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人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

100円の本に手が伸びてそして【ニート後遺症、闘病中】

2016年02月27日 | 脱ニート者の日常
本を買う。

一冊。コミック。一年前に買っていたものの続巻。作者さんには大変申し訳ないけれど古本屋で。

ニート時代、毎週通っていた新古書店。脱ニート後は、店内に入っただけでも嘔吐感と眩暈に苛まされた。気分転換になるかと立ち寄ったのがかえって、凹んで店を出ることとなった。そして一切足を向けなくなって、数か月。ふと思い立って、踏み入れた。

結局、嘔吐感はあったし眩暈もした。悪寒に発汗。これで卒倒でもしたら完全に病名がつく。
構成の変わった店内をふらつく。漫画の群れを観ていると、妙に落ち着く。これはニート時代も同様。今はそれに、郷愁に近い切なさが加わった。懐かしいと思う。この本もこの漫画も読んでいた。続巻が出たら迷わず買うもの、買う本が少なければ買うもの、タイミングがあえば手を出したい新シリーズ…等いくつかのカテゴリに分けていたのを思い出す。当時、なかなか新古書店の100円コーナーには出なかった作品が大量に並んでいた。欲しかった本も何冊か。

そんな中、一冊を手に取る。

ぶるっと震えた。背表紙をみる。ハイテンションなキャラクターの顔に涙が出た。最初の1ページを開く。あの物語の続きがそこにあった。その物語の続きに、俺は行けなくなったのだなあとうつむいた。涙が落ちた。これは本格的に不審人物じゃねぇかと、おかしくなった。おかしくなって笑った顔は、更に不審。

棚に返す。
返してからまた、取る。
悔しかった。ガマンするのが当然。
娯楽を買える余裕はない。
脱ニートして一年。まだその段階。

手に取ったまま店内を何周か、した。

何だろうか、この一年が思い出された。できそこないのドラマの、最終回かよとまた笑う。
何にも変わんなかったなあと、かみしめる。漫画を数冊抱えた学生がレジに並んでいる。うらやましい。買えることが、じゃない。そういう時期があって、更にそこから人生がある彼が、だ。そういう時期を過ごして人生をぶっ壊した身としては、うなだれるしかない。

うん。
うなづく。これが文章表現ではなく実際に、店内でうなづいたのだから俺もかなりなところまできているのかもしれない。
ともかく、10円玉が少しあったのでかき集め100円を作る。
行ってしまえ、と思った瞬間、足首が熱くなる。やめろというサインなのかと躊躇するのも一瞬。

買ってしまう。
買ってから後悔、はしなかった。お金さん、ありがとうと呟く。これは、脳内で。

そして今、苦悩する。

読むべきか、供えるべきか。
供えて、事が好転した時に読むべきなのか。

悩んでいる。

でも、少し嬉しい。

嘘をついた。

ものすごく、嬉しい。

健康は宝。みせかけであっても【ニート後遺症、闘病中】

2016年02月26日 | 脱ニート者の日常
先日に続いて、医療の話。

健康診断をしていない。してもどうなるものでもない。たとえば、ガン検診の通知がくる。のこのこと出かけて検診してもらう。そこで思わしくない結果が通告されたとして、どうすればいいんだろうか。一回の診察でさえできずにいるのに通院なんてもってのほか。

体は健康だというそぶりをして、やり過ごすように暮らす。
状況が変わらない限り、そこから抜けだすことは難しい。色々な補助があったとしても俺が働けなくなると、全部終了。失業保険なんてもらえないから翌月からガス・電気・水道・電話、全て止まる。

ニートを続けた、ということはこういうことだ。
これもニート後遺症。脱ニートしたところでまだまだついて回る。

vs春の気配 荒れる口元【ニート後遺症、発症中】

2016年02月25日 | 脱ニート者の日常
陽が伸び、風も優しくなってくる。そのせいか、口周りが一気に荒れた。メンタルが原因だろうと分析する。

ヒゲを剃ると真っ赤になっていたので、最初はカミソリが問題かなと思っていた。100均一で3本セットの物を買い、一本を2週間程度使う。当然後半はキレ味が落ちるからカミソリ負けを起こしやすくなる。なかなか辿り着けずにはいるものの面接にはいかなくてはいけないし、人前にでるバイトでもあるので口周りが荒れ放題なのはいただけない。そこで一週間で交換してみた。多少、マシになったもののやはり荒れる。

