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人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

ニート・今するべきことを後に回し続けて20年【ニート後遺症、闘病中】

2016年03月03日 | 脱ニート者の日常
今日できることは今日する。

が、できない。
からニートになる。

自分としては、段取りとして今やるべきことと後でも問題ないものに整理して、優先順位の高いものからやっつけている。これ自体は問題なく正しい行動だが、ニート化する性質を持っている人はこれを言い訳に「やりたくないこと」を後回しにしてしまう。

単純に、合理的打算的に、作業を構成できることが前提であり、そこに好みや感情が入ったら一気にこれは最悪手となる。今できることを後に回す。今日できることを明日に回す。今年できることを来年に回す。そして十年が過ぎ二十年が過ぎる。

ニート・ひきこもり(両者をひとくくりにするのは問題あるが)は、そうやって「今日」を後回しにしてきた結果、人生の「ある日」のまま時間を止めてしまった。現実をみずに「その日」をずっと生きている。「今日」を「明日」に回し、「明日」になればまたその翌日に回す。面倒事や嫌なことを「明日」に預けて、「今日くらいは何も考えずにのんびりしよう」なんてまるで多忙な一流サラリーマンのような一言すら吐いて「今日」をぼんやり過ごす。明日になってもそれをする。そして一年、五年、十年、二十年。

ニート化する人は更に、明日になったら何とかなる・何かが変わっている、と漠然と考えてしまう。検体が俺だけなので全ての人に当てはまるかどうかはわからないが。「何か」って何?働いてなきゃ収入はゼロだ。何もしてなければ誰かに評価されることもない。芸術芸能で一旗あげたいなら作っては出し作っては出ししなくてはならないのに明日になったら作るを繰り返してばかりじゃ、ゼロだ。ほんの少し、何かをやって今日を頑張った気になっている。昨日も吐き出したが「自分なりに」は一切、無意味。世の中、他者の評価だけが自分を生かしてくれる。どんなに偉そうなことを言っても、それだけは事実。こんな風に偉そうに言ってる俺も、その事実の前に時給800円×4時間で、先細り生活を送っている。

ニート化しそうな人、現ニート、脱ニート者、俺らが考えていることは9割、「言い訳」なんだ。全部、と言ってもいい。何に対しての言い訳かは人それぞれだろうが、恐らくきっと「ビビってる」ことへの「言い訳」に集約される。社会、人、自分の能力や価値が評価される、ちゃんとできるかどうか。がんばって一歩進めば、打ちのめされる。そしてまた「言い訳」だ。

打ちのめされて泣いたら、また打ちのめされに出ていく。その繰り返しができない。弱い。
普通の人はみんな、そうやって暮らしている。そうやって仕事をしている。それが普通。できないじゃなくて、やるんだ。
打たれ強くはなれない。だからもうボロボロ泣きながらゲェゲェ吐きながらブルブル震えながら仕事する。
弱くていいわけない。けど、強くなれないなら仕方ないだろ。強くなろうとすることくらいはできるだろ。せめて「言い訳」ばかりして現実と直面することから逃げて、時間を止めてしまうような最弱よりはいい。

それもリハビリ。

40歳で時給800円の価値【ニート後遺症 状況編】

2016年03月02日 | 脱ニート者の日常
どうしてニート化したのかと頭を抱えることがある。自分なりにその瞬間瞬間、判断してきたつもりだった。が。

「自分なりに」には、実は意味がない。「自分なりに」がんばっても他者に受け取ってもらって初めて実となる。意味が生まれる。他者の目を気にする。他者の評価を気にする。それが大事。
人の目なんて気にするなというのはカベにぶち当たっている人を叱咤する常套句で、俺もそれは大事なことだとは思うが、それはその状況にだけ当てはまるというだけのことなのだろう。

誰かに評価してもらって初めて、社会で暮らせる。
もっとはっきりいえば、「お前はひと月20万の価値がある」と評価されるからひと月20万の給料をもらえる。だから俺は1日4時間・時給800円の価値しかないということだ。

そして、ニート者に言う。ニート期間が長ければ長いほど、その価値はひっくりかえらないよ。時給800円の俺が1200円には、なかなかなれない。当然といえば当然で、5年なら5年、10年なら10年、社会的に無価値な状態で暮らしてしまい、自分の価値がそこに固定されちゃったんだから。

