goo blog サービス終了のお知らせ 

人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

経済的な「数字」が精神を押し潰す【ニート後遺症との闘病】2

2016年01月07日 | 闘病記
経済的な「数字」が精神を押し潰す【ニート後遺症との闘病】2

時間的な「数字」だけではない。経済的な「数字」が精神を押し潰す。
母の年金と合わせても、税金を払うと食費も残らない。なので一気に支払わずすこしずつ回す。その計算をすると血便が出る。どう考えてもいつになっても好転しないことが明らかなことが苦しい。三か月がんばって黒字になることが分かれば、それが一年でもいい、到達点があればがんばることはやぶさかではない。このままだと一年後も同じ。そして「年齢」だけ重ねる。体力が落ち続ける。年齢が上がると働ける場所も限られてくる。食事も食パンともやしと白米だけでは、空腹は満たせても栄養が不足する。なので仕事を探す。探しても見つからない。使ってもらえない。「数字」は残酷に、生活の悪化だけを指し示す。
母の双眸が暗く凹む。かくしゃく毅然とした母の様相が変わってしまった。変えてしまった。今だけなら「がんばろう」と言える。言い合いながら乗り越えられる。いつまでなのか。「数字」は残酷にも何もかもを明らかにし精神を切り刻み押し潰す。そのくせ、いつまでがんばれば人並みに戻れるのか、その「数字」だけは一向に提示してくれない。してくれないという言い方が「甘え」だ。自業自得で、その「数字」が提示されない人生になっている。それが分かるから経済的な「数字」を観ると、震えてくる。
それでも、取らぬ狸の…をやる。机上の空論をやる。どこでどう使うかを計算して、なんとか整合性をとって少しだけ安堵する。仕事の面接を受けることでその後の収入を計算して、少しだけ安堵する。そうしなければ、潰れる。
恢復に向かっている、とは思えない。対症療法、というと聞こえばかりがいい、つまりは誤魔化しているだけ。それでもその誤魔化しが通用するうちに、繋いでいける仕事を見つければ、まだ、なんとか。

【ニート時代への憧れが抜けない】

【ニート後遺症との闘病】1

2016年01月06日 | 闘病記
【闘病】1

メンタルを強く持つしかない。そうとしか言えない。医者にかかれば何かしら治療方法があるのかもしれない。行政の窓口は概ね40歳までしか、この類の相談は受け付けていない。そのことにもまた精神を追い詰められてしまう。
「数字」と向かい合うようにした。楽に楽に。ただの羅列だと言い聞かせる。意味はないのだと。そして今日一日の意味を肯定的に考える。ニート時代はゼロだった収入が3000円も入ってくる。そこに否定的な考えが差し込まれる。同世代なら万を稼ぐ。一日四時間、単純労働ではスキルアップもなければキャリアにもならない。ただ時間を過ごしただけ。早くしっかりとした、八時間働けて長期勤めるメリットのある仕事を探さなくては、となる。それをネガティブな考えと言い切れないところが苦しい。考えの根本は、ポジティブとは言えないけれど、前向きではある。だから厄介。現状を好転させるために必死になればなるほど「数字」と向かい合うのが苦しくなる。「数字」を観るだけで吐きそうになる。めまいがする。だから敢えて気楽に「でもまあ半日でも汗を流して働くリハビリして、お金ももらえるのだから」と笑ってみる。その繰り返し。半年過ぎてしまった。足が震えた。それでも多少「数字」を観ることができるようには、なった。慣れではなく、耐え。相変わらず苦しい。こうして「数字」について書いていても喉の奥に空気の塊がせり上がってくる。

時間的な「数字」だけではない。経済的な「数字」が精神を押し潰す。

自殺願望に取りつかれる【発症】2

2016年01月06日 | 闘病記
自殺願望に取りつかれる【発症】2

そして、自殺願望に取りつかれる。
ニート時代には一切なかった、その意味さえ理解できなかった自殺願望。脱ニート後には頻繁に首をもたげてきた。それは「現実」と向き合ったことで「将来」に「絶望」したため。すべて自業自得。それは分かっている。分かっているからこそ「絶望」に「後悔」が上乗せされる。こうして文章を編んでいても、一文ごとに胃液が逆流してくる。
自分の行く末もそうだけれど、母をこの人生に巻き込んでしまった悔恨。母の余生をひどいものにしてしまった悔恨。何とかしなくてはと頑張るものの「現実」は厳しく何一つ好転しない。悪化のみ。特に経済的な悪化はひどく、家電は壊れ続け水道管は割れ、外壁は朽ちて落ちる。税金が食費まで持っていく。最愛の猫が亡くなった。その最期に当たっても最良の行動をしてやれなかった。
常に「死ぬことへの渇望」を抱えている。ニートを享受したのと同じメンタルだ。つまり「現実」との直面から逃げたいという。その前科があるからこそ、危険。絶対に自殺はしちゃダメだと思う。思えば思うほど、できたらどれだけ幸福だろうかという反動的欲求が生じる。