と、カミソリのせいにしてはいたものの、一方では分かっていなくもなかった。春が来るからなんだ。へたくそな一年が過ぎてしまった。過ぎただけではなく次へ向かうあてがない。そこにきて、暖かく優しい季節到来の予感。プレッシャー、ストレス。それで口周りが荒れた。カミソリ負けはそれを助長したに過ぎない。季節の変わり目、似たようなメンタルになった時には必ず荒れたので間違いない。春は、一年の大きすぎる節目。学生・社会人にとって、というかほぼすべての日本人にとって人生の節目でもある。だから、だ。

もとより季節の変遷流転を楽しむタイプだったから、余計に、くる。楽しめないこともしんどい。気持ちを切り替えようとするものの、今一つ上手くいかない。今一つというのは言い過ぎだ。全く上手くいかない。

とにかく「がんばる」ことがリアルな結果に変わらないとどうにもならない。過程が大事、も一つの正解だろうが今の俺は結果が全て。お金ないと暮らせない。軽い病気で死んでしまうかもしれない。間違いなく今の状況は俺と母の寿命を縮めている。
なんとか「がんばる」の蓄積が+になる職を見つける。

まずは口周りを清潔にして優しくカミソリを当てよう。

音楽は敵か味方か攻めか逃げか【ニート後遺症 闘病中】

2016年02月24日 | 脱ニート者の日常
なんだ?

今、本当に今、急に音楽やりたくなった。
時間がないからもうPC閉じて出かけてしまうんだけど、やるべきか?帰ってくるまでに気持ち萎えてしまわないか?どうして急に?何があった?俺、どうした?
音楽なんて作っている余裕はないが、そういう欲求が出てきたことは素直に嬉しい。

いやこれ「逃げ」なのかもしれない。
稼げる職に就かなければいけないのに遅々として進展しない状況からの。
だとしたら、ガマンすべきだが。

とりあえず四時間、走り回ってくる。
腰、がんばれ。

テレビをみないとウツなのか【脱ニートの日常】

2016年02月24日 | 脱ニート者の日常
テレビを見ない。

もう六年にもなる。ニート時代からみていない。昨夜、求人募集を漁る日課中に「うつ病診断」というサイトを見つけ、うっかりやってみた。結果は予想通り、その気配がある、だ。問診に答えている段階で、健康的な回答は出てこないことは分かっていたのだが、その中で「最近、テレビをみない」という項目があった。

これはどうなのだろうか、とふと考えた。
俺は「みない」なのだけど、これ「普通の人はテレビをみるものだ」が前提となる。それが少し、腑に落ちない。俺は結構なテレビッ子だった。好きな番組はビデオに撮り繰り返し見ていた。が、数年前、観ていたテレビ番組は週2本に激減。その2本も、見逃しても平気になっていた。そして地デジ化。同時にテレビの調子も悪くなり映らなくなった。そしてそのままフェイドアウト。これが「うつ」になる一端だとするのは乱暴じゃないのかな。

なんて思うことが、「うつ」かどうかは別として、精神にいびつな塊を抱えている証拠なのかもしれない。

テレビ番組が面白いかどうかはともかく、大半の人が日常的にしている行動に異を唱える、興味を持っていない、大半の人が楽しんでいることを一切楽しめない、といういびつさ。
テレビに夢中になる必要はないが、部屋で小一時間程度流れていても耐えることくらいはできなくてはいけないのだろう。と書いていて思う。「耐えることくらい」という言い方。これがもう、おかしい。一方で、この言い方が今の自分の正直なところでもある。

そのうち、楽しくテレビを見れるようになったらここで、報告したい。

その前に、テレビ、買わないといけない。その前に、レンジを買わないといけない。その前に、蛍光灯を…テレビへの道のり、長いなぁ。