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改め演劇ごとごと

劇団『共倒.』の計画公開ページだった。現在は募集や告知など。

高校演劇の大会になぜか役者として出る(二回目)

2006年02月09日 | 徒然書きこみ

はてさて。
劇団のほうでも練習が進み。
高校と劇団両方の劇発表が間近なだけあって、
いきなりテンパリ気味な楽静です。

ああ、高校の演劇発表2006年3月25日に決定しました。
場所は相鉄本多劇場
あの、下北沢にある本多劇場とは月とすっぽんな大きさの小劇場です。
だけどスタッフさんはいい人だし、やれること多いし、
映画館の中にあるにしては、とってもほんわかした面白い劇場だと思います。
まぁ、各線の横浜駅から徒歩3分くらいですから。
来られる人は是非見に来て見てください。
時間は17:30より。開場は10分前。
だけど、その日は12時くらいから他の高校も劇をやっております。
高校生の発表なので無料です。でも、金取れる芝居見せるつもりです。
そしてなぜか私も出ます(苦笑)まぁ、今の所ですけどね

前に書いたことがあるかもしれませんが、あくまで高校演劇ですので、
高校生のお客さんが主体と思って劇を作っています(実際そうだし)
これで高校生が楽しめなかったら最悪ってな事で
自らにプレッシャーをかけてみたり。でもまぁ、演じる生徒達が
皆やる気たっぷりなので大丈夫でしょう。
いつも見に来てくれている人にはおなじみですが
舞台セットは皆無に等しいです(苦笑)で、今回も無駄に衣装に凝ってます。

季節は春。
出会いと別れの季節が来るころ。
大切な友人と別れなければいけない少女の下に
小さな奇跡が訪れる――

それは起こるわけのない物語です。
だけど、信じてみたくなる物語です。
卒業や受験や入学や就職や、
そんな一切の岐路を前にした四月が始まる数日前に、
どうか一緒に夢を見てみませんか?
奇跡はココにあって。
軌跡は個々に始まる。


なんてね♪


一月になりました。

2006年01月26日 | 徒然書きこみ

気がつけばもう2006年
HPで日記を書いているせいで、どうもブログがおざなりになりがちです。
まぁ、適度に書いていくことにします。
今年もよろしくお願いします。

今年のこのブログでの目標は、
なんか高校演劇用の脚本の書き方みたいなものでも書いてみようかなぁと
チラッと思っています。やっぱり、高校演劇は創作が強いですから。
というより、高校演劇をせっかくやっているのなら
がんばって創作してほしいというのが正直な気持ちだったりします。

もともと、楽静も高校生のとき先輩から
「書いてみ」といわれて書いたのが始まりでした。
で、同じ事を後輩にやろうとしたら「書けない」「思いつかない」と言われ、
それでも書かせてみると、途中までしか書けなかったり……
(私の台本の中で言うと「生と死」のオープニング抜かした 
 屋上シーンの耳ピアス話まではもともと後輩の考えた話でした。)

案は浮かぶものの、どう形にしていいか当方にくれてしまったり
「ナツミさんの憂鬱」なんかがそうです)

とにかく出来ないものはしょうがないとばかりに代わりに書いているうちに
作品ばかりが異様に増えていたり……
おかげで上演許可願いをいただくことも多くなりましたが、
やっぱり基本は創作をしてもらいたいなという気持ちがあります。

だって、本来なら創作のほうが自由にやりたいことを何でも出来るわけですから。
例えば「お姫様になりたい」とか「魔法使いたい」とか「死神ラブ」とか、
そんな役者の願いやわがままを叶えることが出来るのが創作の強み。


 まぁ、書く人間は苦労します。それは仕方ないですよね。
満足がいかなければ書き直すしかないんだし。
かく言う楽静の場合は、例えば今度春に行われる高校生の大会のために、
シナリオ案段階で1本。台本段階で書き下ろし1本没になっています。
劇団TABASUKOの方なんて、
シナリオ段階で2本。台本段階では書き下ろし2本没になっていますから。

それはまだまだ自分も勉強不足で良いものが書けないって言うのもありますが、
自分がやりたいことと、役者達がやりたいことがうまくすりあわない結果
起こることでもあります。

まぁ、なんにしろやってみないとわからない♪
ぜひ、高校生の皆さんは自分達にしか出来ないような作品を書いてみてください。
もちろん私の台本がいいと言っていただければ嬉しいです。
その場合も、皆さんにしか出来ないような舞台になるよう
心より応援させてもらいます。


限られた時の中での演劇部活動が、
皆さんにとって素敵なものであることを2006年も楽静は祈り続けております。


無駄にブログを更新してみる。

2005年12月29日 | 徒然書きこみ
年末!それは切ない響きと年をとる悲しみを持った淡い言葉(笑)
なんと言うか、ドラ○もんで言えば『まったくもう君ってやつは』というお決まりの台詞を彷彿させる……のはきっと私だけでしょう。
さて、楽静にとって12月は一番やる気が下がっている月です(苦笑)HPの更新は滞るわ、台本は進まないわ、日記は書けないわ、お腹は空かないわ、眠くて仕方ないわ、とっても駄目人間な気がしながら日々を生きています。その12月も後三日♪万歳!!
……年末最後を飾るようにす○家でのバイトが待っていますがね(-.-;)

