晴れたり曇ったり

夫のステージⅣ 切除不能進行食道癌の闘病記録と旅立ちからの日々

このツンデレちゃん欲しいです。

2017年05月29日 | 旦那の旅立ちからの日々
昨日でライラック祭りは終わりましたがまだまだ見ごろな札幌です。

土曜日は、雨降りだったので自転車に乗れず
バスで札幌ファクトリーのペットショップを見に行ってきました。

ワンコやニャンコを見ながら癒されて
昔飼っていたシマリスもいて懐かしさで見入ってしまいました。

丁度、店員さんがセキセイインコのヒナにエサを与えているところを見て
小さじに乗せたエサをついばむヒナたちの可愛いこと・・。

以前も小鳥を飼おうと旦那と違うペットショップを見にいったことがありますが(以前のブログにも書いてるけど)
その時は、小鳥が多すぎたせいなのかお店の中が鳴き声でうるさく感じて
旦那は「こんなにうるさいのか・・」と尻込み。
「たぶんヒナが多いせいだと思うよ」と私が言ってみたものの
「俺、外から見てるわ」とお店を出ていってしまったんです。

結局、迷いすぎて決められず
「飼おうと思えばいつでも飼えるんだから焦らないで次に来た時にしたら?」と旦那に言われて
「それもそうだね」と見るだけで帰ってきたのですが
当時、体調も段々悪くなっている頃だったので
私の頭の中には、実際に飼うとなると家を空けることになったら・・という考えがよぎり
もう少し暖かくなって旦那の体調が良くなってからにしようと思ったのでした。

それから2週間もしないで旦那は、今年1回目の入院をすることになったので
飼ってたら後悔することになっていたと思います。

今回、何がなんでも飼うって意気込んで行ったわけじゃないのだけど
エサをもらってから、くちばしを拭くのに店員さんが捕まえようとすると
逃げ回るセキセイインコのヒナを見て思わず笑ってしまい
店員さんが「ツンデレなんですよね~」と笑いながら教えてくれたインコに一目ぼれ。

「このツンデレちゃん欲しいです!」とついに言ってしまった。

雨だし寒いし長くバスに揺られていくのも可哀そうなのでタクシーで帰宅。
店員さんは、タクシー乗り場まで荷物全部持って見送ってくれました。

初日から手に乗ってエサを食べてくれて感激。

ケージは、旦那の祭壇の横に置いているので旦那と一緒に眺めることができます。
「一羽だとうるさくないでしょ~?」
「言葉を覚えてくれたらいいよね~」なんて話しかけています。

なんと言っても「おかえり」を覚えさせようと私は必死に話しかけていますが・・
さてさて覚えてくれるかどうか。

何か食べるにも一人じゃ作ることもしなくなり
これじゃだめだと思いながらもやる気が起きなくて
パンやお弁当、カップメンの日々でした。

でもヒナ用のエサを作るのにお湯を沸かして、ふやかす間に自分の食事を作って
エサをあげてから自分も食事するってリズムができてきています。


ねぇ父さん
少しずつだけど前を向いてきたでしょう?
泣いてばかりじゃ心配するもんね。

インコのピッピが家族になったよ。
誕生日が4月のいつかわからないので
好きな日に決めてって言われたんで
父さんが「今日はずっといてくれな」って言った日、28日に決めたよ。

ずっとね、父さんといっぱい話してたこと思い出そうとしてるんだけど
なぜだか全然思い出せないんだ・・。
唯一はっきりと覚えてるのがその言葉だけなんだよ。

だからそれだけは、忘れないようにピッピの誕生日にしたからね。
私と一緒に見守っていてね。



思い出の帰り道

2017年05月26日 | 旦那の旅立ちからの日々
旦那の入院中、帰りにいつも寄っていたコンビニの従業員の人が
「いつもありがとうございます」と声をかけてくれていた。

そのうち
「いつも遅い時間に来られますがお仕事ですか?」と聞かれ
「旦那が入院してるので病院の帰りなんです」と答えると
「あらら・・そうなんですか。知らずに余計なこと聞いてすいません。早く良くなるといいですね」と言った。

それ以上言うつもりは無かったのに「早く良くなるといいですね」という言葉に反応しちゃったのか
つい・・
「末期癌でもう長くないんです。亡くなっちゃったらここに寄ることもなくなるかもしれないです」と言ってしまった。

さらに従業員の人は、申し訳ないという表情に変わり
「なんと言っていいのか・・本当にすいません」と言った。

私のような年配の女が毎日遅い時間に朝食用のパンや夜食を買いに行くのが珍しかったのでしょうね。
毎日うつむき加減で辛そうに買い物してたのかもしれない。
きっと不思議に思って聞いてきたんだと思った。

その翌日の朝、病院から電話が入り
容態が良くないので私は病院に泊まり込み。
それきりコンビニへ行くことは無くなってしまった。

旦那が亡くなってしばらく経ってから、ずっと気になっていた。

あの従業員の人は、余計な詮索をしてしまって避けられてしまったんじゃないかと
今頃、後悔していないだろうか・・とね。
私もそこまで言わなくていいことを言ってしまったと後悔していた。

