最近いろいろあった。
自分が病気になったり、身内が病に倒れたり。
自分の病気について、相談して初めて相手も持病かかえてた事に気づいたり。
子どもの頃は病気知らずで、肩凝りすらなかったのに(笑)
クーラーがんがんつけて、風呂上がりにその部屋で髪も乾かさずに靴下も履かずに薄着で居て、体壊した事なんて一回もなかったのになぁ。
高校3年生のとき、書かないと暗記しにくくなって、その時に初めて老いってモノを知って… 自分だけ?!って思ってたら、そうでもなくて(笑)
大学生になってからは風邪が治りにくくなってきて、徹夜で勉強するのがしんどくなってきて。
自分の盛大すぎる不摂生も祟ったけど。
そしたら、まさか、自分が病気になった。
っていっても、大したことはないんだけど(^^;)
大学で知り合ったとってもとっても大切な人も、かつての不摂生で大病患ったらしい。
私も、きっとその大切な人も、そうなる1日前までは元気にしてたはず。前兆はあったかもしれないけど。
なんか、年重ねるごとに老いを感じるのは凄い寂しいし悔しい(笑)
まだ若いのにって思う(笑)
でも、人って順々に老いていくよね、やっぱり。
昨日の深夜、祖母が亡くなった。
去年から肝臓がんに蝕まれてたけど、数ヶ月前まではほんとに癌患者?ってくらいに元気だった。
朝に起きるのは辛そうやったけど、それでも起きてデイサービスに出掛けて、帰ってきたら子どもの様に「ただいまー!」とか無駄にでっかい声出して、よいしょよいしょ、って言いながら一生懸命階段登って部屋に入ってきた。
いい年してるくせに、食べるのも大好きで、若者顔負け?ってほど食べて(笑)
負けん気強くて、自分の洗濯物は自分でしてた時期もあった。
恋愛の話になるともう楽しそうで楽しそうで(笑)
なんか色んな話教えてもらったよw
妙にハイカラなくせに、堅物で(笑)
強烈にワガママで、意地悪で、体裁ものすごく大事にするのに真逆な事言うし(笑)
ものすごく癖の強い人だったのに憎めなくて
でも、ほんとにほんとに、人にたいして優しい人だった。人が喜ぶことが好きで、身内にはとことん幸せになってほしい、だから厳しいこと言ったりもする。
自分は我慢して人に喜んでもらうこともしてた。
そんな人がさあ、1ヶ月前のある日突然、あっ…!って変な悲鳴上げて、それから自力で動けなくなった。
喋れなくもなった。居ればずっと口開いてた人が。手すら動かせなくて。大好きな食べることもできなくなった。
ほぼ毎日お見舞いにいって、手をさすってあげたりして、少し喋れたり、笑顔になったり、回復してきたから、大丈夫かなって安心してた自分が物凄く馬鹿やと今思う。
半月くらいお見舞いに行かなかった。
そしたら、
親からいきなり連絡きて、今夜がやまって。
別の場所に居て、行けなくて。
朝一で行こうとして、起きた瞬間知らせが。
6日にお見舞い行くか悩んで行かなかった。
お見舞いの土産話に岡山の旅行の話するつもりやったのに。
こんな形で話することになるとはね
生きてるうちにいろいろ話したかったなあ。
人ってさあ、老若男女問わない、ほんとにね、いつなにがあるのか分からない。
「まあいいや」
「今は大丈夫だろう」
「自分はまだ若いから」
「今日はめんどくさいし」
「自分は大丈夫」
「今日できるけど明日でええや」
そんな理由で人生は待ってもくれないし、そんな理由を受け入れてもくれないのやなあ。
待ってくれたら、きっと私はもう一度ばーちゃんと話ができてた。
受け入れてくれてたら、今自分は病気になってない。
今一度、みんなも考えてみてください。
ほんと。何となくでもいいから。
人は老若男女問わず、元気な内に悔いのないように大切にしてあげて。
寝たきりになってからでは、してあげれることが激減する。亡くなってからでは、全くなくなる。
その人が、大事な人であるほど後悔は強くなる。後悔は、未来でもすることはできるけど、過去は変えられません。
自分が「する」のは、後悔なのか、それとも大切にするという行動なのか。
自分に関しては、若さにかまけず自分の体力と相談して物事行って。
これくらいいけるってーとか楽観主義になって、命落としてしまったり、病気になったり、少なからず自分にもその可能性があるってことを。
私は、ばーちゃんの死を通して、遅いかもしれないけど痛いほど学んだ。
簡単には言うけど、実現するには難しいことかもしれない。でも、やってみる価値は何よりもあると思う。