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人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

【元ニートの休日】バイトにいくしかない明日がつらい

2016年01月11日 | 闘病記
【元ニートの休日】バイトにいくしかない明日がつらい

そんな俺にもシフトによって休日がある。休日がつらい。一日過ぎると人生が悪化する。働けば小銭が入ってくる。何もしない、が一番苦しい。全く予定が入っていないと嘔吐してしまったりめまいを起こして倒れそうになるので、何かしら入れる努力をする。それ以前に時間があると、休日如何を問わず求人情報誌やネットの求人を開いて募集をみてチェックする。気になるところへ電話する。そのまま勢いで面接の約束をとりつけることができたら次の休日は面接日となるのでほっとする。ほっとはするものの、時間さえあれば求人広告をねめつける日々は息苦しい。かといってそれをやめても、することがない。本を読む、音楽を聞く、筋トレをする、絵を描く、ギターを弾く、どれをしていても焦燥感、罪悪感、虚無感に駆られて鬱鬱とする。そもそもする気にならない。
結果、割引食パン八枚切り53円を探しにスーパーをふらつく。
それでも休日が終わる夜には少々、仕事鬱になる。働くことが嫌なのではなくて、今のバイトを明日も続けなくてはいけないことがつらい。一年続けても何にもならない。家計が好転することもない。食費が回るくらいで、基本的には先細っていく。何かしらの技術が身に付くわけでもない。経歴として次に繋がることもない。スーパーで品出しと値引きをしていました。受発注はしていません。商品管理もしていません。事務も分かりません。接客はしていましたが、正式に研修等で習得したものではなくただの見よう見まねでした。だから一般的な社会人が使う接客用語も敬語も何一つ正確には使えません。収入・能力向上・経歴、何もない。続ければ続けるほど、年齢も上がり、より求職が厳しくなる。それを知るからバイトにいくしかない明日がつらい。

【安定的な職場を求める】

【脱ニート後、取り立てを経験する】

2016年01月10日 | 闘病記
【脱ニート後、取り立てを経験する】

2015年末。借金の取り立てを経験した。消費者金融等ではなく水道業者。水道管が破裂してやむなく工事をした。当初、3万程度という話だったけれどこういう工事はそれだけでは済まない。実際に掘り返してみると20~30は必要だといわれる。古い家に住んでおり幾度か別箇所の補修工事もしているのでそれが法外でないことは知っている。けれども現実的に支払えないので最低限の応急処置だけしてもらうことになった。それでも10万。生活費と税金に追われガス・電話・ネットを止められ、何とかそれらを支払えるよう収入を溶かし続けて年末。正直なところすっかり忘れていた。
トイレに入っている時にやってきた。呼び鈴を鳴らし倒した後、ものすごい大きな声で「ごめんください」を連呼しながら玄関、勝手口のドアを叩く。何のことだか分からなかった俺は胃袋を収縮させる。すぐに出るべきだったのだけど足が動かなかった。恐らく10分程度で引き上げてくれた。これが原因かどうか、見ると血便だった。
後日。また来訪。俺は不在だったため母が出た。同様に大声の「ごめんください」と家を一回りしながらあちらこちらのドアや窓を叩いて回っていたという。母は二階におり、二階には呼び鈴が届かない為、突然の騒ぎに何事かと仰天したそうだ。俺が電話を入れるということを告げ、その日は帰ってもらった。
年末。縁者に頼み込んで金を借りた。人生で初の借金だった。支払日。近所で葬式ができ、参列。20時過ぎには帰宅していると連絡しておいた。帰宅時刻は20時丁度となった。既に集金係の人は来ており、仁王立ち。母が「寒い中すみません、お葬式ができて…」と話しかけても無視される。何を話しても、俺もほぼ無視される形。金を渡し領収書をもらい玄関を出るまで「うん」「これ」のみだった。思えば「ご利用ありがとうございました」もなかった。集金に何度も足を運ばせた優良な客ではなかったから立腹されていたのだろうけれど、10万の金を集金にきて「うん」と「これ」だけというのはさすがにどうかとも思う。
一方で、借金取りというのはこういうものなのだなとも。
これでその水道業者とも切れたと思うと気分が楽にはなった。
借金は少しずつ返していく。

