晴れたり曇ったり

夫のステージⅣ 切除不能進行食道癌の闘病記録と旅立ちからの日々

決心

2017年06月30日 | 旦那の旅立ちからの日々
今日は、快晴でいよいよ夏がくるかと半袖の服をダンボールから出してみた。

先ほど、粉骨業者さんが来てくれて
旦那のお骨を預け明日には、粉骨にして届けてくれることになりました。
ネットで顔も見ない業者に依頼するのは嫌だったので
札幌市内で安く粉骨してくださるところを探して直接お願いしました。

桐の箱に入れてもらうことと少しだけキーホルダーに入れてもらうようにお願いしました。
「父さん、明日までちょっと寂しいけど我慢しようね」


ずっと迷っていました。

年末に引っ越してきたこの部屋。
旦那の為に買ったコタツ、空気清浄機、加湿器、厚手の絨毯。
通院するのに寒いだろうと買ったダウンコート。

凍った道、雪の中待ったバス亭。
帰り道に見上げた冬の空。
病院にいる旦那を思い泣きながら見た月。

その全てを思い出すこの土地で冬を迎えることができるだろうか・・と。

この家に越してきてからの旦那の病状は、みるみる悪くなったと思えてならない。
別のところに引越ししようか・・。
お金もかかることだから慎重に考えなくては・・。

どこに住もうか。
札幌のほうが仕事には恵まれている。

母親が入居してる特別養護老人施設のある実家のあった町に戻ろうか。
札幌育ちの旦那は、札幌を離れて寂しがるだろうか。

何が一番ベストなのか・・と考え続けていました。

一時は、札幌市内の別のところに引っ越して仕事をしていこうと思い
派遣会社の登録をして紹介された会社に面接にも数回行き
7月10日からの仕事を始めることにも内定しました。

ですが・・何度もバスに乗ったりJRで都心へ行き来する度バスやJRの中から見る景色。
旦那が放射線治療に通ったバス亭。
入院して旅立った病院。
一緒に散歩した道。
買い物したお店。

何を見ても旦那とのことを思い出すものばかりで涙を必死にこらえるのが精一杯の私です。
こんなんじゃ札幌のどこに住んだって思い出す。
この街には、旦那との27年間が詰まっているのだから・・
その中で一人暮らしていくのは辛すぎる・・と。

今日やっと決心がつきました。
ここを引き払い実家のあった町に暮らして
旦那の供養をしながら母親を少しでも近くで見守ろうと決めました。

目標や目的が決るとあとはそれに向かって進んでいくだけなので
気持ちがちょっとだけ晴れやかになった気分です。


狂った10年

2017年06月19日 | 旦那の旅立ちからの日々
ここ数日、風は強いけど洗濯日和の良いお天気の札幌です。

明後日は、旦那の四十九日です。
早いものでと言いたいところだけど私にとっては毎日がとてもゆっくりと進んでいるので
四十九日までとても長く感じていました。

納骨もしないし、身内と言っても近くに居なかったりなので
人を呼んで法要する予定もありません。

新聞のお悔やみ欄を見てなのか営業DMが毎日のように送られてきています。
親族の多いところなら法要を行わないわけにもいかず費用をかけてするのでしょうね。

インコのピッピは、元気に育っています。
旦那に線香をあげるときは合わせた手の指に乗ってジーッと静かにして遺影を見ているので
何となくわかるのかな?と不思議な気持ちになります。

まだ言葉は覚えてませんが私の姿が見えなくなると啼くので
とってもとっても愛おしく思えます。

旦那の同級生のHさんから「どうしてますか?落ち着きましたか?」と数日前に電話がきました。
義父からも数回、心配の電話がきています。
隣に住むおばちゃんは、窓を開けていると声をかけてくれます。

