また彼らはこのヘアスタイルの後頭部へ持っていった両サイドの髪が重なった形がアヒルの尻尾に似ていることから、「ダックス・テイル(ダックテイル)」独自の呼び方をする様になりました。


こうして同じ一つの髪型が
イギリス紳士の髪型=リーゼント
アメリカのズート・スーツの若者=ダックス・テイル(リーゼント)として定着していきます。




1940年代(後半) 日本

第二次世界大戦が終わり、日本には多くのアメリカ文化が流れ込んできました
その一つとしてダックス・テイルもあった。1930年代に紳士スタイルとして日本にやってきたリーゼント。同じ髪型が、当時より少しフロントが盛り上がった形でダックス・テイルがとして再上陸。ダックス・テイル(アメリカ風リーゼント)は貧しく反骨心があった若者のヘアスタイルとして、30年代のリーゼントとはニュアンスが少し変わって日本に帰ってきたのです。このアメリカ風になったダックス・テイルは日本では区別されることなく「リーゼント」という呼び名で、派手なアメリカ文化に憧れる若者を中心に広まっていった。




1950年代 イギリス

イギリスには20世紀初頭のエドワード7世の時代から、エドガーディアン・ルックという伝統的なファッションが元々あったのですが、

エドガーディアン・ルック

40年代のアメリカのズート・スーツスタイルに刺激を受けたロンドンの若者たち。エドガーディアン・ルックを極端に誇張した独自のスタイルを確立しました。足にピッタリの細身のズボン、ウエストが絞られ裾の長めのジャケット。そして髪型もズート・スーツ・ボーイの影響から、フロントを高めにしたリーゼントをしていました。彼らはテディー・ボーイ(テッズ)スタイルと呼ばれるようになったのです。


テディー・ボーイはズート・スーツボーイと同じく、最下層
の目立ちたがりの少年たちが多く、リーゼントを生んだイギリスでもリーゼントは貧しく若いアウトローのヘアースタイルとして変わっていきました。




1950年代 アメリカ

第二次世界大戦により大国となったアメリカ。若者でもお金を持っており、物質的には豊かであったが、精神的に満たされるものがありませんでした。刺激やカッコいいものを求めた若者満たされず反抗心を抱く若者が行きつく先は、いつの時代も世間や大人が悪いと思う『不良性』のあるモノでした。

その一つに「黒人文化」がありました。黒人文化の音楽R&B(リズム&ブルース)をカッコイイと思う白人の若者たちがあらわれ、R&Bの音楽に合わせて踊る奴らは体を揺すったり、回して踊っていました。この揺する(ROCK)・回す(ROLL)ロック・アンド・ロール」という言葉も生まれます。こうして白人ミュージシャンがR&Bを演奏したり、白人音楽のC&W(カントリー&ウエスタン)と黒人音楽のR&Bを取り入れた音楽なども誕生しました。そして56年にエルビス・プレスリーが登場!



R&Bの影響を受け、体をロック(揺する)ロール(回す)しながら歌い踊るエルビスのヘアスタイルはリーゼント。若者たちはエルビスに熱狂するが、白人のエルビスが黒人音楽をやる事、またロック&ロールの踊りの腰使いが(若者はセクシーととらえたが)「卑猥だ」と大人からは大ヒンシュク。
こういった側面からもロックン・ロール、リーゼントは大人が理解できない『不良の文化』と繋がってしまったのです。




黒人文化とリーゼント

黒人は白人から強い差別を受け長い間虐げられていました。彼らの多くは貧しく、心も荒んでしまい、まさにアウトロー。反抗心も強かった。そんな彼らのオシャレをする手段は少なく、髪型をいじるくらい。そこでチリチリの髪の毛を潤滑油のグリースの様な脂で、白人のように伸ばして撫でつけ、頭頂部はチリチリという独自のスタイルを編み出しました。