なんとか脱ニートしても、がんばって評価を上げて価値を上げて、時給を上げることのできる職に就けないかもしれないんだ。俺がそうなんだけど。昇給ナシ昇格ナシ。だから雇ってもらえる。そうなってくる。そうなってくると日々、新しい職場探しに躍起になる。そうなってくると日々、バイト先でのモチベーションが保てない。

俺は雇ってもらったことに感謝しているし、折角の時間、もう無駄にしたくないので極力仕事を楽しもうと考えている。先日いただいたコメントをヒントに作業中にも自分を成長させようとがんばってもみる。勿論、現職場じゃそれは何も評価されない。だから次。100円でも自分の価値を高めて次にいけるようにと。

前向きに、ポジティブになんて考えても仕方ない。どうにもなりはしないんだから。だから一つ一つ、現在を積み上げていく。これだって普通の人は学校出たらすぐにやってること。

そう、もう普通の人ではない。ニート者も脱ニート者も。

だから今日もリハビリは続く。
はりきっていってみようか。

脱ニート者が1日で100万円使い切るなら

2016年02月29日 | 脱ニート者の日常
税金…年金…各種支払い…
常備薬買い貯め…
履歴書…
面接用の交通費…

あっという間になくなるなあ。

いや、この使い方は違う。

ぱあっと、政治家に渡して良い職を手に入れる。

これに尽きるな、とか言っているからダメなのか。
起業する!とか言えないものなのか、俺。

本がニート時代の象徴から脱する日はいつになるんだろうか【ニート後遺症、闘病中】

2016年02月29日 | 脱ニート者の日常
よくない。

先日うっかり本を購入した。ちょっと気分的に余裕がでてきたのかとポジティブに考えていたものの、冷静になってみると、ダメな行動だったようだ。

脱ニートはまだ、成功していない。いつか成功するのかどうかという疑問はあえて伏せておく。まだまだ生活は改善されず明日を考えることさえ辛い状態。

本を買って部屋に持ち帰る。読もうかと手にする。懐かしい感覚。ニート時代を思い出す。楽しかったなあと述懐する。戻りたいとまで思う。そして冷や汗をかく。

本を買うというのは未だ、ニート時代の象徴だった。今、大学生の小遣い稼ぎのようなバイトで食いつないでいる。数字的には「つなげて」はいない。そんな状況に、慣れてきている。これでもいいかと思い始めている。できればニート時代と同じような、楽な暮らしをしたいと。

勿論、そんな生活に戻る気はない。けれど隙ができている。求人募集を眺めながら、どうせないんだし、と思う。思った次は、まあ明日はよい求人があるかもしれないから今日はこれまで、だ。それを繰り返したから、こんな今があるんだろうに。

しっかりしよう。

コメントをくださった方へ。
いつもありがとうございます。
ぽんママさま。「タイミング」や「言い方」考えながらバイトします。そういうテーマがあるとバイトの時間楽しく過ごせそうです。あまり楽しくなじんでしまうのも考えモノですが…ちゃんと次にいかないと、です。

小豆ママさま。やっぱり似たようなことあるんですね。そこにグチグチ囚われずにまっすぐ一生懸命、やっていきます。

みなさまのコメント一つ一つに成長させてもらっています。ありがとうございます!

脱ニートリハビリ【ニート後遺症、闘病中】

2016年02月28日 | 脱ニート者の日常
昨年、短期で倉庫事務をした。

そこで言われたことが「勝手に判断しないで分からなかったら聞いて」。俺としては「分かっていないのに勝手にやった」のではなくて「教えてもらったことをちゃんとやった」つもりだった。つまりただ仕事ができない子だっただけなのだが、そう言われるというのはきっと、勝手にやらかすタイプに見えたのだろう。
そこはそのように主張したかった。が、脱ニートに当たって自分に言い聞かせたことが幾つかあって、そのうちの一つが「言い訳をしない」。このブログを観ても分かる通り、どうにも言い訳がましい人間なので、特に気をつけようと決めていた。

主張すれば「言い訳をする子」になる。言わなければ「自分勝手に適当にやる子」になる。結局、作業をしっかりやっていれば問題ないということになるけれど、初めての仕事を一つのミスもなく終わらせることって可能なのだろうかとも。
他にも、先輩の勘違いで俺が責められた場面もあったりした。そもそもが俺の作業が遅いせいだったので、無論、口応えなどはしない。とはいってもひとことくらいいいたくもなる。
場合によっては、多少言い訳がましくても主張した方が作業効率が上がりそうだと、後日、振りかえったり。


などということは、普通に働いている人にとっては日常なのだろうなとかみしめる。

脱ニート者のリハビリは続く。