なんとか乗りきって無事に新年を向かえたいものです。
今年も皆様お世話になりましたm(_ _)m是非是非これからもよろしくお願いします(≧▽≦)ノ

高校演劇の演劇。

2005年10月19日 | 徒然書きこみ
楽静は高校の演劇部も見ております。
というより私の演劇人生は高校演劇と共に、今の所成長しています。
高校演劇とは何か?
演劇とは何か?
それは同次元ではとても語れない物のような気がします。
とある高校演劇の審査の時、審査員がこんな事を言っていたときがあります。
「高校演劇もプロの演劇もあるのは上手いか下手かだけだ。
 高校生だからとか、プロだとかそんな違いはない」
まぁ、その人は単純に「だから、限界を決めずに頑張りましょう」って言いたかったんだと思います。けれど楽静はその前に「はぁ?」と思ってしまったために結論を聞く心の余裕はありませんでした。

高校演劇とプロの演劇は当然違います。
この二つを違う物にしている原因は色々あるとは思いますが、今の所二つは違います。高校演劇なんてって思う人間の方がプロには多いため「同じにしてくれるな」ってほうが実感だとは思いますが。
この違いは真剣さであるとか、態度であるとか、そういう精神論だけではなく、対象としている客層も違うわけです。「児童文学も小説もあるのは上手いか下手かだけだ」なんて乱暴な事を言っているのと同じなわけです。ジャンルが違う。
まぁ、高校演劇自体今は様々なジャンルがあるわけで、そこで一番を決めようなんて乱暴な事をやっているんだから、こんな高校演劇もプロも同じ的な乱暴な意見が出てしまうのかもしれませんが。

では、プロの演劇とは違うという高校演劇とはなにか。
これは客層を見ればわかります。児童文学が児童に読まれることを主体にかかれた文学であるのならば、高校演劇の客はまさに高校生。時たま中学生も現われますが、大半は高校生と、その親である事は間違いありません。つまり、高校生を対象とした芝居が高校演劇であるわけです。

時たま勘違いしている人がいます。「高校演劇って、なんか青臭いことやっているんでしょう? 高校生が。だからいやだな」そんな人はきっと「高校演劇」と言う響の中に、「中学生日記」や「教室劇」みたいなものを感じてしまったのかもしれません。
高校生が見たがりますかそんなもん。高校生が見たいものが高校演劇なんだから、青臭いとは限らないでしょ。そう声を大にして言いたいところですが、思いこみは中々消えず。
高校演劇は廃れる一歩なのでした。

また、演じる高校生の中にも「高校生が見る」という事を勘違いしている人が居たりします。これは顧問のせいなのかなぁと、舞台を見るたび残念に思うばかりです。
見る人の事を少し考えるだけで、舞台はぐんと変わります。このことはプロの演劇でも変わりませんが、高校演劇の相手は高校生。同年代なのだから、プロよりずっと有利なはず。

そう思って舞台を見ては、結構ため息が多い最近なのでした。


演劇とお金。

2005年10月16日 | 徒然書きこみ
演劇をやるにはお金がかかる。これは当たり前の事実です。
実際楽静が「共倒れ」という劇団で公演をしたとき、
二日公演でぎりぎりまで経費を落としても20万以上かかりました。
演劇をやるにはお金がかかる。これは当たり前のことです。
ので、結果としてお金が無い楽静は
今自分が主宰として立ち回って劇を作ることが出来ないでいます(汗)
その代わり友達が主宰をやっている劇団TABASUKOさんに何とか
もぐりこませてもらって演劇をやっているけど。

劇団TABASUKOのHPはこちら

やっぱり、そこでもお金の問題って出てくるもので。
やっぱり演劇とお金って切り離せないんだなぁ。なんて思ったり。

自分が演劇をするためにあなたはどこまで使うことが出来ますか?
さすがに楽静は年二回公演をやると考えた場合、
一回公演にいきなり20万ぽんと出せる人間ではありません。
せいぜい10万が限度です。まぁ、それも生活切り詰めてやっとですけど。
でも、人によっては5万までだったり。3万までだったり。
それこそお金を払えない人もいるわけで。
そういう人を「金が無いなら演劇やるな」と冷たく扱うことは私には出来ません。
いいよって言っちゃいます。
だってその人にとっての1万円は、もしかしたら私にとっての
10万円なのかもしれないのだから。
貨幣価値は等価ですけど、その貨幣にこめられた気持ちは決して等価にはなりません。だから私にとってはがんばって出したお金であるなら1万円も10万円も同じものだと思います。……が、それでは演劇はできないわけで(苦笑)
この気持ちと実際の狭間で楽静は今日も悩むのでした。

まぁ、お金をかけないようにって考えればいくらでも可能なんですよね。
小屋を公共施設にしてみたり。
練習場所を屋外にしてみたり。
衣装や小道具を自前にしたり。
でもお客様からもらうお金もぎりぎりに抑えたいから、
そうやって支出をいくら抑えても結局いたちごっこで終わってしまう。
本当。演劇ってのは難しいものです。

あ、でも別にお客様からの収入を抑えるのはボランティア精神からではありません。お金はいただきます。こちらの支出を打ち消してぎりぎりプラスにするくらいには(失敗したけど)ただ、できるだけ多くの人に気軽に見てもらうことが私の中で演劇の前提にあるため料金は抑え目にしたいだけです。特に中学生や高校生。演劇をこれから作っていく、もしくは作っている子に演劇って自由なんだってことをもっともっと伝えたい。そのためには映画に勝たなければと楽静は考えます。
映画の料金は1000円で学生なら見ることが出来ます。その料金に勝つ。
……まぁ、あまりにも無謀ですけどね(涙)

そんなことで今日も楽静はバイトに追われながらも、
なんとかお金を工面してまた劇をやる日を夢見るのでした。
……まじめに働こうかなぁ(笑)