この独自のオシャレ感覚をまたカッコイイ!と若い白人がマネしだしたりもしました。日本の80年代のグリグリにパーマをあてたリーゼントは、この黒人のスタイルが近いかも知れません。



この様に黒人文化からの『不良性』みたいなモノも、【リーゼント=不良】の図式に少なからず影響を与えていたのではないでしょうか。





このように、
元々イギリスの紳士のヘアスタイルとして始まったリーゼントは、

アメリカの『ズート・スーツボーイ』
イギリスの『テディー・ボーイ』
黒人文化


などの様々な側面から、貧しく反骨心のある若者の髪型へと徐々にシフトしていき、現在のリーゼント=不良イメージへと変化していったのです。



(終)


今回語った内容は、私が過去に参加したイベントでも解説をしています。
よろしければ、こちらの動画も合わせてご覧になって下さい。





⚡️夜露死苦⚡️

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『リーゼント』というものについての定義というか、私の考え

2022-09-11 | リーゼント
こんにちは。

リーゼント・学ラン歴 21年目(2022年現在)リーゼント矢板(やいた)です。


この夏、遂に私の『リーゼント・学ラン』歴も、21年目となりましたゆえ、リーゼントに纏わる思い出話をつらつらと書いて来ました。
↓↓↓

  

そしてせっかくなので、この機会に『リーゼント』というものについて定義というか、私の考えをここに書き留めておこうかと思います。


まず皆さんに見て頂きたいのが、こちらの画像です。




皆さん、ツイッターなどのSNSやネットの記事で、この様な画像を見た事がある方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?
リーゼントと言われ、まず第一にイメージするこの前頭部の部分。


しかし、実はこの部分は違う名称であった!
そして、サイドの部分が実はリーゼントであった

という、今までのイメージを覆されたショッキングな内容!
図解により直感的に印象に残る手口。
そしてこの意外性・驚きを共感したいという気持ちを煽られた多くの人々により、瞬く間にネットに広がっていき、今ではプロの美容師もテンプレートのようにブログでこの内容を紹介している人もいました。


しかし、

私はこの画像と説明に対して警鐘を鳴らしたい!
この言い回しは極端で誤解を招き、少々乱暴である!と。

では、この説明が間違っているのか?
と問われれば、50点というところである。必ずしも間違っているとは言えない分、見る人が『勘違いするな』『誤解を招いてしまうな』と余計にモヤモヤするのである。

では、なぜモヤっているのか?どこが誤解を招きやすいのか?を解説していこう!


リーゼントの始まり

まずリーゼントがどの様にして生まれたのかについて説明しよう。
不良やヤンキーのヘアスタイルという印象のリーゼントヘアーであるが、そもそもはイギリスの紳士のヘアースタイルだったのである。

時は1930年代。ロンドンの床屋で生まれたと言われている。
紳士のヘアースタイルというと

【紳士】=ピシッと整えられた横分けスタイル

の印象がおありではなかろうか?



紳士のヘアスタイルとして定番であった、それまでの横分けにした髪を下に降ろすのではなく、分けたサイドの髪を後ろへ流すスタイルリーゼントスタイルと呼ぶ様になったのである。

※「リーゼント」という呼び方はこのヘアスタイルが生み出す髪の毛の曲線が、ロンドンのRsgent St.(リーゼントストリート)のカーブに似ている所からきているという。


ここで図に戻ってみよう。



前述の通り『リーゼントはこの(サイドの)部分』と言い切るより、
リーゼントとは、『元々、横分けした髪をサイドからバックへ流すスタイルがリーゼントの始まりというのが正しい説明である。


モヤっているポイントはココだけではない!
前頭部の『ポンパドール』という記述についてである。



ポンパドール

この髪型の由来はフランスのルイ15世の、ポンパドール夫人の名前から来ているとされている。
 
 
 
※ついでに言うと、ポンパドール夫人自身は、現在「ポンパドール」と認識されているヘアスタイルは『していなかった』らしい。いわゆる前髪を盛り上げ、高さを出した髪型は、ポンパドール夫人が生きた時代には、一度廃れて流行っておらず、巻き髪をオールバックの様に後ろに流した髪型をしていたという。いわゆる一般的なイメージに近い『ポンパドールスタイル』が最も盛んでボリューム的にも盛り上がっていたのは、その後のマリーアントワネットの時代である。

ポンパドール夫人


マリーアントワネット


『ポンパドール』と『リーゼント』これらはそれぞれ『ヘアースタイルの名称』である。その両者が一つの髪型に存在しているのは不自然ではないか?