【闘病】

【発症】

2016年01月04日 | 闘病記
【発症】

ついに身体的な疾患が発症。恐らくメニエル。朝目覚めると、天井が大きく揺らいでいた。やがてぐるりと回り足の下にきた。深呼吸をしながら気持ちを整えゆっくりと起き上がる。次第に揺れが収まる。けれどもふとした瞬間、ぐらりとくる。それでも仕事には行かなくてはならない。
十七年一緒に暮らした愛猫が亡くなった。その翌日は気を張って外に出た。翌々日、天井が回った。仕事は単純で軽度な肉体労働なので気をしっかり持ちさえすればこなせる。ただしずっと頭が重い。動くたびに慣性に引っ張られて右へ左へと持っていかれる感覚。これまで以上に、常に嘔吐感に苛まされる。愛猫を思い涙が浮かぶ。それを忘れようとする意識がまためまいを加速させる。
恐らくと書いた。医者にかかる費用が出ない。だから「恐らく」。予防はできないし、治療もできない。病名も分からない。何が自分に起こっているかわからない。自業自得とはいえ、これもニートの後遺症。精神疾患や精神障害を発症しても重度になるまで分からず、何もできない。

そして、自殺願望に取りつかれる。

出口【動き出した時間或いはニート後遺症の詳細】6

2016年01月03日 | 闘病記
出口【動き出した時間或いはニート後遺症の詳細】6

出口
現時点での身体的に辛い、金銭的に辛いことは我慢できないこともない。ただ苦しいのは、その出口がないこと。いつまで耐えればいいのか。その正解がない。いや正解はある。死ぬまで。好転する兆しもなければ要素もないのだから、そうなる。
職についても同様。仕事が辛いのはいい。けれど、ひと月頑張っても身入りが少なく何も好転しない。むしろ、ひと月という時間が過ぎることで自分の再就職の条件がどんどん悪くなっていっている現状に、恐怖を感じる。年齢が上がり単純労働のバイトの期間だけが加算され、体力が落ちる。単純労働だから得られる技術もキャリアもない。貯金はない。焦る。せめて、収入があれば、せめて各種保険が常備されていれば、せめて何かしらの技術技能が習得できれば。どれもない。体を壊しでもして辞めてしまうと、全くのゼロ。死活問題、というけれど過剰な表現ではなく死が見えてしまう。

問題。
どうなることが自分にとって「出口」となるのか。
現在の俺にとっていえば、金銭的に安定してそれなりに上向きになること。若干弱っている体を壊すことなく老齢まで続けることのできる正社員職に就けること。
具体的にいえば最低限手取り13~5万は必要。それでもしばらくは横ばい。職でいえば、それなら三交代の工場でしっかりと働けとなるかもしれない。単純労働のバイトをしてみて体がもたない、気持ちがもたないと痛感した。それもまた甘えかもしれないとも思う。これだけ切迫しているのだからなんでもやれよと叱責されるかもしれない。それもよくわかるのだけど、一番思うのは、無理をする方向を間違えたら駄目だということ。脱ニートの際、それを間違えた。結果、数か月、たかだか四時間のバイトに振り回され嘔吐し続け、精神が不安定になり、慢性的な腹痛を抱えた。脆弱なのかもしれない。けれどそれも踏まえて自分が続けられる場所でなければいけない。体を壊して働けなくなると、ゼロ。体には精神も含まれる。そのバランスを欠かないようにと思うと、職がない。一番の問題は、これは許されない甘えなのか、加味してもいい弱さなのかが分からないこと。甘えだ、肉体労働でも夜勤でも早朝でもなんでもやれ、高収入の仕事ならたくさんあるぞ、とも思う。その勢いでやってみてダメだった場合、身体や精神に何らかの故障を負った場合、誰がどう責任を取るのかといえば、自分。そしてそのダメだった結果は自分のみならず母にもまき散らしてしまう。それを考えると、冷静な判断が必要。その冷静な判断に任せるといつまでも職が決まらない。バイト生活で先細る人生に恐怖するだけ。問題はそこにある。

【発症】