なので昨夜、話した従業員の人が出勤してることを祈りつつ、そのコンビニへ行って来た。

私の顔を見るなり
「お久しぶりです。この前はほんとうに申し訳ありませんでした」と謝ってきた。

ああ・・相当気にしていたんだと思い
「ずっと来れなくてすいません。声を掛けてくれた翌日から容態が悪くなり旦那が亡くなってしまい来ることも無くなってしまったんです」
「もしかして余計なこと聞いたと後悔してるんじゃないかと思って顔を出してみました」

そう一気に伝えると従業員の人は、今にも泣きそうに顔をくしゃくしゃにしながら
「大変だったんですね。お悔やみ申し上げます。わざわざ伝えにきてくれてありがとうございます」
「本当に余計なことを聞いてしまったと後悔してました」と気持ちを教えてくれて頭を下げた。

私は
「最初から末期癌で余命宣告も受けてて、今回の入院で退院できないことも知ってたし
ここに寄れなくなったのもあなたのせいじゃないので気にしないで下さいね」と気丈に言ってみた。
「毎日精神的にも肉体的にも疲れていた時だったので、つい私も誰かに病気のこと言ってしまいたかったのかもしれません」
「私こそ余計な気遣いをさせるようなこと言ってしまって後悔してました。ごめんなさいね」と謝った。

コンビニからの帰り道
まだ雪が積もっていた頃の歩道を泣きながら歩いていたことを思い出して同じように泣きながら帰って来た。
でもこの道に私が頑張ってきた思い出があるんだと改めて感じた。


誰が悪いわけじゃない。
誰のせいでもない。

誰かを悪者にしたり誰かのせいにするのは自分だけ楽になりたいからだ。

私は誰も恨まない。
私は何も憎まない。

父さんは、無邪気な天使のようになって旅立ったのだから
汚してはいけないんだ。

悲しみや寂しさは消えないけれど
父さんを最後まで看取れた事、自分で自分を褒めてあげたいと思う。




太陽だったり太陽みたいな人だったり

2017年05月26日 | 旦那の旅立ちからの日々
旦那の旅立ちから20日が過ぎました。
でもまだ20日なの・・?って思うほどずっとずっと前のような気がしています。

昨日のことのように思い出すとコメント頂いた方もいるのに
私、おかしいのかな~って考えちゃいました。

旦那の顔や声も旦那と話したことも薄れていくんです。
ブログを読み直して、あぁ・・そういえば・・と思い出したり
記憶がどんどん曖昧になってしまってる気がします。

ま・・まさか・・認知症のはじまりとかって・・ないよねぇ。

旦那の闘病中は、きっと、いっぱいいっぱいの精神状態だったから
色々な事を頭に残す余裕も無かったのかなって思います。

そんなわけで何だか眠れずにブログを更新しています。

24日に近所の整形外科を受診して昨日から腰に電気と針とマッサージのリハビリ開始です。

膝の痛みなんですが・・膝に変形も無く減ってもおらず
単に運動不足で筋力の低下が原因だろうから毎日、散歩をしなさいと言われました。
40代前半に膝に注射してた時は、変形性膝関節症と診断されてたのに・・なんでやねん??って感じでした。

小指の第一関節の変形はレントゲンを撮るまでもないヘバーデン結節で遺伝からくるものだということ。
現代医学での治療法は無く、他の指にも起こる可能性あり
変形の進行が止まれば痛みは消えるが変形した関節は変形したままということでした。

腰については、ヘルニア持ちなのでリハビリでしばらく様子を見ることになりました。
痛み止めの飲み薬だけ処方する病院よりは、ちょっとましかな。

やっと自分の身体を何とかせねば・・という気になりまして一歩前進した気分です。


リハビリのあとJRに乗って札幌駅に向かいエスタでお菓子の詰め合わせを2つ買いJ病院へ行きました。

本当は、入院費の精算をする時、挨拶に行こうと思っていたのですが
旦那が亡くなって日も浅かったので、旦那の入院していた病室を見るのは、辛すぎて
精算だけして、日を改めようと逃げるように帰ってきていたのです。

昨日は、勇気を出して病院へ向かったものの・・
旦那が入院していた個室の窓が見えると涙がこぼれました。

病棟のナースステーションには、ちょうど看護師長さんがいたので挨拶をしてきました。
「病室見ると思い出すでしょう?」と聞かれ
「そうですね・・」と答えるうちに泣いてしまった。
師長さんも目に涙を浮かべて背中をトントンと叩いて撫でてくれました。

外来へ行くと病室まで見舞ってくれた看護師さんの一人がちょうど居て
私の姿を見つけると名前を呼んで駆け寄ってくれました。

「来てくれたってことは少しは、気持ちも落ち着いたのかな?」と言われ
「いや・・病室見たらやっぱり泣いてしまったわ」と言うと
「うんうん、泣いていいんだよ。泣いたほうがいいんだよ。まだまだ涙は枯れないはずだよ」と言って
泣いている私の背中を擦ってくれていました。