こんな時、ほんとうの人間性というのがわかるものですね。

自分は・・?と考えると
今までなんと薄情なことばかりしてきてしまったか申し訳なく思うばかり。

お義母さんが亡くなったあと隣に義父が住んでて仏壇があったせいもあるが
お花やお供えもせずロクに供養もしなかった。

ベランダに出て空を見るのが好きだった旦那は
「母さん、今日は満月だよ」「母さん、今雷が光ったぞ!」なんて言って
PCの前から離れない私に声を掛けてくれてたのに私はそれを無視していた。

引篭りになってから買出しもゴミ出しも全て旦那がやってくれていた。
私は朝まで起きてるのが当たり前のような生活で昼間は、ほぼ寝てた。
どうかすれば仕事から帰って来た旦那に起こされる日もあった。

毎日「今日は何時に起きた?」旦那に聞かれ
「3時ごろかなぁ」「今日は早く起きたよ。お昼に!」なんて言ってる始末。

着の身着のままソファーで寝ることも普通にあった。
着替えることもお風呂に入ることも面倒だった。

当然、化粧することもないし、おしゃれもしない。
葬儀の時、化粧品がみな10年以上使ってないものしか無くて
アイシャドウのパフは劣化して使うとポロポロと崩れてしまった。
見かねた友人のFが試供品の化粧品を持ってきてくれて代用した。

私がすることと言えば最低限の掃除洗濯と夕食の支度だけ。
朝昼は、各自で食べていた。

家庭の中で妻や母が役目を放棄しちゃったら崩壊するよね。
いつ何もかも壊れていいと思っていた。
いつ死んでもいいと思っていた。

私の中の何かが狂ってしまった10年だった。

だから今はもう同じ繰り返しは出来ない。
毎日、散歩したり自転車に乗って出かけて足腰を動かして
頑張って10年分の運動をしないといけない。

今日もこれから腰のリハビリに行って来ます。


浅い眠り

2017年06月12日 | 旦那の旅立ちからの日々
夜中にトイレに起きてから今までの思い出が次々と頭に浮かび出し
涙が止まらなくなってしまった。

どうして横に父さんは寝てないんだろう。
どうして私は一人真夜中に泣いているんだろう。

この胸の痛みはいつになったら消えてくれるんだろう。
この寂しさからいつになれば開放されるんだろう。

どうして・・なんで・・と
どうにもならない自問自答の繰り返し。

何日経っても涙は枯れず
眠りの浅い日々は続いていくのか。


暖かくなってくると外で焼肉している家族や
カレーのいい匂いがしてくる家。

そんなもん、私にはもう無縁なんだと
わかってるよ・・
わかったから・・見せ付けないでくれ。

私の手料理を褒めてくれた父さんは、もういない。
一緒に食べる人もいないから冷蔵庫は、いつも空っぽ。
私の心のように空っぽ。

私の実家はもう無い。
旦那のいるところが私の居場所だったのに・・
もう居場所もなくなったよ。

それでも・・
生きて生きて生き抜いてやれと言うのか。

この切なさや苦しみを背負い
生きてみろと言うのか。

誰の為に生きればいいのだ。
何の為に生きろというのだ。

街は春の日差しを浴びて輝いている。
ショーウィンドウ越しに背中を丸くして歩く自分を見た。

違うんだ。
もう私は別世界の人間なんだと痛感する。

この世で一番不幸な人になったと錯覚するほど
塞ぎこむ気持ちを抑えられない。

このまま泣いて泣いて泣き暮らしたら・・
可哀そうだからって迎えにきてくれないのかな。
父さん・・



誕生日と初めての月命日

2017年06月04日 | 旦那の旅立ちからの日々
生きていれば今日は旦那の69歳の誕生日。
そして初めての月命日。

旦那が旅立ってから1ヶ月過ぎたんだな・・と改めて思うと
息を引き取る間際のことが思い出されて涙がこぼれます。

1年前のブログを読み直してみました。
友人と誕生日祝いをする予定でいたのが前日ギョウザを詰まらせてしんどかったようで
お祝い中止の連絡入れたこと思い出した。

その2日前には、同級生が牛タン屋に誘ってくれて4枚食べたと喜んでいたブログでした。
日によって詰まらずスムーズに食べられる日とダメな日があったんだな~と
今なら1年間の闘病生活で理解できることも当時は詰まらせる度
ハラハラ、ヒヤヒヤ、重苦しい空気になる我が家でした。