「もみあげ」という髪型はない。
「襟足」という髪型もない。
「生え際」という髪型もない。

何故ならこれらは『髪型』ではなく、頭髪の『パーツ(部分)』を表す名称だからである。

では『リーゼント』は?
『ポンパドール』は?

そう『髪型』である。頭髪の『パーツ』ではない


よって、「ここはリーゼント。ここはポンパドール。」とふたつのヘアースタイル(髪型)がひとつの髪型の中に内在しているのはおかしいのである。
呼び名を変え、パーツの様に扱うのは両者のヘアスタイルに失礼だしナンセンスである。


さらにわかりやすく、皆さんの感性に訴えかけるとしよう。
仮に、前頭部のボリュームなある部分を「ポンパドール」。
サイドからバックを「リーゼント」とした場合、あなたは次の画像を見て、
どちらがリーゼントだと思うであろうか?



左側は、

まさにサイドをビッタリ撫で付け、後ろに流しているが、頭頂部がハゲあがっている。

かたや、
右側は

「リーゼント」とされているサイドの部分は刈り上げており、前頭部の「ポンパドール」と呼ばれる部分は立派なボリュームを蓄えている

果たしてこの画像を見て、サイドを後ろへ撫で付けた左側の髪型を「リーゼント」と言われて、あなたは、本当に納得出来るのだろうか?



確かにリーゼントの起源は、横分けのサイドの髪を後ろに流すスタイルが『始まり』ではあった。が、ひとつの髪型にふたつのヘアスタイルの名前が存在しているのはナンセンスであり、トータルでひとつのヘアスタイルなのである。

横分けを後ろに持っていくと、どうしても前髪部分は少し立ち上がった形でセットされてしまうし、ボリュームを抑えてペッタリ撫で付けるよりも、多少前髪を立ち上がらせた方がセットとして自然であるし、髪型としても美しい。


その前髪が様々な時代と歴史を経て、現在ボリュームを増してきたのである。


よって、
前頭部もサイドも全て含めて『リーゼントヘアー』
と呼ぶべきなのである。



なんとなく私が主張したいことは理解していただけただろうか?
今後は、この様な画像を見たり、ワケ知り顔で「リーゼントって実は……」なんて語られそうになったら、言ってやろう。

「それは100%正しい答えではないね!」と。




では次回は、

元々イギリス紳士のヘアスタイルだったモノが、今は何故不良のヘアスタイルという印象になってしまったのか?

についてご説明するとしよう。



今回語った内容は、私が過去に参加したイベントでも解説をしています。
よろしければ、こちらの動画も合わせてご覧になって下さい。




続く



⚡️夜露死苦⚡️

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【リーゼント・学ラン歴】 21年目に突入!〜あの頃の思い出・番外編〜

2022-09-10 | リーゼント
こんにちは。

リーゼント・学ラン歴 21年目(2022年現在)リーゼント矢板(やいた)です。


この夏、遂に私の『リーゼント・学ラン』歴も20年を超え21年目となりましたゆえ、リーゼントに纏わる思い出話の今回は番外編。


第1回↓↓↓
第2回↓↓↓
第3回↓↓↓
第4回↓↓↓

リーゼントパーマを当ててから、私のリーゼントは理想にグッと近づいた。それでも納得できる仕上がりには至らず、修行の様に日々独学による練習を続け、技術も大きく発展していった。