病院を出て空を見上げると涙で濡れたまつげに夕陽が当たり光ってた。
こうして泣いては、お日様に照らされて涙も乾いていくんだな・・と思った。

そのお日様ってのは、太陽だったり
太陽みたいな人だったり
なんだろな。


ねぇ 父さん

2017年05月17日 | 旦那の旅立ちからの日々
今日で二七日(ふたなのか)です。

旦那の二人の息子の住所を書いたメモをやっと見つけ昨夜、手紙を書きました。
いいお天気だったので買ったばかりの自転車に初めて乗って郵便局へ寄ったり
結婚した当時、住んでいたことのあるアパートを見に行ってきました。

このアパートからスタートした結婚生活。
もう20年以上なるので回りの建物は、かなり変わっていて
更に1Fのところがカラオケ喫茶のようになっていたので一瞬わからなかったです。

が・・自転車に乗るのは何十年ぶり。
若い頃と違ってバランス感覚が鈍っているというのか
なかなか上手く乗りこなせず苦戦。

しかもデコボコの振動が腰にひびきます。
膝も思うほど軽快に動いてくれません。
運動不足を実感。

帰り道で狭い歩道は、走りにくいので道路を走っていたら
車が来たので縁石に近く走ろうと思い近づけるとバランスを崩して転倒。

膝に激痛。
あちこちぶつけたらしく、しばらく立ち上がれない。
何とか起き上がり、散乱した荷物を積んで必死に自転車を押して帰宅。
ズボンを脱ぐと膝が擦りむけて、すねが青く腫れあがってた。

旦那の遺影に「ただいま」と言いながら膝小僧を見せて
「転んじゃったよ~」「痛い~」と叫んだ。
明日は、筋肉痛も出てくるだろうなぁ。

旦那が居たならきっと「そそっかしいなぁ」と笑っただろうな。
でも遺影は、何も語らず。
どんなに泣き叫んでも返事は、返って来ない。

一人で生きていくってことは、こういうことなんだなと日を追うごとに感じる。


ねぇ父さん
父さんは、寂しくないの?

一人でも頑張ろうと思ってるけど上手くいかないよ。
寝て起きて、ご飯食べてまた寝るだけで楽しいこともないよ。
話す相手が居ないのは苦しいよ。
早く私を迎えにきてよ。

結婚したら死ぬ時も一緒だったらいいのにな。
一人死ぬも、一人残されるのも辛いもの。

ねぇ父さん
何か答えてよ・・ねぇ。

ねぇ父さん
夢に出てきてよ・・ねぇ。





旅立ちから10日が過ぎました

2017年05月15日 | 旦那の旅立ちからの日々
旦那が旅立ってから10日が過ぎました。

役所の手続きや申請、公共料金の名義変更に支払い
お礼状や携帯電話の解約などもほぼ終わった。

役所へ印鑑証明カードと健康保険証の返却、名義変更手続きに行こうとした朝。
郵便受けに黄色い大きな旦那宛の封筒が届いた。
年金改革法で受給資格が不足していて年金を受け取れなかった旦那も8月までに申請すれば
10月から年金を受け取れるというもの。

旦那は、自営業だった時期があり当時は、国民年金の支払い義務があったけど生活に追われて払っておらず
40代後半になってから会社勤めをして20年近く厚生年金を給料から天引きされていた。
が、その時点では、定年延長で65歳まで働いても25年に足りないので年金は、もらえない。

もらえないとわかっている年金なのに毎月給料からは、引かれてしまう理不尽さに
旦那は、よく憤慨していて払った分だけでも返してくれたらいいのにと言っていた。
それが、受給期間短縮法案のお陰でもらえると喜んでいた。

でも・・
その前に旦那は、亡くなってしまった・・。


区役所の年金課へ行くと厚生年金を掛けていたので、もしかすると遺族に一時金が出るかもしれないが
ここでは、わからないので社会保険事務所へ行ってみて下さいと言われた。

翌日、社会保険事務所へ行くと遺族年金も一時金も出ないということだった。
年金窓口の対応してくれた女性は、申し訳ないという表情で言いながら
PCの画面を見て「ご主人、何度も相談に来られてますね。昨年6月にも遺族年金の相談にいらしてますね」と教えてくれた。

えっ・・去年の5月に食道癌と診断されたあとのことだ・・。
遺族年金って・・残された私の心配してたんだ・・。

一瞬にして私は相談窓口で涙をボロボロこぼして泣いてしまった。

そして年金がもらえると嬉しそうに言ってた旦那のことを思い出した。
あと3ヶ月生きてたらもらえたんだよね。
皮肉にも亡くなって手続きに行く朝に書類が届くなんて・・神様を恨みたくなった。


家に帰ってから旦那に「心配してくれてたんだね・・ありがとう」と手を合わせた。
それで苦しくても頑張ってたのかな。

年金や健康保険って相互扶助のはずなのにちっとも助けてくれないんだね。
一時金くらい払ってくれたってバチ当たらないと思うわ。
そう言いながら旦那の遺影の前でわんわん泣いた。


夜は、眠れているほうです。
食事もしっかり食べています。

ただ・・ほんのちょっとしたキッカケで旦那のことを思い出し泣いてしまう。
まだまだ涙は、枯れそうにないですね。