【脱ニート後、漫画や映画に触らなくなった】

2016年01月10日 | 闘病記
【脱ニート後、漫画や映画に触らなくなった】

ニート時代、部屋には漫画と本、DVD、CDの山脈ができていた。ただのヒマつぶしといえた。これは、逃避。「現実」から漫画の世界に逃げ込んでいた。だから脱ニート後は、触らなくなった。足しげく通っていた本屋に行かなくなった。行く気がしない。
数カ月して、久しぶりになじみの本屋に行ってみた。いきなり胃袋がきしみ嘔吐しそうになった。目が回り嫌な汗をかき、本棚に手をついた。「逃避」だけではなかった。漫画やDVDは「楽しかったニート時代」「後悔の塊のニート時代」の象徴だった。だから触りたくなかった。連綿と読み続けた長編大作の続きが気にならなくなったのも、そのせい。それを読むと思い出す。だらりと横になって真昼から「大冒険」に出ていた時代を。
これは乗り越えるべきか否か。
解消する方法は多分、知っている。安定した仕事に就いて、その仕事にある程度慣れること。そうやって初めて漫画は「逃避の道具」から「娯楽」へと戻ってくれる。分かってはいてもその「安定した仕事」がない。毎日、求人広告を漁る。その時間がまた、精神を痛めつける。結局、この一点で堂々巡り。
そして思い返す。「ニート」とは「時間を止めてしまった」者ではなかったのか。今また、職がない状況から動けない。アルバイトをしているので完全な「ニート」ではないけれど、とはいえ再び「時間が動かない」状態に突入してしまうのか。そんな思いに取りつかれそうになり、頭を振る。「時間が動かない」ではない、「状況が動かない」だけだ。「時間」が動いていることは「ニート」時代とは違ってはっきりと自覚している。だから余計に病む。「時間は動いているのに、そうしてどんどんいろいろなものがダメになっていく、間に合わなくなっていくのに、状況が何も変わらない」。この現実に即した感覚は、内臓をえぐる。

【休日】

「人生」に踏み出したくない【ニート時代への憧れが抜けない】2

2016年01月09日 | 闘病記
【ニート時代への憧れが抜けない】2

「人生」に踏み出したくない。
これに尽きる。俺は多分、中途半端に「人生」を始めてしまった。先に記すけれど、これは言い訳ではなく分析。同じようなタイプも少なくないだろうと踏んで、分析してみた。
家族四人で一戸建てに暮らしていたところ、祖父の逝去に伴い、小学校五年生で父の実家に引っ越してきた。叔父との同居が始まり大きな確執も始まった。父が帰ってくることをよしと思わなかった他の縁者とも確執があった。「大人」は立派なものではなくなった。「子供」同様、詰り合い罵り合い殴り合って喧嘩した。「家」ではよく怒号が飛び交った。母が泣いていた。中学入学直前に父が倒れ半身不随となった。父は順調だった仕事を全て失い会社から何の保証もなく放り出され、買い集めていた株も全て処分した。自由にならない足を引きながら印鑑の飛び込み営業、学習塾、果ては工場内の鉄くず拾いまで、やった。最終的に夜勤ながら高収入の職に就き定年まで頑張ってくれた。一方で元々の頑固で直情的な性格が全面に出たのか「家」では、暴れた。幼い時はよく殴られたが、倒れた後はモノが飛んできた。居間のガラスは常に一枚二枚ひび割れ、俺の部屋のドアにもビール瓶で開けられた穴があった。母も働いてくれた。荒れる父に追われまともな場所で眠ったことがない時期が長く続いた。「家」では当たり前のように十割主婦をこなし「外」には「家」のできごとを持ちださなかった。父が荒れ部屋中がガラスまみれ・みそ汁まみれになり、それを明け方まで片付けても「安定した普通の家庭」の人として出勤していた。やがて、父の暴走を抑えたり母のの愚痴を聞くことが俺の立ち位置となってきた。これは俺のズルさだった。そういう立ち位置を取ることでゴタゴタに巻き込まれない「他人ごと」に仕立て上げていたからだ。
俺は、よくあるといえばよくあるこの環境下、母同様「家」がどうであれ「外」では普通に振る舞った。そういう事情を周囲が知ったり自分が話したりすると「外」まで「家」の延長になってしまう。学校に行っている間は「普通の学生」でいたかった。それだけのことだ。
生活すること、金を稼ぐこと、「人生」がいきなり壊れること、その周囲の人たち、諸々。それを若い俺は垣間見ながら生きてきた。するならがっちりと参加してしまえばよかった。アルバイトをするなり定時制高校に入って働くなり。ただ、観ていた。バラ色ではない「人生」の一側面に小学校の高学年から中途半端に触れ続けた結果、「人生」に対しての希望が失われていった。音楽をかじった時はほんの一時期、華やかな音楽業界に憧れたりもしたけれど自分の能力を踏まえた現実を把握しその道から早々に撤退した。
「人生」「家庭」「家」に、相応な期待や希望を持てなくなっていた。だからそれらが一番大きく切り離された大学時代は俺の「人生」の中で一番楽しく、だからその時期をずっと続けたいと願い、本来「願い」で終わるはずのそれを、実行してしまった。それが俺の「ニート化」の一因。
また、もっと直接的な一因を上げるなら大学卒業を前に「当たり前に就職してしまったら、何も変わらないこの人生が延長されてしまう」という恐怖に近い強迫観念もあった。そこに、克服し切れなかった幼稚な万能感が入り込み「俺は何かができる特別な人間だ」と無根拠に思いこみ、正確には思いこもうとして、就職活動をしないまま大学を卒業した。
最初に添えた通り、言い訳じみて責任転嫁じみて聞こえるかもしれないけれどこれは分析。「あの時、引っ越さなければ」とか「父が倒れなければ」とか、そのようなことを言いたいわけではない。自分がなぜ「人生」に踏み出したくなかったかを明確にして、そこに解消すべき問題があるなら解消しなくてはいけない。俺とは違うルートながら同じような「人生」の暗い側面を垣間見ることで「ニート化」してしまった人・してしまいそうな人の役にも立てるかもしれないと思い、記した。