そして20年以上リーゼントを続け、今やイベントでお客さんのヘアースタイルをリーゼントにセットさせてもらったり、雑誌やテレビで取り上げて頂ける様にもなった。

仕事もずっとリーゼントが維持できる様、「髪型自由」の裏方の仕事ばかり続けてきた。


リーゼントを続ける理由はあっても、辞める理由もなく、世界で一番カッコイイヘアスタイルと信じて疑わなかった。一生続けていくと思っていた。




しかし、ここで告白しなければならない事が1つあった。




そう、21年リーゼントを続けて来たが、
ただの一度だけリーゼントヘアーでは無い時期があったのだ。



時は2003年。

高校を卒業し、小学校からの夢である『お笑い芸人』を志し活動を始めていた頃である。

この年の夏、あの憧れの氣志團が、地元・木更津で凱旋野外ライブ『氣志團万博』を開催すると発表があった。そしてこの開催に向けて、一般からバックダンサーの募集が行われた。

履歴書を送ると、一次審査を通過しのオーディション審査への案内が届いたのである。
ダンス審査があるため「動きやすい格好で」という事で、なぜか背中に『偽』墨汁でしたためた柔道着を着用し、オーディションへ参加。

見事バックダンサーのオーディションに合格したのである!

後日談として、審査員の方の話や、当時團長のラジオで語られたいたのは、「氣志團が何組できるんだ?」というくらい、気合の入ったリーゼントの出願者がいたものの、オーディションへ通過した中にリーゼントは私ただ一人。そして私が選ばれた理由として「矢板はものスゴイ天才か、ものすごいバカのどちらかだ!」という振り切った個性を履歴書から発していた様である。
この頃、オーディションから万博本番まで一連の様子を『情熱大陸』が密着しており、テレビや、後に販売されるDVDの特典映像に収録されている。


情熱大陸より

 


そして、無事に氣志團万博は終了したのだが、その後も何度かこのバックダンサー達にお声がかかり、同じステージで共演させて頂いた。
代々木体育館・幕張メッセ・日本武道館。



そして、2003年のクリスマスに氣志團がバラエティー特番をやる事になり、エキストラとしてこの時も声をかけて頂いたのだが、この時だけ『参加条件』というものが設けられていた。


リーゼントパンチパーマで参加できる方』


この時のバックダンサーには前述の通り、リーゼントは私ただ一人。
なので、この撮影に参加したバックダンサー仲間は、各々パンチパーマ、リーゼント、鬼の様な剃り込みの坊主頭と、イカツイ姿で参加していた。

当然、私はいつも通りのヘアスタイルで参加条件を満たしていた。
しかしここで心に微かな疑問が残っていた。


「条件を満たしているからと言って、私だけいつも通りの格好でいいのか?」
「このチャンスを逃したら、多分一生パンチパーマはできないぞ?」


そこで私はリーゼントパーマをお願いした床屋へおもむき、
「パンチパーマにして下さい!」
とオーダーしたのである。


この頃、ちょうど高校を卒業し運転免許を取得中だった(思えばオーディションの待機中も教本を読んでいたのを思い出した!)ので、初めての免許証の写真はパンチパーマである。




そして、収録当日、皆自前の衣装を用意して来たが、何人か番組側で用意した衣装に着替える様に指示が出て、私も別室で着替えをしていた。

そこに、氣志團の團長、綾小路氏が別のシーンを録り終えて着替えに戻って来たのである!


その時團長にかけてもらった言葉を私は忘れないだろう。


おう、お前はリーゼントで良かったのに。
またやれよな!リーゼント!