1回目の抗がん剤投与終わったばかりだったけど
まだ体調は良くて短時間の仕事を請け負って働いていた旦那。

薬の効果があって食事もそこそこ通るようになっていたから
このまま上手く行けば・・なんて希望を胸いっぱいに抱えていた。

なのになんで・・たった1年で・・どうして・・と思わずにいられない。

それでも旦那は、いつも前向きだった。
車椅子で病院内を散歩していいよとK先生に言われて行った時の事
最後の入院で歩くこともできない状態になっているのに
「運動しないと本当に歩けなくなる」と言って車椅子に座りながら足踏みしていたのを思い出した。

もう一度立ちあがって歩く日の為に頑張っていたんだね。

二度目に散歩した時には車椅子に座っていることも辛かったみたいで
10分も経ってないのに「疲れたからもう病室に戻る」と足踏みすることもなく戻った。
あれが亡くなる2・3週間ほど前だったろうか・・

今日は、何だか色々なことを思い出す日になっちゃった。

「ただいま~」と笑顔でドアを開けて帰ってくるような錯覚を起こしそうになる。
「母さんの好きなパン買ってきたよ~」
「母さんのマッサージする時用のクッション買ってきたぞ」
「母さんのデブの元・・ケーキだ」
いつも私の為にと・・優しかったことしか思い出さない。

生きていれば69歳だね。
誕生日おめでとう。父さん。

いつも思っててくれてありがとう。


供養もいろいろ

2017年06月01日 | 旦那の旅立ちからの日々
今日は一日雨が降ったり止んだりでしたが夜になってからは、ずっと降り続けています。
ようやく暖かくなってきたと思ったら再びストーブ点火。

インコのピッピも寒いのか、やたらとケージを出たがり私の肩に乗りたがります。
ここで甘やかしてはいかん・・と思い聞こえないふりをしています。
決った時間にだけケージから出すようにしないとだめみたいです。

初めての月命日6月4日が旦那の誕生日なのです。
好きだった焼き鳥でもお供えしようかな、なんて思ってます。
仏教的には、四十九日まで殺生することは良くないとかで魚肉を食べないらしいけど
今の時代、そんなにこだわる人は少ないようですね。

四十九日といえば、そろそろ納骨かな・・って思ってましたが
お義母さんのいるお墓が遠く車で行かないと不便なので
義父が納骨堂にしたらどうだ?と言ってくれました。

色々ネットで調べてみると
納骨の時期というのに決まりは無いらしく
遺族の気持ちが落ち着くまで手元に置いておいてもいいそうです。

ただ、遺骨のまま何年も置いておくとなると衛生面などの問題も出てくるようです。

粉骨して頂くとお骨は、きれいに消毒除菌してくださり
そのまま手元に置いて供養することもできて
いつ納骨するにも問題なく、散骨も可能。

粉骨にして自宅に小さなお墓を置くこともできるようです。
最近は、樹木葬というのも人気があるらしいです。

色々調べて考えてみましたが
今は、まだ旦那の遺骨を側に置いておきたい。

納骨するにしても手元供養にするにしても散骨や樹木葬にしてもいいように
ひとまず粉骨して置いておこうという気持ちが固まっています。

もうひとつ調べてみたところ
遺骨をアクセサリーにして身につけることもできるようです。

私たち夫婦は、再婚同士だったこともあり
結婚式はもちろん結納などもしなかったので婚約指輪や結婚指輪もありませんでした。
なので遺骨の一部を指輪にして身につけたいな・・なんて考えも浮かんでいます。

今はまだお骨になってしまったけれど
旦那は、デーンと「ここにいるぞ」と言ってるようで安心します。
でも納骨してしまうと旦那が側に居なくなってしまうようでたまらないのです。

もう少しゆっくりと考えてどうするか決めようと思います。