【漫画や映画に触らなくなった】

【ニート時代への憧れが抜けない】1

2016年01月08日 | 闘病記
【ニート時代への憧れが抜けない】1

麻薬中毒患者というのが、こうなのだろうと思ってしまう。深夜目を覚ます。水を飲みながら、ニート時代はこの時間に、ラーメンを納豆まで入れて喰っていたなぁと思い出す。そして明け方まで絵を描いたり音楽を作ったりしていた。早朝からジョギングをして、そのまま庭の草むしり。半日終えたら母と買い出しに。頼まれて、地元地区の会合等で必要な資料を製作したりもした。夜は本を読んだりネットで遊んだり。そんな生活。まさに大学生の夏休み。その時代への憧れが体をひっぱる。そうなるとトイレへ駆け込み、嘔吐する。何も出てこないけれど。正直、あの時代は良かったなあと今も思う。思う意識が悔恨と贖罪に焙られて嬲られて、嘔吐へと繋がる。いつまでも8月31日ではない。9月1日を迎えなくてはいけない。
分かってはいてもモヤがかかった将来に希望と空想だけを膨らませて期待し、その為の努力をするだけでよかった日々は甘美。音楽で、絵で、文章で飯を食うつもりはなかったのに、曲を作ったり絵を描いたり文章を書いたりしているとまるで「就職活動」をしているかのようで「夢に向かって努力」しているかのようで、だから今は何もしなくても大丈夫と思い込んでいた。何かの拍子でそれらが金になることもあるだろうという甘えた考えが根底にはあった。あったけれど、かといってそれらを一個の作品としてまとめることもしなかった。「ニート」続行の言い訳にしていた、が正解だった。未だに、この期に及んで尚、その状態に憧れる。
遊んで暮らしたいだけなのだ。甘えているだけなのだ。大学時代というモラトリアムをいつまでも繰り返したい。それだけだ。
「人生」に踏み出したくない。
これに尽きる。俺は多分、中途半端に「人生」を始めてしまった。先に記すけれど、これは言い訳ではなく分析。同じようなタイプも少なくないだろうと踏んで、分析してみた。
家族四人で一戸建てに暮らしていたところ、祖父の逝去に伴い、小学校五年生で父の実家に引っ越してきた。