私はこの言葉で、憧れの人物に、憧れて日々鍛錬していた自分のアースタイルを認めてもらえた様な気がした。
そして、「一生リーゼントを続ける」という気持ちをより一層強く心に決めた瞬間であった。


それ以降はまた髪を伸ばし、理想のリーゼントを追い求めて、とうとう21年という年月が経ち、そして今もなお、『一生リーゼントを続ける』という気持ちは変わらないのである。


【リーゼント・学ラン歴】 21年目に突入!〜あの頃の思い出・シリーズ〜
【完】

また次回のブログも、
⚡️夜露死苦⚡️

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【リーゼント・学ラン歴】 21年目に突入!〜あの頃の思い出④〜

2022-09-09 | リーゼント
こんにちは。

リーゼント・学ラン歴 21年目(2022年現在)リーゼント矢板(やいた)です。


この夏、遂に私の『リーゼント・学ラン』歴も20年を超え21年目となりましたゆえ、リーゼントに纏わる思い出話の第4弾。


前々々回↓↓↓
前々回↓↓↓
前回↓↓↓

リーゼント・学ランのロックバンド、氣志團との出会いにより、理想のリーゼント像が明確になった。



高2の冬に氣志團のメイジャーデビューを知り、何となく心の奥にあった疑惑が確信となったのだ。


理想のリーゼントにはパーマが必要だ! と。



ストレートヘアーのリーゼントに限界を、パーマのリーゼントに可能性を感じた私は、髪の毛が伸びるを待った。

そして、高3の夏。初めてパーマをあてることにした。
近所にある馴染みの床屋へ氣志團のミニポスターを持っていき、
「この人と同じリーゼントにしたいので、パーマを当てて下さい。」と。

軽くセットまでしてもらった。
理想のリーゼントとは違ったが、後は自分でセットし直せば良い。
ドキドキしながら帰宅し、セットしてみた。

まだまだ髪の毛の長さが足りなかったり、セットに慣れない部分はあるものの、これまでとは明らかに違った。

パーマがかかっている事で、ボリュームが出やすくなっている!

この日をキッカケに、デキはまだまだ納得出来るモノでは無いものの、しかしこれまでに比べ大きく理想に近づいた。

この夏を私の中で『リーゼント元年』と制定して、ここから私のリーゼント歴を刻むこととしたのだ。


卒業アルバムの写真より


続く


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【リーゼント・学ラン歴】 21年目に突入!〜あの頃の思い出③〜

2022-09-08 | リーゼント
こんにちは。

リーゼント・学ラン歴 21年目(2022年現在)リーゼント矢板(やいた)です。


この夏、遂に私の『リーゼント・学ラン』歴も20年を超え21年目となりましたゆえ、リーゼントに纏わる思い出話の第3弾。


前々回↓↓↓
前回↓↓↓


初めての整髪料を色々試しながら、リーゼントヘアーを試行錯誤していた。参考になるまともな資料もなく、周りにリーゼントをする人間も皆無。理想のリーゼントには程遠い毎日。そんな中、遂に運命の出会いが!


中学から試行錯誤を続け、高校2年の冬にある新聞の記事を目にした。


2001年10月30日(報知新聞)
氣志團「ヤンクス」と呼んで


そこには長ランにリーゼント姿の男の写真。
ツッパリファッションのバンドがVHSでデビューするという内容の記事。


「な、何なんだ、この人たちは?」


僕はこのVHSのメイジャーデビュー作品の発売日を心待ちにした。
リーゼントの新たな参考資料になるかも知れない!この目で確かめるしかない!


そして発売日。恵比寿の新星堂でVHS作品を購入し、自宅で再生開始。

衝撃的だった!

今までマンガの平面でしか見てこなかったヘアスタイルをそのまんま再現している人達がそこにいた!ロカビリーでもない、オールバックでもない、正に理想のスタイルのリーゼントだった。


しかも音楽もメチャメチャかっこいい。
巧みに演出・編集されたVHSの内容に、意味不明の次回予告。
多くのクエスチョンを残し、ますます「こいつら一体何なんだ!?」と気になって気になって、一気にハマってしまった。


それからは学校から帰宅したら、毎日の様に繰り返し繰り返し再生した。


そこで導き出した1つの答え、それは、


「俺の理想のリーゼントにはパーマを当てるしかない!」




続く


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